原稿用紙と、ま、いっかー
花粉症でティッシュ一年分を抱え現れた瀬戸。
不注意で脚本家の原稿を汚すが、
自慢の「ま、いっか」で独自の献立を書き加え、
彼女の窮屈な心を救う。
食事を忘れて大騒動の末に、店主と爆笑で夜を囲む。
二月の底冷えする夜、脚本家の女性が店に忘
れていった原稿の束を、健太は大切にレジ横
へ置いていた。
『明日、取りに来るかな』
そう呟いた矢先、勢いよく暖簾をくぐって
きたのは、以前、赤い靴を履いて迷い込んで
きたあの青年・瀬戸だった。
今日の彼は、なぜか大きな紙袋をいくつも
両手に提げ、鼻を真っ赤にしている。
「いらっしゃい……。えっと…、その大量の
袋はどうしたの?」
健太が問いかけると、瀬戸は袋を足元に置
き、ズルズルと鼻を鳴らしながら穏やかに答
えた。
「ああ、これですか。福引で『ティッシュペ
ーパー一年分』が当たったんです。今年は
花粉が飛ぶのが早いみたいで。鼻が真っ赤で
すけど、これで心置きなくかめるから、ま、
いっかと思いまして」
健太は思わず吹き出した。
「キミの周りでは、本当に退屈なことが起き
ないね。……あ、おっと、ごめん」
健太がカウンターを拭こうとした拍子に、
レジ横に置いていた『原稿の束』が、瀬戸の
足元のティッシュの山へと崩れ落ちてしまった。
「あ、すみません! 拾います」
瀬戸が慌てて手を伸ばした時、運悪く彼が
飲んでいたお冷のコップが倒れ、原稿の一枚
に水がじわりと移り、文字が少しだけ滲んで
しまった。
「……あ、文字が消えちゃった。ま、いっか。
僕が新しく書き足しておきますね」
瀬戸はカバンからマジックを取り出し、滲んだ
部分にさらさらと何かを書き込んだ。
それは脚本の続きではなく、なぜか『肉じゃが
定食』という献立案だった。
健太は頭を抱えたがその時、脚本家の女性が
血相を変えて店に戻ってきた。
「すみません、忘れ物を……! 」
瀬戸はニコリと笑って、ティッシュの山の中
から原稿を差し出した。
「これ、書き足しておきました。ま、いっか、
という展開も悪くないですよ」
女性は絶句したが、書き足された一文を見て、
なぜかフッと肩の力を抜いた。
「……ふふ、そうね。ガチガチに考えすぎて
いたわ。こんな風に、ま、いっかって思える
結末も、ありかもしれない」
女性は不思議な活力を得て、瀬戸にお礼を
言いながら去っていった。健太は、瀬戸の
飲みかけのコップを見つめ、苦笑いした。
「キミ、次はもう少し身軽な格好で来てよ」
健太が笑うと、瀬戸は大量のティッシュを
抱え直しながら、ふっと思い出したように
顔を上げた。
「あ、そういえば僕、まだ名乗っていませ
んでした。瀬戸といいます。瀬戸一馬です」
「瀬戸くん、か。分かったよ」
二人は顔を見合わせて笑い合い、瀬戸が
「それじゃ、また来ますね!」と踵を返そ
うとした。
健太が「ありがとうございます……」と言い
かけた、その時だった。
瀬戸が「あ!」と声を上げて立ち止まった。
「……僕、まだ何も食べていないんでした。
お腹空いたなぁ」
健太は一瞬呆然とし、それから今日一番の
爆笑をもらした。
「ははは! 本当だ、キミ、何しに来たんだよ」
「いやぁ、ティッシュが当たって舞い上がっ
てしまって。ま、いっか」
健太は目尻を拭きながら、フライパンを握り
直した。
「いいよ、何にしましょうか?」
瀬戸はカウンターに座り直し、壁に掲げら
れたたった四つのメニューを見上げながら、
ニコニコ顔で言った。
「どれがいいかなぁ。……店主さんのおすすめ
ありますか?」
三月に向けた路地裏の夜は、福寿草の黄色い
花に見守られながら、二人の賑やかな笑い声
と共に更けていった。




