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敗北

「呪術には大きくわけて二つの種類がある。記号や紋様を駆使して森羅万象へ介入する符術と、音や言葉によって因果律へ干渉する唱術だ。普通、この二者は複雑に絡み合って一つの呪術を形成するが、言霊使いの術は例外的に言葉のみを操る」

「講義はけっこうだ。その程度のことなら、俺だって知ってる」

 本当は知らない。因果律ってなんだ? 森羅万象って大袈裟すぎないか? いくつものハテナが踊る。

 男の無防備な背中が小さくはねた。笑ったのだ、とすぐには気付かなかった。

「まあ、聞いてくれよ。こんな愚痴、他に漏らせる相手がいないんだ。いつも、妹がそばにいるし、な」

「妹は?」

「寝てるところを縛り上げて置いてきた」

 意外と大胆なことをする。いや、無茶苦茶と呼ぶか。

「そうしないと、あの子は俺のそばから離れようとしないのさ」

 それがカナの使命だからな、という小さな男の声を、かろうじて聞き取った。

「使命?」

「言霊を使うには、時間と高度な精神統一が必要だ。符術を排したための欠点だな。だから、必ず言霊使いにはパートナーがつけられる。術者の詠唱の時間を稼ぎ、時には盾になって死ぬ役目」

 小さなステージの前で、男は立ち止まった。

「十歳の子供に、選択することなどできるはずがない。あの子は、俺の妹であるという理由だけで、兄を護るという使命を押し付けられた。成長できず、自由もなく、恋一つできない人生を強制されて、それでも、盲目的に己れの運命が正しいと信じて疑わない」

 振り返った男は、さきほどより小さくなった笑顔で、首を振った。

「やりきれないと思うこともある。愚痴もこぼしたくなるさ」

「押し付けられたと言ったな? 押し付けたのは誰だ?」

「我々の父親だ」

 思わず絶句した。

 娘をモノとして扱う親ならザラにいる。だが、聞いた限りでは、その父親は娘の人生を奪ったに等しい。

「我が家は、遠く飛鳥の宮の時代から続く言霊使いの血筋だ。宗家ではないが、俺は特に能力が高かった。おかげで、去年の暮れまで、厳しい修行に明け暮れた。血のにじむようなと本人が言っても説得力はないが、精神的な死というものを何度か経験したよ」

 なるほど、エドのデータベースに引っかからなかったのは、最近まで山奥辺りで滝にでも打たれていたからか。

 そんなことよりも、と俺は最大の疑問をぶつけてみた。

「なんで、そんな話を俺にするんだ?」

「言ったろ? たまには愚痴りたくなるのさ」

「相手は飲み屋のバーテンでもかまわないだろう」

「ああ・・・・・・なんというかな、お前には、俺と似たような空気を感じるんだ」

 勝手なことを言う。俺は魔法なんか使えないぞ。

「お前のことは調べたよ。トップクラスの実力を持って十代でデビュー、次々と始末した大物の身内に恨まれながら、いまだに生きているサバイバルの天才。おまけに殺害方法はスマートかつシンプルで、狙った獲物だけを狩る。プロフィールだけなら、どこぞのヒーローかと勘違いしてしまいそうだ」

 大袈裟だ。

 俺は、ただの末端工作員だ。組織から降りる辞令に従い人を殺す。多少は仕事を選ぶ自由もあるが、基本的に組織の手先に過ぎない。たまにフリーランスな自営業に転向したいと思うが、そうなればなったで、仕事の受注には奔走しなきゃならん、財務の諸事も一人でこなし、細々とした事後処理も待っている。けっきょく、組織の手先が一番楽だ。

 こんなことを言うヒーローがいるものかね?

「そこで見ているといい」

 ステージに上がった男は、ふと、笑み浮かべながらつぶやくように何事が言った。

「ふるべふるべゆらゆらと・・・・・・」

 ぞッとした。以前にも聞いた、不思議な音律。呪術的な、と思ったがまさに呪術そのものの詠唱。

「やめろ」

 グロックを抜くと同時に制止の声をあげたのは、なぜだろう。ここで重症を負わせてやればいい。今までは、なんとなくフライングのような気がして攻撃できなかったが、やつが先にスタートを切った今なら、躊躇する理由なんかないはずだ。

 銃口を男の肩にポイントする。

 高度な精神統一と言っていたか。肩を打ち抜くだけでその統一とやらはとけるものなのか。

 しかし、男からなんら敵意を感じないのも事実だ。

 その笑顔は優しくさえある。年齢とは不釣合いな、ひどく落ち着いた、けれど哀しげな微笑み。

 ヤバいな。

 心の隅で俺は苦笑していた。

 こいつには、人を魅了させるなにかがあるらしい。冷徹非常を看板にかかげる俺を、躊躇わせるほどの。敵にするには、最も厄介な相手だ。

 ほどもなく、男の詠唱は終わった。

 なにかがあれば、即座に引き金を引く。身の危険にさらされれば、意思より先に、俺の指は引き金を引き絞るだろう。

 直後、ぼうっ、とステージが光った。

 なにごとが起こったのか理解するより先に、男の方が口を開いた。

「これが言霊だ」

 壁だ。壁前面が、青白く光っているのだ。ほんのりとした、やわらかで、暖かい光。

 呆気にとられる俺へ、男は説明した。

「気温、湿度、空気の密度や流れ、帯電量、この建築物の素材や形状、数え切れない様々な要素が偶然重なり、結果、こんな、人知の及ばぬ怪現象は起こる。言霊とは、その『偶然』 を人為的に引き起こす呪術だ」

 光を背景に、男の顔は影になっていて見えなった。

「だから、偶然さえも及ばない事象を誘発させることはできない。言霊も万能ではないということだ。言い方を変えれば、可能性のある未来を選ぶと言ってもいい。ま、実際には、かなり制約があって、出切ることと出来ないことがはっきりしているんだが」

 光が消えてからも、俺は言葉を失っていた。

 別に感動したわけでもないし、驚愕するほどの奇跡だとは思えない。ただ、あらためて思ったのだ。

 こんなやつが敵なのか。

「・・・・・・なんで、敵である俺にそんなものを見せた? ビビって逃げ出すと思ったか?」

 男は屈託なく笑った。

「まさか。ますます闘志がわくというなら、わかるが」

 闘志なぞわくものか。殺し屋っていうのは、常に逃げ道を用意する、用意周到にして臆病な人種なんだぞ。

「言ってなかったな。妹を撃たなかっただろう? その礼だ。俺の術は、理を知られたぐらいで破られる代物でもなし」

 そうか、余裕か。自分の術に対する絶対的過信が生んだ、俺への蔑視か。

 厄介だというのはわかった。なら、こいつの妹の邪魔がない今、二度と俺に楯突かないと誓わせるまで、ボコボコにしてやるだけだ。

 俺の殺気を感じ取ったのか、男はニヤリと唇を曲げて両手を上げた。

「俺がその気になれば、同時多発的に悪性腫瘍をお前へ植えつけることもできる。今はやめておくことだ」

「それを知ればますます殺したくなるな。喉を潰せば言霊とやらも使えまい」

「そうすれば、俺の父親がお前を呪うぞ?」

 けっきょく脅迫か!?

「俺が一族の禁を破ってこんな仕事を始めたのは、自分の実力を知るためだ。紅の涙なら相手にとって不足はない。正々堂々と勝負しないか?」

 なんとなく、こいつの勘違いがわかった。

 裏の業界を、男の世界と間違えてやがる。誰が、正々堂々と言われて「はいそうですね」 とうなずくものか。もし快諾したら、次の瞬間背後からズドン、だ。どんな汚い手を使ってもいいし、騙そうがハメようが非難されるどころか賞賛される世界、騙されるやつが悪いと百パーセント言い切れるところなのだ。

「正々堂々で負ければ、恨みはしないさ。紅の涙ともあろう男なら、わかるだろ?」

 わからんね。

 ただ、問題がある。

 どうも、今は血を見る気分ではないのだ。

 毒気を抜く男の澄んだ瞳のせいか。まるで子供だ。無邪気な色そのままだ。

 熟成した大人と幼稚な子供の混在する男。

 まったく、面倒なヤツが敵になった。

 俺は銃口を降ろした。

「次は妹も連れて来い。まとめて潰してやる」

 まったく、俺も丸くなってしまったものだ。

 と内心でつぶやき、この業界ではそれが即、死につながると思い出して背筋が震えた。

 障害は潰せる時に潰す。そんなものは鉄則だ。なのに、俺はこいつを見逃そうとしている。

 もしかして、すでに俺は、こいつになんらかの呪術をかけられたのではないか?

「俺の名は、アキヒコだ。春夏秋冬の秋に、彦根の彦。本名ではないが、覚えておいてくれ」

 秋彦は、さわやかな笑顔を残して去っていった。



 公園の入り口から走ってくる女性。

 たぶん、エドだ。

 俺だって、未確認のままこの公園にやって来たわけではない。たしかに言霊使いの男がいると、エドに確認させ、その後も見張らせていたのだ。今の秋彦との邂逅も、当然見ていたはずである。

 走っているのは、獲物を逃がした俺に怒ってでもいるのか。

「大変!」

 見たことのない「エド」 が、顔を口にして叫んだ。

 なんだ、どうした?

「川越のマンションが妹の方に襲われたの」

 なに? 妹のカナは縛り上げられているはずじゃなかったのか!?

「ナガレちゃんのケータイの電波で場所を特定されたみたい。実害はないけど、あたしは戦闘なんてできないし」

「落ち着け。なにがあった?」

「車のナンバーを知られちゃった。車の場所を特定されるのは時間の問題よ」

 ・・・・・・あの野郎。

 ここでの邂逅は、そのための時間稼ぎだったか。長々とした話も、ちょっとした手品も。

 騙された。ああ、騙された!

 次に会った時には、容赦なく貴様の顔面に銃弾ぶち込んでやる!

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