車の所有者
しばし走って、テイシンが「それじゃあたしはこの辺で帰りますね」 といつもの彼女らしい呑気な物言いで車を降りた。
降りた後で、テイシンは窓から車内に上半身を突っ込んだ。
「ッて忘れてました! この車あたしのじゃないですか! 返せ、鍵を返せ」
「しばらく足が必要だ。貸せ」
「ヤですよ。あたしまで紅の涙の仲間だと思われちゃったら、いったいどう責任とってくれるんです?」
「ナンバーは変えてあるんだろ? さっきの連中の手口からして、車からテイシンを割り出す腕があるとは思え・・・・・・」
テイシンが顔を赤くしている。怒っているのかと思ったが、違った。
「・・・・・・ナンバー、プライベート用のままなんですよお。どうしよー」
ため息をついた。
「人に貸す時は気をつけろと、いつもあれだけ言ってただろうが」
「取り替える時間がなかったんです。いきなりだったから」
それはそうだ。
あの言霊使いの、秋彦と言ったか? 車のナンバーくらいは見ていったかもしれない。なにせ、卑怯モノだ。
「あー、言いづらいんだが、テイシン。この車はもうあきらめた方が」
「ヤですよ。センセイが初めて買ってくれた車なんですから」
「?・・・・・・お前が金を出したと聞いたが」
「当然です」
「?・・・・・・買ってくれたんだろ?」
「そうです。お金渡して、車種だけ伝えて、買いに行ってもらったんです」
単なるパシリか。それは普通、買ってくれたとは言わない。買いに行かせたと言う。
センセイの温顔を思い出して同情しながら、俺は提案した。
「今すぐに盗難届け出せ。俺は適当なところでこいつを捨てる。そのうち見つかって、車はお前のところに戻る」
「信用できません」
そんなきっぱりと断言するなよ。自信なくしてしまう。
「こうなりゃ、とことん付き合いますよ。どうせ、悪の組織をぶち壊すんでしょ? そうすれば、晴れて車もあたしの元に」
「馬鹿言うな。さっきみたいな連中が四六時中俺を狙ってんだぞ。Dリストに載るってのがどういう意味か、知ってるはずだ」
「エドに聞きました。トモ・・・ナガレの師匠のいたずらでしょ、いつもの? 師匠とっ捕まえてボコボコにしてやります」
そりゃ無理だ。
「とにかく、責任とってくださいね」
聞く人によっては勘違いされそうな暴言を吐いて、テイシンは助手席へ再びおさまった。なんだか、そこにいるのが当たり前のような顔で、さっぱりした表情を浮かべている。
「さあ、行きましょう」
「・・・・・・今のところ、行く当てはない」
「こういう時こそ、情報屋エドの出番じゃないですか?」
「諸般の事情で彼女とは連絡をとりづらい。主に気分的な意味で」
「わけわかんないこと言ってないで。それとも、こんな時に信頼できる調達屋がいます?」
交友関係の少なさというのは、殺し屋の職業的欠陥の一つだ。
ランドクルーザーの件で、エドには大目玉食らった。
かけがえのない協力者であるというだけでなく、ほとんど好意で身を削ってくれる彼女への謝罪を込めて、俺はひたすら謝った。
『・・・・・・あたしの言う通り、来て』
ようやく怒りの収まったエドは、静かに言った。
『匿える場所がある。ただし、絶対に誰にもつけられないように。発信機の類いもケータイも捨てて、万全を期して』
「秋彦とかいうヤツの占いはどうにもならんぞ」
『ハッタリ・・・・・・と言い切れないから怖いけど、あの種類の占いは、イエス、ノーの答えなら的中率も高いけど、それ以外なら案外ザルよ』
「・・・・・・そういうものなのか?」
『師匠に聞いてないの? まったく、なにをしているのかしら、弟子にはきちんと徹底した教育をしなきゃ駄目なのに。噂の男もたかが知れてるわね』
少々きつい性格のエドに当たったらしい。
『それから、紅の涙目撃情報とかいう書き込みがあちこちの掲示板にあったわ。その車のナンバーも書き込まれてる』
妙だな。師匠なら、ブログに書くはずだ。
「秋彦か」
『ユーコちゃんの護衛役を先に追い詰めてから、というつもりなのかもしれないわね。この気の長い考え方、殺し屋向きかも。注意して』
頭が痛い。本当に猛烈な頭痛だ。ネット社会が俺を追い詰める。
「胃が痛いよ」
『胃薬を用意しておくわね』
窓の外を見ると、いつの間にか、夜が明けていた。