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レモンの樹

とある少年の初恋。

あるいはエンリコ マリーノ被害者の会。


4/7 改稿しています。

 

 冬枯れの庭の中、その一角だけは青々とした色彩を放つ。黄色い実をつけた大樹とその周辺に生えるハーブだけはブラトーの厳しい寒さに負けず青々と葉を茂らせていた。


 大樹の根元にはツイードの帽子が一つ。中には鮮やかな黄色い実がいくつか入っている。


 見上げると十歳位だろうか。ツイードの上着に膝丈の半ズボンを履いた茶髪の少年が梢へ向かい樹をよじ登っている。


「あと一つ…あと一つだけ…!」


 養い親の邸に来て以来、少年がはまったのがレモンを使ったお菓子だった。レモンパイにレモンケーキ、レモン味のマドレーヌ。レモンピールにウィークエンドシトロン。


「ヘンリーさんも結構食べるからな。もう少し取っておきたいんだよ。」


 養い親と過ごすお茶の時間が好きだった。整いすぎた顔の養い親が、レモン菓子を食べる時だけ見せる懐かしそうな表情──それが「家族」の温もりに感じられた。


 もう冬も後半に差し掛かかる。

 秋の頃は少年が手を伸ばせば簡単に採れていたレモンの実も今は梢近くに残るだけ。枝先にぶら下がる最後のレモンに少年が枝から飛び出す棘を避けつつ手を伸ばそうとした時。


 バキッ!バキバキバキ!


「わっ!?」


 枝が折れる音と共に、視界が逆さまになった。頬を走る鋭い痛み。


「あ~っ」

『危ない!』


 ポスッ


 目を閉じたが予想した痛みはいつまでもやってこない。一瞬だけ身体が浮かぶ感覚。目を開けると、ハーブの絨毯に抱かれていた。


『貴方、欲張るのもいい加減になさい!枝ごと落ちたら命がないでしょう!』


 剣呑な女性の声にびっくりして見上げた瞬間、少年の時が止まった。こんな綺麗な人、見たことがない。


 ──絵本の姫君が、怒りながらも輝いていた。


 流れるような金髪、緑のドレス。光を纏うような肌に垂れ気味な碧い瞳。そして、少年の魂を鷲掴みにする何より美しい…。


 ぽか~んと口を開けて見惚れる少年に厳しい声がかかった。


『貴方ね、いくら私とエンリコの魔力で保っていても…」


 少年は首を傾げた。


『ちょっと、貴方!ちゃんと聞いていて?』

「は、はい。女神…さま…?」


『女神ですって?』彼女の唇が緩んだ。『私はベアトリーチェ。ただの──』

「幽霊ですよね」


 思わず口にした言葉に口を塞ぐももう遅い。だがベアトリーチェは楽しそうに笑った。

『あら、鋭いわね。何年も前の幽霊よ、私。』


「エンリコ…? あ、ヘンリーさんのこと?」

『そう、魔法使いのエンリコ・マリーノよ、こちらではヘンリー・マーリンかしら。』


 彼女の目が懐かしそうに細まった。


『貴方の瞳の色、エンリコとそっくりね』


 トマスが頬に触れると、血がにじんでいた。ベアトリーチェが手をかざすと、傷が金色の光に包まれた。


『これで大丈夫。でも──』


 突然、彼女の表情が険しくなった。


『リモネの木は私がエンリコに贈ったの。枝を折ったら魔力で修復しなくてはならないから、木が弱るわ。』

そこで彼女は息をつき、諭すように声が優しくなった。

『それに、まだ小さな貴方が怪我したり死んでしまったらエンリコはもっと悲しむわ。』


 そうだった。助けてくれた恩人に心配をかけてはいけない。少年は反省した。


「ごめんなさい。レディ。もう無理してレモンを取りません。」

『分かればよくてよ。レモンはまた実るからしばらく待っていて。』

「はい。」


『ところで貴方、名前は?』

 女性(レディ)にトマスは名乗った。

「僕はトマス。トマス レーンです。レディ。」

『私はベアトリーチェ。こちら(プラトーニア)の言葉だとベアトリスかしら?エンリコは私の祖先にあたるの。』


 まさかの養い親の子孫だった。

 『どれだけ長生きしてるんだ、あのおっさん』と呆れる少年。


「先ほどは怪我を治して頂き、ありがとうございます。レディ ベアトリーチェ。」

 最近、養い親に教わったばかりのお辞儀をしてトマスが礼を言うと。


『あら、素敵な紳士ね、貴方。将来有望ね。』


 と美女に微笑まれて少年の心は舞い上がった。(ああ、習ってよかった礼儀作法。習った時はド平民が貴族や王族と会う機会があるかよ、と思ったけど。ヘンリーさん感謝します。)


「レディ ベアトリーチェ、お時間がありましたらヘンリーさんの事を教えていただけませんか。僕の養い親なんです。」


 それから二人はレモンの樹の根元に座り、少年トマスの養い親 ヘンリー マーリンの話(主にやらかし)で盛り上がった。


「本当に時間を忘れますよね。研究に夢中になると何日も書斎から出てこないんですよ、あの人。」

『そうよね!それに断りもなく音信不通になるのよ、エンリコは』

「そうそうそう!それもわかります!」


 二人で深く頷き合った。二人とも幼い頃から少なからずマイペースな魔法使いに振り回されていたから仲間意識が出来上がるのはあっと言う間だった。


 トマスはヘンリーが吟遊詩人をしていた過去に驚いたし、ベアトリーチェはかつてエンリコが唄った「緑の瞳」が歌劇「ベアトリーチェの真実の愛」になり今も人気を博しているのに驚いた。


『ねえ、歌ってくれない?』


 ベアトリーチェが瞳を輝かせる。


『エンリコが歌った「緑の瞳」を。いつの間にか歌劇になっているなんて!』


 しばらく歌と笑い声が続いた後、空が急に暗くなった。遠雷が轟く。


『あら…』 


 ベアトリーチェの表情が柔らかくなった。


『アルベルト様が迎えに来たわ』

「アルベルト様?」

『私の夫よ』


 彼女の微笑みに、どこか諦めと甘さが混ざる。


『信じられる?あの方、私が死んだらすぐに後を追ったのよ。子ども達や孫達の話を土産話に聞くのを私、楽しみにしていたのに。』


 ベアトリーチェはため息をつきながらも、目尻を緩めた。


『まさか文字通り「死んでも離さない」になるとは…』


 怖っ。男の執着にトマスはドン引きした。知りたくなかった、こんな愛の世界は。


 蒼ざめる少年を余所に女は艷やかに微笑んだ。


『最初は呆れたけれど』

 彼女の指先からふわりと光りはじめる。

『今ではこの執着も、アルベルト様の一部だと思うの』

「そ、そうですか…」


 少年はぎこちなく笑った。

そっか、本人達がそれで満足しているのなら良いのかもしれない。まだ子どものトマスには理解できないし、これからも理解できそうにないけど、と少年は思った。


『トマス レーン、楽しかったわ。

これでお別れね。知っていて?エンリコは子どもの頃は貴方のような茶髪だったのですって。』


 そう言ってトマスの髪を軽く梳る白い手と優しい瞳は、優しかった頃の亡き母を思い出させた。


『良く見える瞳を持つトマス。きっと貴方はアルベルト様にも似ているのね。貴方が幸せに過ごせますように。』


 ふわりと雪が舞い始めた。半透明になった彼女の輪郭がぼやける。そうしてベアトリーチェは姿を消した。


「人生最初の恋が…幽霊だなんて…」


 帽子からこぼれ落ちるレモンを見下ろしながら、トマスは深く嘆息した。頬に触れると、もう傷跡さえ残っていない。ベアトリーチェの優しい手の感触だけが残っていた。


(祝福はされたけど。その分、男に呪われそうだ。一応、先祖?らしいけど。)


 クシュンッ


 冷え切った鼻先が赤くなっているのを感じた時、背後で雪を踏む音がした。


「トマス」


 温かい声が背後から響いた。振り向くと、整いすぎた顔の養い親が心配そうな目をして立っている。


ふと、ベアトリーチェの言葉が蘇る。『エンリコは子どもの頃は貴方のような茶髪だったのですって』

(つまり、ヘンリーさんは僕の遠い先祖ってこと?全然似ていないぞ。やっぱり信じられないな。)


「レモンカードを作って貰いましょうか」


 トマスはわざとらしく肩をすくめた。


「…甘酸っぱいのがいいです。超がつくほど」

そう答えると、トマスは自然と歩幅を合わせた。

「…帰ろうか」

「ええ」


並んだ影が雪の庭に長く伸びていく。トマスが抱える帽子の中のレモンから甘酸っぱい香りが立ちあがる。儚い初恋と複雑な想いを胸に、少年は養い親と一緒に邸へ戻って行った。

この世界のレモンは品種改良の結果、夏みかんの木にレモンの実がつくイメージです。


その後の会話。

「ヘンリーさん、ベアトリーチェさんってお母さんというか、なんか子どもを叱りなれている感じがしたんだけど。」

「ああ、あの子は。当時では珍しく5人も子どもを産んでね。それが全員わんぱくやお転婆で。いつも子ども達を叱っていたよ。」

「やっぱり」

「それでも、楽しそうにして子ども達を可愛がっていたね。夫がやきもち焼くくらいにね。」

「……。(やはり、そうか)」

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