チア│人間の一日フェイズ
チアは、再び人間になっていた。
「ふぁっ……」
思わず、ちんあなごの時の癖が口からこぼれる。
足が地面についている感覚が、まだ落ち着かない。
手も、声も、視界も、ぜんぶ情報が多すぎた。
「あー……やっぱり」
後ろから、ため息まじりの声がした。
「もしかして、ちんあなごちゃん?」
振り返ると、里香が立っていた。
少し心配そうで、でもどこか確信めいた顔。
チアは、言葉を探すように一瞬迷ってから、
こくん、と小さくうなずいた。
「……ごめんね」
里香は、チアの目を見て、ゆっくり言った。
「どうしてもね、明音が
“人の楽しさ”を知ってほしいって言ってたの。
だから、もう一度入れ替わりたいって」
チアは目を見開いた。
(……あの子が?)
胸の奥が、じんわりあたたかくなる。
同時に、少しだけ、申し訳なさも混じった。
「……そっか」
チアは小さく息を吐いた。
不思議と、納得できた。
里香はふっと笑って、
いつもの調子で言った。
「じゃあさ。せっかくだから」
にこにこと、まぶしい笑顔。
「明日、おでかけしよっか」
その言葉に、チアは一瞬固まってから、
また「ふぁっ……」と声を漏らした。
でも今度は、
不安より、ちょっとした期待の音だった。
ー翌日
街は、音と色であふれていた。
お店のドアが開く音。
袋が擦れる音。
ショーケースに並ぶ、きらきらしたスイーツ。
「これとこれ、どっちがいいと思う?」
里香に聞かれて、
チアは真剣に考えた。
(……砂より甘い)
ケーキは、びっくりするくらい甘くて、
口の中がふわっと幸せになった。
カラオケでは、
マイクの持ち方もわからなくて、
画面に出る文字を必死に追いかけた。
声はうまく出なかったけど、
里香はずっと笑っていた。
「大丈夫大丈夫、初めてならそんなもん」
誰も、比べなかった。
誰も、急かさなかった。
ただ一緒に、時間が流れていった。
楽しい、チアは心からそう思った。
チアが笑顔になっている姿を見て里香も安心した。
「よかった、楽しんでもらえて」
ぼそっと言葉が漏れたが、チアには聞こえていなかったようで
チアは不思議そうに首を傾げた。
そして、夕方。
二人は、最後に水族館へ向かった。
静かな館内。
少し暗くて、
水の音がやさしく響く。
チアは、無意識に足を止めた。
(……ここだ)
あの場所。
あの水槽。
「……明音」
声に出すと、胸が少しきゅっとなった。
ガラスの向こうには、
砂の中から、ゆらゆらと顔を出す
ちんあなごの影が見えた。
チアは、そっと近づいた。
今度は――
逃げない。
今度は――
ちゃんと、向き合える気がした。




