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アルジャーノンの屈辱

 俺は、全身をさらしている兄へ銃口を向けた。

「ユウコさんを離すんだ。でなければ、お前を殺す」

 ユウコの体の向こうから、俺を嘲笑う気配がする。

 くそったれ、笑いたきゃ笑え。こうでもするしかないんだよ。

「早くしろ。五分も経たずに警察が来る。ここは東京じゃあないんだ」

 実際に、車から降りた者が何人か近づいてくる。そのうちの半分は俺の銃に気付いた様子で立ちすくみ、残りも異様な雰囲気を感じ取ってか俺たちとは距離を置いて見守っていた。彼らの何人かが話す携帯電話の向こうは、いくつかが警察か消防だろう。

「その場合、困るのはお前だよ、ナガレ」

 兄が嘲った。

「俺たちは曲がりなりにも日本国民、前科もなし。銃器も携帯していない。都内じゃほとんど公認の暗殺者紅の涙よりは、早く釈放される」

「くそ、この、橋ひとつ落としておいて、罪に服するっていう殊勝な心がけとかないのか?」

「殺し屋に言われたくないな」

 そりゃそうだ。

 圧倒的に不利な立場にいた。

 ユウコの身の安全を考える俺は、けして兄を撃つことができない。傷つけただけで、即座に人質は殺されるか、同じ程度の怪我で痛めつけられるだろう。敵も同じ境遇ではあるが、まがりなりにもプロだ、命のやりとりという覚悟はできているはずで、その点、素人のユウコとは人質としての価値が低い。

 くそッ。どうする、考えろ・・・・・・

 その時、視界の端に捉えていたエドの体が、ひくりと動いた。完全に血の気を失った死人の顔がむくりと兄を見上げ、腕が動く。

 生きてたのか! いいぞ、兄はまだ気付いていない。なんでもいい、一瞬だけでいいからやつらの気をそらしてくれ・・・・・・

「兄様!」

 妹の叫びに思わず舌打ちしたが、かまわず、ユウコの体目掛けてダッシュする。

 兄の蹴りがエドにトドメを刺すのを目の隅に捉えていたが、無視して叫んだ。

「アルジャーノン!」

 もこもこもこ、っとユウコのシャツが大きくうねり、見事に擬態していた獣が衿から飛び出した。

 フぃシャあー!!

 アルジャーノンが奇声を上げて妹へ踊りかかるのと、俺がユウコへ体当たりするのが、ほとんど同時だった。

 ユウコの体をかばいながらアスファルトを転がり、すぐ膝立ちになって妹へ銃を向ける。

 常に無敵のアルジャーノンが、生涯初の敗北を味わう瞬間を見てしまった。

 蹴り飛ばされた彼女は猫特有のしなやかさで着地し、すぐにうずくまる。目は爛々と敵意に輝き、小さな女の子を睨んでいたが、ダメージは大きそうだ。

 妹が鬼の形相で俺を睨んでくる。

 おいたをした子供には折檻が必要だな。

 俺は地面を蹴った。

 真正面から女の子に襲いかかる。

 野次馬から悲鳴が上がった。いたいけな少女をおじさんが襲う、そんな場面に見えるのだろう。だが、悲鳴はすぐに別の意味合いへと変わる。

 俺の廻し蹴り。この子と出会ってから、俺から攻撃するのは初めてだ。軽やかによけられるであろう、と読んで二手先、三手先も考えている。

 ところが、小学生並みの体が、俺様の超重い蹴りをまともに受け止め、衝撃を全て吸収してしまった。

 なんつー重たい防御。サイボーグか、お前は?

 戸惑った寸隙を縫って、小さな体が伸び上がる。

 ヤバい、とび蹴りだ、と認識した時には、俺の体は後ろへ吹っ飛んでいた。

 なんとか両手で防いだものの、その威力に体が痺れる。

 これじゃあ、まるで逆の体重差があるみたいだ。倍する体格の格闘家と喧嘩してる気分である。

 子供相手に本気になるのも大人気ないが、しかたない。

 手加減抜きで行く、と決めた。のに、兄が横槍を入れてきた。

「カナ、引け!」

 妹――カナと言う名前らしい――は、兄の指示に忠実に従い、俺を睨んだ後で身を翻した。逃走用に用意していたのであろう反対車線の車へ走る。

 黙って撤退させるわけにはいかないんだよ。腕の一本でもいただいておく。

 グロックを抜いた俺は、しっかり両手で構え、照星へカナという少女の肩を捕えた。

 引き金を引き絞る。

 我知らず銃口がズレた。

「チッ」

 思わず舌を打った。

 カナの二の腕を軽く擦過した銃弾が、夜の闇に消えていくのが、まるで見えるようだった。

 カナを乗せた車が、走り去っていく。



 エドへ走り寄った。

 駄目だ。死んでいる。

「勝手に殺すなよ」

「うわあ!」

 喋る死体へ思わず銃を向けた。反射的にセーフティを解除している。

「いったん心臓は止まっちまったが、気合と根性で体だけは動くんだよ」

 究極の精神論だ。

「時間はない。だから、手短に伝えるぜ」

「ああ」

「なんで待ち伏せされたか知らないが、この先に用意した隠れ家はヤバそうだ。ここから一番近いエドを頼れ」

 エドが短く伝える住所を頭に叩き込み、助手席に落ちているドイツ製サングラスを拾い上げた。

「お前は大丈夫なのか?」

「救急車が来るまで、努力と義理人情で心臓を動かしてみる。自己診断だが、救急が間に合えば命は助かる傷だ。さあ、行け」

 俺は立ち去ろうとして、ふと脚を止めた。

「指輪はいいか?」

 ああ、そうか、とエドは呻きながら、首に下げた鎖を引きちぎった。

「持って行ってくれ」

「助かるよう祈ってるぞ」

「やめろよ、紅の涙に祈りは似合わん」

 ひどくけなされたような気がした。



 ユウコはアルジャーノンを抱いていた。ざっと見たところ怪我はない。アルジャーノンも、復讐に燃える不機嫌極まりない表情を別にすれば、気になる部分はなさそうだ。

 アルジャーノンの心中は察する。小学生ごとき子供に敗北した、元常勝無敗の獣の女王。プライドはズタズタだろう。

 サイレンはすでに近い。ぐずぐずしているわけにはいかない。

「こっちだ」

 ユウコを促して、橋の破壊部分へと走る。

「ちょっと待った」

 ユウコは、青い顔でコンクリート断面の縁から下を除いた。

 河川敷の湿地帯が広がっている。高さは、まあ、ざっと見てビルの三階くらいなものだろうか? ・・・いや、もう少しあるか。

「飛び降りるの?」

「他に行く場所がない」

「無茶よ! おじさん、グラサンなんかかけてるから、高さとかわかんないのよ! 無理、絶対に無理」

「大丈夫だ」

「なにがよぉ!」

「人間の体は意外に頑丈なんだ」

 説得する時間の猶予はない。俺はユウコの襟首を掴み、跳んだ。

「ひぃやわぁあぁぁぁー!」

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