公園での邂逅
長くなるかもしれません。
作者自身先が読めないのです。
ですが、なんとか続けたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
初めて人を殺したのは、十八の時だった。
手についた血を、雨が洗い流してくれた。
原宿の駅から歩いて五分かそこらだ。
この街は、その程度の距離で人口密度が急変する。
駅前から竹下通り、代々木公園にかけての人ごみは凄まじいのに、一歩外部へ出ると、閑静な住宅街が広がっていて、古臭い木造家屋も並んでいれば、モダンな新築も建っている。ただし、この家屋の三分の一ほどは廃屋だ。
いくつもの大掛かりなテロが、この国の根幹を揺るがしたのは、数年前のこと。BC兵器によるものであれ、サイバー空間を跳梁するものであれ、テロは人口密集地帯を目標にする。人は、東京を始め大都市から逃げ出した。
家屋の残り半分が、都会に残った者の住処。最後の半分は、鍵を壊して不法に間借りしている犯罪者の巣だ。
渋谷区には、最近では低年齢化激しいため単にチルドレンとも呼ばれるギャングたちが多いから、この辺りの廃屋に住み着いているのは、小、中学生ぐらいの子供が多数だろう。確認したわけではないが。
約束のさびれた公園へ入ると、彼女はすでにベンチに腰かけていた。
知らされた通りの服装。細身のワンピースに短いジーパンを合わせ、薄手のカーディガンを羽織った姿は、目立つものではない。ただ、明るい色調が、この会見の目的には似合わない。
隣に座ると、話しかける前に、彼女から声をかけてきた。
「殺し屋さん?」
物騒な響きだ。耳にするたびに、職業選択の自由がなかった人生を振り返ってイヤになる。
物珍しい珍獣でも観察するような少女の目を一瞥して、かけているサングラスをゆっくり指で押し上げた。
「ナガレだ。殺し屋とは呼ばないでくれ」
「じゃ、なんて呼べばいいの?」
「ナガレさん、だ。で、きみが?」
「ユウコよ。カツラ、ユウコ」
やっぱりこの子か。
ファイルの依頼者に関する項目へ目を通した時、なにかの間違いかと思った。入力ミスとか、年齢詐称とか。だが、あれはすべて正しかった。
少女は十四歳。コロシの依頼をする年齢ではない。
「あー、こちらで連絡の食い違いがあったのかもしれないが、ためしに聞いておく。人を殺したいんだな?」
「そう」
「いじめっ子でもいるのか?」
「違うわよ!」
彼女は身を乗り出して全身で否定した。
やってられない。秘密裏の話という前提をこの少女は忘れている。大声は一番の禁止事項だ。
「どっちかっていうと、あたしがいじめる方よ!」
胸を張って言えることではないと思うが?
「静かにしてくれ」
釘を刺して、彼女に訊ねた。
「誰かを殺したいほど、憎んでいるわけか」
「そうでなきゃ、殺し屋を雇おうなんて思わないでしょ」
その通り、正論だ。多くの場合、憎いから殺したくなるのだから。
しかし、十四歳のガキが言う言葉ではない。
「あー、金は払えるのか?」
「平気。パパの保険があるから」
「なるほど、つまりパパは病気か、怪我か、もしくは亡くなっているか」
「最後のやつよ」
お悔やみは出ない。この街では、死はあちこちにごろごろ転がっている。いちいちご愁傷様と声をかけていては、メシを食う暇もなくなる。
「ふむ、ということは、これは想像なんだが」
「たぶん、おじさんの考える通り」
「では・・・・・・」
一瞬間を置いて、目の前が暗くなった。
なんだって?いまなんて言った?
「おじさん?」
正直に言おう。人生で、おじさんと呼ばれたのは初めてだ。そう呼ばれて怒っている者を見る度に、奇異な感想を抱いたものだが、なるほど納得。けっこうショックでかい。
「ユウコちゃん」
「ちゃんなんかつけないで」
「じゃ、ユウコさん。たとえば、街中で二十三歳の若々しい青年と出会ったとしよう。殺し屋なんかやってないから苦労も知らず、全然老けてなくて、歳相応に見える美青年だ。この人は、お兄さん?おじさん?」
十四歳の怪訝そうな顔が傾いた。
「おじさん」
疑問形ですらない、断定。
そうか。二十三歳はおじさんか。老けてるとか、そういう問題ではないのか。
「どうしたの、おじさん?」
「ちょっと黙っててくれないか。新たに気付かされた真理に、ちょっと戸惑っているんだ」
少し時間をかけて認めたくない真実を飲み込み、ようやく本題を思い出した。
「あー、すまない。その、あれだ。パパを殺されて、仇をとりたい」
「ピンポン」
時代遅れな正解の擬音が、生意気にもリップなんぞ塗っている唇から飛び出した。
「しかし、そいつは、お、お、おじさんの管轄じゃないな。犯人がわかってるなら、警察に届ければいいだけの話だ。殺し屋を雇うなんて」
「相手が高見清介でも?」
突然つきつけられた大物の名前に、咄嗟に二の句をつげなかった。
高見清介だって?
「あの、高見清介?」
「そ。あの、たかみせいすけ」
一語一語区切るように言う。
「馬鹿な、なんだって都の副知事が殺しなんかするんだ」
「副知事になる前の話」
彼が都知事の推薦によって現在のポストを得たのは二年前。
「いつの話だ?」
訊ねながら、頭の隅で警告ランプがともった。五年の殺し屋生活と、それ以前の大量殺戮者製造教育で培った、動物的な勘が、なにかの臭いを感じたと囁いている。
何気なく周囲を見回し、公園の外にさきほどは見なかった車が止まっているのを確認した。
公園へ入る前に、当然周辺は調べている。この会見が罠ではないという保障はないのだ。その懸念が当たったか?
しかし、車の接近に気付かなかったのは迂闊だ。少女との会話はリズムを崩されっぱなしで、感覚が狂っていたらしい。
「五年前。あたしの目の前で、パパは撃たれたの」
車の存在に気付いていないのか、それとも最初から車の連中とグルで、時間稼ぎをしているのか、ユウコは淡々と喋っている。
いや、時間稼ぎではあるまい。平気な顔を作っていながら、ほんの一瞬だけ眼に走った哀しみの表情は、サングラス越しにも見てとれた。彼女は、真実を語っている。
横目で、車から降りる男を確認した。三人。全員が暑苦しいスーツに身を包んでいるが、凶悪なツラは品性の欠片もなく、ビジネスマンとは程遠い人種だとわかる。
彼らの視線がこちらを向いた瞬間、ピンときた。
やつらは猟犬だ。
狙われる覚えは山ほどある。が、そいつらが実力行使するつもりなら、殺人のプロか破壊活動の専門家を送り込んでくるはずだ。あんなチンピラなど使うまい。まさか、狙いはこの子なのか?
「ユウコさん」
「なに、おじさん」
「・・・・・・ナガレさんと呼んでくれ」
教育者が最初に子供へ教えなければならないこと、それは、たとえ相手がおじさんでも、お兄さんと呼んであげる慈しみの心だ。
「きみは、誰かに狙われる覚えがあるかい?」
ユウコの顔色が変わった。
男たちが公園へ入ってきたところだ。
誰かに追われる立場なら、公園というのは人と会うのに適している。入り口を確認できる位置に陣取りさえすれば、どこからでも逃げられるし、周囲すべてを包囲される心配もない。そこまでは、ユウコさんも合格だ。問題は、せっかく見晴らしのいいベンチを選んでも、周囲への注意を怠ったことだ。
慌てて立ち上がろうとする彼女の腕を掴み、強引に座らせる。
「相手は誰だ?」
「ちょっ、そんなこと言ってる場合じゃ」
男たちは、最初こそ突進の構えを見せていたが、グラサンかけた変なおじさん――やつらにはそう見えると思う――が少女を取り押さえているのを見て、歩調を抑えた。
ゆっくりとした歩みが、相手を威嚇し恐怖を与えるのだと、知っているらしい。ごつい顔通りの荒事専門家で、不細工な顔に似合わぬ知恵も持っている。相手が十四歳の少女一人なら、確かに脅威となる男たちだった。
「相手は誰だ?」
「知らない、高見清介の部下の部下の部下の部下辺り」
なるほど、近所のヤクザ辺りか。
やつらは、青くなったユウコと、グラサンかけた変なおじさんの前に立った。