暗殺者の条件
駐車場から盗んできたナンバープレートに取り替え、アルジャーノンの首輪も携帯電話も捨て、万全の体勢で俺は車を走らせた。
じきに日が昇る。その前に、エドの指示した場所へ辿りつきたい。自然、アクセルを踏む足には力が入った。
「ねぇ、おじさん」
さっきまで静かにしていたユウコが、後部座席から声をかけてきた。窓の外を眺めていたテイシンが、ちらりと振り返る。
「いつもこんなに大変なの?」
そんなわけあるか。毎度こうも襲われていたら、体も心も健康を保てない。
「・・・・・・いつもなら、殺し屋と依頼人は会っていない。言ったろう、五日間の」
「クーリングオフね」
「それに、普通は殺し屋の依頼内容が外に漏れることはないから、そのせいで狙われることもない。ターゲットに知られることなく仕事を遂行し、誰に悟られることなく静かに逃走する。派手な仕事じゃないんだ、殺し屋っていうのは。もっと知的でクールで穏やかだ」
それなのに、あの腐れ師匠が。
「ふうん・・・・・・そのわりに、おじさん、平然とこなしてるよねー。もしかして、おじさん、凄い人?」
今ごろなに言ってやがる。
「そりゃあもお」 とテイシンが体ごと後ろを向いた。「この業界で紅の涙って名前を知らない人はいませんからねー」
つまり、有名な人殺し。褒め言葉にならない。
「へー・・・・・・ねぇ、おじさん。おじさんは、なんで殺し屋なんかやってるの?」
仏頂面を作った。
お前の知ったこっちゃない。
「それはあたしも興味あるとこですけどね」 テイシンは笑顔だった。「この業界では、過去を聞くのはタブーなんですよ」
「うわあ、なんか、かっこつけしいなルールだ」
「あたしも同感ですけどねー」
俺を見るな、テイシン。身を乗り出すな、ユウコ。
「ねぇ、おじさん。あたしでも殺し屋ってやれるの?」
「無理だ」
「なんでよ、どうしてよ、あたしが女だから? 殺し屋って男社会なの、男尊女卑だわ、女性の自由と権利を著しくおとしめてるわ」
どこからそんな言葉が飛び出すのかわからないが、自由と権利は並べたら変じゃないか?
「女の殺し屋もいる。だが、お前には無理だ」
「だからなんでよー」
俺は小さくため息をついた。
「・・・・・・俺は、十三の時に組織へ誘拐された」
ユウコのへ? という顔と、テイシンの意外そうな顔とを見比べた。考えてみれば、女子供を乗せてる時点で、俺の方が秋彦より不利だ。
「記憶操作を受けて記憶を消され、一定の年齢に達するまで人殺しのための訓練を受けた。武器の習熟、爆薬の扱いはもとより、車両の操縦、偽造文書の見分け方や時には作成方法まで教わる。地図と写真から見知らぬ土地をイメージする、なんてトレーニングもあったな」
「・・・・・・組織は、そんなことやってんですか?」
「ごく一握りの酔狂な幹部が、組織に忠実な暗殺マシンを作ろうとしたんだ。新手の人体改造の実験体でもあった」
だから、俺の体は、常人よりも強靭だ。心も手術できなかったのかね?
「そのプロジェクト自体は、数年で打ち切られたが、その数年間にさらわれ、記憶を消され、暗殺技術を叩き込まれた子供は、その後も組織の人間によって飼われ続けた」
テイシンが、喉を鳴らした。
「飼う? まさか、それが、師匠・・・・・・」
「俺の他にも何人かいたが、俺たちを飼う担当の幹部が、あの腐れ師匠だった」
後部座席に引っ込んでしまったユウコを、バックミラー越しに見やった。
「別に、特殊な訓練が必要だとか、そういうことを言いたいわけじゃない」
「・・・・・・でも」
「俺たちには、過去がない。親もなく兄弟もおらず、友人との談笑も知らず初恋の思い出だってない。誘拐される前の記憶はおぼろげで、誘拐後はいま言った感じだ」
「・・・・・・」
「わかるか、ユウコさん? 過去を捨てた者しか、殺し屋にはなれないんだ。父を殺された過去をひきずり、復讐に燃えるユウコさんは、けして殺し屋にはなれない」
まるで自分に言い聞かせているようだな、と、俺は内心苦笑した。
過去がない? だが、俺の殺した男の娘が、復讐に燃えて俺を雇う。俺だって、過去に引きずりまわされている。
「ユウコさんは裏の世界には向いてないな。今回の件が片付いたら、もう殺し屋なんてものには近づかないことだ」
「・・・・・・馬鹿にしてる、絶対馬鹿にしてる」
どういう誤解なのか、ユウコはむくれた。
「絶対になってやる、将来は女スナイパーよ」
まいった。これじゃ火に油だったか。
テイシンが笑った。
「そうですねー、そしたら、うちのセンセイに教わるといいかもしれませんね。いろいろと」
そういうことを言うな、テイシン。