二月のふきのとう
新生活を控え不安を抱える青年に、
健太は旬の『芽吹き天ぷら』を出す。
ほろ苦い春の味と店主のエールが、
彼の心を前向きに温めた。
北風が路地裏を吹き抜ける二月の夜、足元に
大きなボストンバッグを置いた一人の青年が
暖簾をくぐった。彼はカウンターの端に座る
と、ふぅ…と小さくため息を吐き出した。
「いらっしゃいませ。……お荷物、お預かり
しましょうか? 重そうですね」
健太が温かいお茶を差し出すと、青年は緊張
した面持ちで会釈をした。
「あ、すみません。ありがとうございます。
……今日、この近くのシェアハウスを内見し
てきたんです。四月から、この街のIT企業で
働くことになりまして」
青年の表情には、新生活への『期待』とそれ
以上に膨らんだ不安が、マーブル模様のよう
に混ざり合っていた。健太は少し考え、厨房
の奥から『哀』と『楽』の二つの札を取り出
した。だが、それらを並べて掲げることはせず、
代わりに鉄鍋の中に今年初めて仕入れた
『ふきのとう』を投入した。
「おまちどうさま。
二月の特製『芽吹き天ぷら定食』です」
運ばれてきたのは、サクサクに揚げられた
ふきのとうの天ぷらと、春の野菜をたっぷり
使った豚汁だ。
青年がおそるおそるふきのとうを口に運ぶと、
独特のほろ苦さが舌の上に広がった。
「…苦い。でも、なんだか癖になる味ですね」
「春の芽吹きは少し苦いものなんですよ。
キミがいま感じている不安も、新しい自分に
なるための大切な栄養ですから」
健太の言葉に、青年はハッとしたように箸を
止めた。食べ進めるうちにふきのとうの苦味
の奥にある甘みがじんわりと広がり、冷え切
っていた彼の胃袋と心を温めていく。
完食する頃には、青年の顔から強張りが消え、
明日への小さな勇気が灯っていた。
「ごちそうさまでした。……この街、なんだ
か好きになれそうです」
青年が立ち上がり、重いバッグを肩に担ぎ直
した。健太は暖簾を少し持ち上げ、夜の路地
へ踏み出す彼の背中に向かって声をかけた。
「四月から、待ってますね。引っ越しが終わっ
たら、また食べに来てください」
青年は驚いたように振り返り、
それから今日一番の明るい笑顔で「はい!」と
答えた。
青年が店を出る時、鉄鍋がチリンと、雪解けの
水が跳ねるような音を立てた。
それは、凍てついた不安が溶け出し、前向きな
『準備』に変わった合図だった。
レジ横の桃の花が、新しい門出を祝うように、
ふわりと香った。




