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令嬢は俯いてから、鬱憤を晴らす

全四話を予定していましたが、全五話になります。



 

 二ヶ月後、ベアトリーチェは父ジュリアーノから呼び出された。予想以上に早い呼び出しだ。紫檀の執務机の向こうの父はにっこにこに笑っている。父の隣に控える兄クラウディオも同じように笑みを浮かべていた。


「リーチェちゃん、見つかったよ!条件ぴったりの男が。先方は奥方を亡くしてからずっと独り身でね。打診したら快諾してくれたよ。いや~良かった、良かった」


 ――嘘でしょう?


ベアトリーチェは目眩を覚え、思わず瞳を閉じた。長い睫毛が頬に影を落とす。


 (さようなら、夢の修道院生活。楽しい夢を見れた二ヶ月だったわ。)


 深呼吸を一つ。貴族の娘としての表情を整え、覚悟を決めた笑みを浮かべて言った。


「かしこまりました、お父様、お兄様。タンクレーディ家の娘として、務めを果たします」


 戸惑うジュリアーノが声をかけた。


「リーチェちゃん、どうしたの?相手の事を知りたくないのかい?」


 ベアトリーチェは微笑みを崩さずに答えた。


「お父様、お兄様が探してくれた方ですもの。私、信じてますわ。この度は、私のわがままにお付き合いくださり、ありがとうございます。」


 そう言うと、父と兄は満足そうに顔を見合わせた。いつもは冷静な二人が、珍しく浮かれているように見える。


「まあ、良いだろう。会うのは一ヶ月後だ。未来の夫君に綺麗な姿を見せられるように支度をなさい」

「リーチェは支度なぞしなくても美しいがな。あの男なら安心して任せられる。」


 会えば分かるとご機嫌な父親と兄を背に、ベアトリーチェは自室に戻った。どうやって部屋にたどり着いたのか、自分でも覚えていない。


◇ ◇ ◇

(姫様の縁談が決まった!)


 先方は早めの婚姻を望まれているという。「急げや急げ」とばかりにタンクレーディ家中は騒がしい。


 次々と持ち込まれるドレスに宝飾品。なぜか緑色の装飾が目立つ。(この色選びが、ベアトリーチェの苛立ちをさらに募らせる)。父と兄は持参金の話で盛り上がっている。


 ベアトリーチェは一人、その騒ぎから取り残されたように感じていた。


 人払いした自室でベアトリーチェは俯いていた。かつてアルマンドが聞かせてくれた歌が耳に蘇る。


 麗しき人     なぜ俯く  

 縁が定まる    晴れの日に


 私が決めた男は  良い男だ

 何の不満があると 言うのだ




 ――もう終わったのに。忘れたはずなのに


 ベアトリーチェは思いだす。必死に忘れようとしてきた()()()の事を。


 ――兄クラウディオの学院時代の友人でよく我が家を訪れていた黒髪に緑の瞳のあの方。アルベルト モンテフェルト公爵子息。


 『小さなお姫様』と呼んで可愛がってくれたあの方。母を亡くした寂しい幼子を、暖かく見つめ、笑いかけてくれた。その瞬間、彼女は恋に落ちた。


遊びに来るたびに、自分を前に乗せて遠乗りをしてくれた。乗馬の楽しさを教えてくれたのもあの方だった。


 (バイオリンが玄人並みに上手で、いざとなれば街頭芸人でも食べていけるわ、とお兄様と笑いあったっけ)


  まだ幼かったベアトリーチェは、心に決めていた。『いつかアルベルト様のお嫁さんになるの』と。

アルベルト様の隣に立てるように淑女教育に勉学に励んだ。モンテフェルト公爵家の三男だったあの方は従属爵位である伯爵領を受け継がれる予定だった。


9歳で政略結婚した時も、期間限定の白い結婚だったから『いつかアルベルト様が迎えに来てくれる』と淡い夢を見ていた。放浪中のあの方から「必ず迎えに行く」という手紙をもらっていたから。


14歳。離縁直前にアルベルト様はご結婚されてしまい手紙のやり取りは途絶え夢は潰えた。


(モンテフェルト公爵家の跡継ぎと次男が「真実の愛」と称して婚約者を蔑ろにし、一人の女性をめぐって決闘騒ぎを起こしたのだとか。その結果、二人は廃嫡され、急遽あの方が後継に――)


 だから諦めた。忘れると誓った。私はタンクレーディ家の娘だから。


 遠くを眺め   緑の瞳は

 心にきめる   必ず我が手に

 忘れじの    麗しき人


「……嘘つき。」


 ぽつりと、もはや会えない人に向かって言った。


 (跡取りを産み、務めを果たしたら貴族女性(お姉さま方)のように愛人を作ろう。未来の愛人は絶対に黒髪と緑の瞳じゃない方にするわ。)


 ベアトリーチェは自分に言い聞かせて想いを振り払った。(閉じ籠っているからじめじめと余計なことを考えてしまうのだわ)


 ◇ ◇ ◇


 タンクレーディ家の中庭は冬にもかかわらず青々と下草が生え、そこかしこに紅、薄紅、 紫の薔薇が咲き誇っている。「冬知らずの庭」と呼ばれる所以である。


 ベアトリーチェが中庭に出ると、若い見習い庭師が青ざめた顔で近寄ってきた。


「姫様、どうかご慈悲を。どうか、どうかっ!ミント(メンタ)だけは勘弁してください。あれは本当に大変なのです。抜いても抜いても生えてきて本当に手を焼いておりますので!」


(失礼な、人を何だと思っているの。)


少しだけむっとするベアトリーチェだが。


(確か……やさぐれていた頃、庭に出るたびに無意識に生やしていたわね)


「その……ご苦労をかけましたわ」


きまり悪そうにしていると、初老の庭師が声をかけてきた。


「姫様、ちょうど良い所にいらしてくださいました。東屋の前の薔薇をご覧頂けませんか。霜が降りてしまってから元気がないのですよ。」

「ええ、喜んで。よくってよ。」


 ベアトリーチェは心持ち早足で東屋へ向かった。庭と屋敷を一望できる東屋の前には小さな蕾を俯かせた薔薇がある。四季咲きで白い花弁の先に薄紅色が入る可憐な品種だ。庭師の言う通り寒さにやられてしまって元気がない。


「可哀想に……。さっきまでの私のようね。元気をだして。」


薔薇に手をかざしながら、彼女はふと庭を見渡した。その時、()()は降りてきた。


(ああ、今度この家を出たら、もう戻ってくることはないだろう)


 直感。もっとも父兄達の神がかった勝負勘とは違い、ベアトリーチェの直感なんて頼りないものだが。


(私がいなくなったら、この庭はどうなるのだろう。私の魔力が無くても庭師達は維持できるのかしら。)


 考え込むうちに木立樹形のはずの薔薇は花を咲かせながらみるみるうちに背を伸ばし蔓を伸ばし蔓薔薇が絡むアーチに絡みつく。足元からはローマンカモミール(カミッラ)が芝を駆逐する勢いで葉を伸ばし枝を這わせ、どんどんと小さな白い花を咲かせていく。


──ふと、その時だった。


「姫様。ベアトリーチェ姫。」


 微かなブラトーニア訛りがする声がかけられて、彼女の意識を現実へと引き戻した。


「魔力が溢れていますよ」


振り返ると、エンリコ・マリーノ――自称・本職ではない吟遊詩人の男が、若干呆れたような表情で立っていた。


「エンリコ、帰ってきたの? 」


 ベアトリーチェが振り向くと、自称 本職ではない吟遊詩人 エンリコ マリーノが心配そうに、しかし若干呆れた目で彼女を見つめていた。


彼は金色の瞳を細め、薔薇に視線を移す。


「姫様、無駄に魔力を使いすぎると、寿命を縮めますよ」


「私のご先祖様譲りの魔力は少し位の事では枯れなくてよ。お父様やお兄様には及ばなくてもね。」


ベアトリーチェは軽く肩をすくめた。


「それより、私が大変だった時に一体どこに行ってたの?ずっと連絡がつかなかったわ!」


 エンリコはきまり悪そうに金色の瞳を左右に揺らせた。


「えっと。とてもおもしろ…もとい興味深い魔道具の開発に誘われていまして。」

「魔道具?」

彼女はため息をついた。


(またか……)


エンリコは、魔術や魔道具の話になると、途端に目の色を変える男だった。


「魔術や魔道具を目にすると大事な用件までエンリコの中から消えてしまうのね!それに、私が知らないうちに怪しげな唄も歌っていたそうじゃない?だいぶ好評のようね、吟遊詩人様」

「ああ! それも、ある方の助言で試してみたんです」


エンリコは急に生き生きとした表情で話し始めた。


「いや~、面白かったな~。少しメロディと歌詞に思考誘導をかけ、声に魅了魔法と自白魔法を混ぜてみたら、皆さん、こちらが聞かなくても勝手に機密や秘めた恋を話してくださって。下手に執着されると面倒くさ……いや、困りますからね…」

エンリコの話は止まらない。

「…その微妙な魔法の配合の塩梅が意外と難しくて。いちいち忘却魔法をかけ過ぎて相手が壊れてしまうと後々大変ですし。かと言って隠蔽魔法にも限界がありますからね。なかなかに興味深い研究でしたよ。」


「……最低だわ」


 ベアトリーチェは腕を組み冷ややかな目で彼を見つめた。

魔法や魔術絡みだと全てがお留守になってしまうのだ、この希代の魔法オタクは。


「その魔法の使い方も倫理的でないし。それで肝心の機密を手に入れたとしても報告しなければ意味がないのよ。」

「……ごもっともです」


エンリコは苦笑いしながら、()()から書き付けの束を取り出し、彼女に手渡した。


「モルガナ様は、一体どこが良かったのかしら?男の趣味が悪すぎるわ。」

『姫様も負けてはいないかと…』

「何か言ったかしら?」

「いいえ。何も。」


 己の顔の良さに自覚のある吟遊詩人はにっこり笑って誤魔化した。


「ところで姫様にお願いがあるのです。」


◇ ◇ ◇


その後、エンリコは奇妙な頼みごとをしてきた。


「――寒い土地でも育つリモネの苗木を、改良していただけませんか?」


おもむろに()()()取り出した鉢植え。相変わらず非常識な魔法である。


 鉢植えには艶々とした緑の葉を茂らせた苗木が植えられていた。


「リモネ?」


南方の温暖な地でしか育たないリモネは、その黄色い実が貴重なため、貴族の間で珍重されていた。


「わざわざ南方から持ってきたの? こちらでは気温が低すぎて、私がいなければ根付かないわよ」


「ええ、だからこそ……」


エンリコの表情が、ふと陰った。


「姫様が嫁がれたら、もうこの家には戻れないでしょうから」


「……エンリコ?」


「いえ、ただ……嫁ぐ前の置き土産に、と思いましてね。」


彼は普段の飄々とした態度を消し、珍しく真剣な面持ちで言葉を続けた。


「リモネは富と権力の象徴です。侯爵閣下も喜ばれるでしょう。……そして、私の故郷ブラトーニアでも冬は寒すぎてリモネが育たない。モルガナがいなくなってから、リモネを使った菓子が食べられなくなりまして」


(……嘘よ)


ベアトリーチェは内心で思った。


エンリコは単に、植物魔法に興味がないだけだ。花の名前すらろくに覚えられない男が、突然リモネのことを気にかけるはずがない。


「それで、私に何をさせたいの?」

「どんな土地でも生き延びるリモネに改良して頂けませんか。」

「あまり時間は無いわ。それにエンリコが会いにきてくれれば良いのではなくて?」

「残念ながら……」


エンリコは困ったように笑った。


「姫様と私の仲を噂されるのも宜しくありません。未来の夫君が、お許しになるかどうか」


 今度はベアトリーチェが決まり悪げに目を彷徨わせた。


「やはり恋文に見せかけて遣り取りしたのは不味かったかしらね。」

「私は反対しましたよ。」


 あの頃はナイスアイディアだと思ったのだ。貴族的で美貌な吟遊詩人との文通は、貴族婦人の羨望を買い社交をする(マウントする)になかなかに役に立ったから。


「少しの苗で良いのです。いつか私が一人、故郷に帰っても姫様を忘れないために。」


 泣き落としにきたエンリコの願いにベアトリーチェは頷いた。


「……分かったわ。試してみる」


 それからというもの。



 本業は魔法使いなエンリコと共にベアトリーチェはリモネの改良に取り組んだ。彼女は、鬱憤を魔力に乗せて植物に注ぎ込む。すると――


試行錯誤の結果、寒さに強い性質を持ち、どんな土地でも根を張る様にリモネが徐々に変わっていく。エンリコは満足そうに頷き、庭師たちは驚きの声を上げた。


「姫様! これは……!」

「ふふ、どうかしら? これなら、ここでも育つでしょう?」


エンリコは、珍しく嬉しそうに苗木を眺めていた。


なお、荒ぶるベアトリーチェがもたらすミント(メンタ)の脅威から解放された庭師見習い達にエンリコはめちゃくちゃ感謝されたし。

いつ修道院に脱走されるかと戦々恐々としていた侍女達や護衛騎士達にもエンリコは大変に感謝された。

()()()()()()()と言われるだけの仕事をしたのだ。


 庭師達は喜んで大量のリモネの鉢植えを庭の小道や東屋に並べた。


◇ ◇ ◇


 新しい縁談相手との顔合わせの前日。


 ベアトリーチェは一鉢の特別なリモネの苗木をエンリコに渡した。


「……エンリコが生きている間は、枯れないように魔力を込めておいたわ」


彼はその苗木を受け取り、ふと、青年の顔とは不釣り合いな、老いた者のような眼差しで彼女を見つめた。


「ベアトリーチェ姫……年寄りの戯言ですが、聞いてはいただけませんか?」


「……ええ」


いつもの軽口とは違う、重みのある声に、彼女は息を詰めた。


「私はね。昔から魔法しか興味を持てなかった。魔法さえあれば何も要らないと信じていた。大抵の事は魔法で叶ったし欲しい物は簡単に手に入った。この見てくれだからね、女性も向こうから寄ってきて煩わしく感じる程だったよ。」


 べアトリーチェの少し呆れた顔を見てエンリコは苦笑する。


「だからだろうね。本当に大切なものに気づいた時、どうすれば良いか分からなかった。それで失敗したんだ。」

「失敗?」

「ずっと魔法と魔術研究こそが至高と思い恋愛にうつつをぬかす輩を馬鹿にしていた。

愛する者と出会った時、私は逃げたんだよ。いつも通りの魔法漬けの生活へね。」


ベアトリーチェは、彼の言葉に胸が締め付けられるのを感じた。

(……モルガナ様のことね)

「彼女も魔女だったからいつでも会えると私は簡単に考えていた。かけがえのない存在だと気づいた時には、もう遅かった。こうして生きていても彼女にはもう会えない。」


下を向くエンリコの声は、深い後悔に満ちていた。

「そう……。」


ベアトリーチェはエンリコに何と声をかけてよいか躊躇った。


「愛するモルガナに似た魔力を持つベアトリーチェ、私とモルガナの末裔。貴方は少し若い時の私に似ている。

だから、話しておくよ。」


彼は真っ直ぐに彼女を見つめた。


「本当に欲する者に出会ったら遠慮なく手を取りなさい。決して手放してはいけない。」


「…………」


ベアトリーチェは、胸の奥で鈍い痛みを感じた。


(……もう、遅いわ)


それでも彼女は、かすかに微笑んだ。


「そうね。もしその日が来る事があったらもう離さないわ。」


エンリコは、彼女の表情を一瞬見つめた後、深く頷いた。


「強がるのも良いのですがね。

つまらない意地は張らない方がよろしいかと。」


 そう言ってエンリコは不器用に金髪の頭を撫でてから当主へ挨拶をしてくると言い踵を返した。背中に向かってベアトリーチェは呟いた。


「ありがとう。高祖父様(おじいさま)様。」


 そこへエンリコがくるりと振り返り、悪戯っぽい笑を浮かべた。


「ああ、そうそう。言い忘れてました。」

「?」

「あの『緑の瞳の唄』の件ですが。」


ベアトリーチェの目が大きく見開かれた。


「きっと忘れられたくなかったのでしょうねえ。」

「はあっ?突然、何を言っているの?エンリコ。」

「そのうち分かりますよ。姫様の幸せを爺は心よりお祈りいたします。それでは、これにて。」


 と優雅なお辞儀をし、エンリコ  マリーノは銀髪を翻しながら歩き去った。


「…………」


ベアトリーチェは呆然と立ち尽くした。


(……最後まで訳が分からなかったわ)


せっかく良い事も言っていたのに。彼女は深く息を吐き、ふと空を見上げた。


(モルガナ様……この人を選んだ貴女の趣味は、本当にいかがと思うわ)


そう思うと、なぜか少しだけ、気持ちが軽くなったような気がした。


リモネはレモン、メンタはミント、カミッラはローマンカモミールです。


次回で本編完結です。

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