はじまりの、ま、いっか
迷子になり、なぜか片足が真っ赤な靴で現れた新人の瀬戸。
店主・健太はその「ま、いっか」な姿勢に驚きつつも、
温かい祝膳で彼を迎える。
社会人一年目の瀬戸は、配属初日にいきなり
道に迷っていた。
地図アプリを頼りに歩いていたはずが、気づ
けば街灯の少ない、細い路地裏に入り込んで
いた。
ふと足元を見ると、自分の革靴の右足だけが、
なぜか真っ赤なペンキで塗りつぶされている。
「……あれ。どこで踏んだんだろう」
普通ならパニックになるところだが、瀬戸は
首を傾げただけで立ち止まった。
「ま、いっか。左右が違う色なのも、個性的
でいいかもしれない」
そんな時、鼻先をくすぐったのは、出汁の
効いた食欲をそそる香りだった。
ふと横を見ると、古びた暖簾に『喜怒哀楽』
と書かれた店がある。腹の虫が鳴った。
瀬戸は吸い寄せられるように、その扉を開けた。
「いらっしゃい。……キミ、その靴どうした
んだい?」
カウンターの中で包丁を握る健太が、驚いた
顔で瀬戸の足元を指差した。
瀬戸は自分の赤い靴を見つめ、のんびりと答
えた。
「さあ、気づいたらこうなっていて。でも、
歩けるから、ま、いっかと思いまして」
健太は絶句した。自分と同年代か少し年下に
見える客が、あまりにも異常な状況を平然と
受け入れている。
「……変わってるね。で、注文は?」
瀬戸はお品書きの『喜』を指差した。
「初出勤でお金はあまりないんですけど、
無事に一日終わったので、お祝いを」
健太が出したのは、大盛りの『鯛めし』と、
熱々の『あさりの味噌汁』だ。
ひと口食べた瀬戸の顔が、ぱあっと輝いた。
「美味しい……。迷子になって良かったです」
瀬戸が店を出る時、健太は思わず声をかけた。
「ねえ。また道に迷ったら、寄ってよ」
「はい。次は何色に染まっているか分かり
ませんけど。ま、いっか」
瀬戸の背中を見送りながら、健太は苦笑した。
この路地裏に、また一人、得体の知れない
面白い客が迷い込んできたようだ。




