チア|スタートフェイズ
始まった。
水に入った瞬間、
体が、思ったより重たい。
チアは、
水槽で覚えたみたいに、
体を、ゆらゆらさせる。
前に進もうとして、
腕を動かす。
脚を、動かす。
——でも。
息が、続かない。
胸が、苦しくなって、
動きが、止まる。
水の上に、
ふわっと、浮いてしまう。
気づいたときには、
周りの人たちは、
もう、先に行っていた。
水の音だけが、
遠くなる。
声援も、
笛の音も、
聞こえなくなる。
——どうしよう。
不安が、
胸いっぱいに広がる。
「……ふわっ……」
思わず、
声が、水に溶ける。
チアは、
また、ゆらゆらする。
少し進んで、
止まって、
息をして。
また、
ゆらゆら。
速くなくていい。
きれいじゃなくていい。
止まって、
進んで、
それを、繰り返す。
やっと、
ゴールに、触れた。
そのとき、
小さな拍手が、聞こえた。
でも。
頭には、
何も、入ってこなかった。
——うまく、いかなかった。
水槽の中では、
ただ、揺れているだけで、
人は、笑ってくれた。
止まっていても、
進まなくても、
「かわいい」って、言ってくれた。
でも、ここでは。
視線が、
痛い。
期待が、
重たい。
チアは、
プールから上がって、
走る。
振り返らずに、
会場を、後にする。
——自由になれたはずなのに。
その代わりに、
こんな重さを、
背負うことになるなんて。
「明音!」
里香は、
後を追おうとした。
でも、
そこに、チアはいなかった。
胸の奥に、
いやな予感だけが、残る。




