ラーメン屋の評判
ある一軒のラーメン屋があった。
ある日、そのお店にAとBの二人の客が入った。
Aはその店のラーメンが好みであったため美味しいと思ったが、Bは好みでなかったため不味いと思った。
食事の後、二人はそれぞれの友人とその店について話をした。
Aはその店のラーメンが気に入ったため、同様にその店のラーメンが好きだという人達と話をして楽しんだ。
Bはその店のラーメンが嫌いだったため、同様にその店のラーメンが嫌いだという人達と話をして頷き合った。
それから数日後、Aは偶然、その店のラーメンが嫌いだという話をしている会話を聞いてしまった。
その話にショックを受けたAは、その店のラーメンが好きな人達と話をして、「美味しいのにね~」と頷き合った。
同じ頃、Bは偶然、その店のラーメンが好きだという話をしている会話を聞いてしまった。
その話にびっくりしたBは、その店のラーメンが嫌いな人達と話をして、「そんな人もいるんだね~」と驚き合った。
また別の日、Aは友人であるCを連れてそのラーメン屋に行った。
しかしCはその店のラーメンを不味いと思った。
Aは自分が好きだったラーメンを不味いと言われたため、Cは美味いと聞かされていたラーメンが不味かったため、互いの感想に共感できず驚いた。
また、Bは友人であるDに試しに連れて行って欲しいと頼まれ、そのラーメン屋に連れて行った。
しかしDはその店のラーメンを美味いと思った。
Bは自分が嫌いだったラーメンを美味いと言われたため、Dは不味いと聞かされていたラーメンが美味かったため、互いの感想に共感できず驚いた。
ドイツの詩人 フリードリヒ・フォン・シラーは「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする」と言った。
人は自分の正の感情を他人に共感してもらえることで喜びを感じ、負の感情を共感してもらうことでそれを和らげることができる。
しかし、誰かの正の感情が誰かの負の感情の原因になったり、逆に誰かの負の感情が誰かの正の感情の原因になることもある。
厄介なのは、あるものに対して正の感情を語る場と負の感情を語る場が、分離できないことである。
誰しも、自分の好きなものを悪く言われることや、逆に嫌いなものが高評価を受けていると悲しみや怒り、不満を抱いたりする。
そしてその感情をまた誰かに共感して貰いたいと考え、多くの人と話そうとする。
その会話が会話の対象について、語り手と逆の感情を抱く者の耳に入り、余計な負の感情を生み出してしまう。
また、評価の対象となるものに直接に触れるまで、それに対して正と負のどちらの感情を抱くかはわからない。
共感して貰いたくて話した結果、共感を得られずに互いが負の感情を抱いてしまう場合もある。
感情の共感は場をわきまえて行うことや、関係のない者を巻き込まないように配慮しなければならない。
また自分とは、逆の評価をする者が周りにいることを常に念頭に置くべきである。