殺し屋相互扶助組合
車は白の4ドアセダンだった。大都市以外でなら、最もありふれた車種の一つだ。
「軽にしたかったんだが、三人乗るには狭いしね」
ちなみに大都市では、旧型もいいとこのポンコツ車か高級車のどちらかが多い。貧乏人と金持ち。犯罪に巻き込まれる危険を冒す人と、身の安全を金であがなう人。
ご丁寧に用意してあったバスタオルをユウコに渡し、エドを名乗った男も濡れた髪を拭いている。
「おい」
「ん、どしたの? 風邪引くよ」
俺はずぶ濡れの体を助手席へ押し込んだ。
「俺にはタオルなしか?」
「十八過ぎたらもう大人。大人なら、自分のことは自分でしましょう」
「・・・・・・お前、本当にエドか?」
「『本人』 の性格にも影響を受けるんでね。さて、行く当てはあるかい? なんなら、俺が隠れ家用意してあるけど」
少しばかり考えた。
隠れ家をネットで暴露された形跡はなかったが、師匠に知られている場所はもはや安全とは考えない方がいいかもしれない。もちろん、別ルートからあの部屋を突き止められた可能性もあるが・・・
「・・・・・・お前の隠れ家ってのは、どこにある?」
「埼玉県」
なるほど、一時身を隠すには、東京を出るのもいいだろう。もっとも、東京を一歩出れば、そこには昔ながらの安全快適な街があり、俺やユウコのような偽名は通用せず、警察は身分証のない者を容赦なくしょっぴいていく、別の意味で怖い場所でもあるのだが。
「どうせ、一週間といることはないでしょ。仕事が長引くようなら、免許証ぐらい手配するよ」
「いや、いい。今は必要ない」
そこへ行こう、と俺はエドを促した。
エドは巧みに裏道を通っていく。えらく遠回りしているようだが、危険な場所を回避し、なおかつ俺の普段使わない道を選んでいるのがわかった。
ここまで俺のことを知っているということは、この男もエドだというのは、どうやら本当らしい。
「ところで」
ユウコに渡されたタオルに、獣の毛が大量に付着しているのを見てげんなりしながら、鼻歌まじりに運転するエドへ訊ねた。
「俺の名がリストに載った、ってのは本当か?」
「質問が古いよ。昨日の朝から、業界じゃその話でてんこもり。ナガレちゃんを知ってる人は、ひねくれ者が本当にひねくれた、って笑ってる」
「冗談じゃない」
襲撃の数が多かった理由はこれか。
くそッ、とダッシュボードを殴った。
俺がいったいなにをしたって言うんだ?
「リストって、なに?」
後ろから届いた声が能天気で、ますます腹が立った。
答える気にもなれない俺の代わりに、エドが口を開いた。
「お嬢ちゃんは知らなくていいことさ」
「お譲ちゃんなんて呼ばないで」
ぴしゃりと言われて、エドは閉口したように肩をすくめた。
「Dリストってのは」
自然とため息が漏れる。
「組合の作る『好ましくない者名簿』 のことだ」
「組合?」
「あー、組織や個人経営の殺し屋たちが相互に仕事をやりやすいよう、第三者的な立場で監視や調停をしている組織だ。と言っても、過酷な労働条件とか無茶な人事とかいう文句は一切受け付けてくれない。有力組織や実力のある自営業者がそれぞれの手先を出向させていて、独占禁止法だとかいろいろと、裏業界なりのルールを護るため、睨みを利かしている」
ユウコが驚いている気配を感じ取った。
俺だってこんな説明、バカバカしいと思うよ。普段は俺のような末端の殺し屋とは無関係な代物なのだ。
「学校の勉強みたい」
「で、組合が見て好ましくないことをした者は、Dリストに載せられる。違法に客を独占したとか、談合が行われたとか、あるいは前金だけ持ってトンズラこいたとか、黙って組織を抜けたとか」
「リストに載ったらどうなるの?」
それが、今まさに問題なのだ。
「DリストのDは、消去を意味するデリートか、ブラックリストの上をいくダーク・リストの意味だとか、いろいろ言われてるがね」
本気でうんざりした俺を見て、エドが代わりに答えた。
「賞金をかけられ、殺し屋はおろかこの業界のあらゆる人間から命を狙われる。Dリストに載るっていうのは、まず、死を意味するのさ」
軽く言ってくれる。ついでに、Dリストメンバー目当ての賞金稼ぎなんて職業があることも、つけくわえてやりゃいい。
しかし、俺がなにをした? 組合に睨まれるようなことは金輪際してないぞ。組織にも忠実に働いてきたし、横領だってしちゃいない。ターゲット以外の人間も百人ほど一緒に吹っ飛ばした奴が昔いたが、ああいう無茶もしたことがない。
「じゃあ、エドさんもおじさんを狙ってるの?」
ユウコの何気ない一言が、瞬時に車内を凍りつかせた。
俺の殺気だ。
迂闊すぎる。リストに載ったのであれば、たとえ付き合いの長いエドであっても、俺を狙う恐れがじゅうぶんにあったのに。
「あはははは」
冷えた空気には場違いな明るい声で、エドは笑った。
「馬鹿言わないでよ。さっきも言ったろ? ナガレちゃんを知ってる人は、笑ってる、って」
「・・・・・・?」
「おかしいと思って調べてみたのさ。そしたら、ナガレちゃんの師匠が裏でこそこそやってた。組合に掛け合って、一時的にDリストに名を載せるよう頼んだみたいだね」
「・・・・・・!」
反射的にダッシュボードを殴っていた。二撃目のパンチで、複合プラスチック素材は粉々に砕けていた。
「ナガレちゃんみたいな腕利きには、今後もご贔屓にしてもらいたいからさ。そのためには、ピンチに手を貸すことだ。勝てないとわかっててつけ狙うことじゃないよ」
それと、車の修理代は請求するからね。
そう付け加えるエドの横顔を睨み、俺は心中で馬鹿笑いをする師匠の顔へ怒鳴りつけた。
――お前ら、人の苦労も知らないで!