花と光が降り注ぐ中で
クラウディオ 、アルベルト 13歳。
ベアトリーチェ 5歳。
アルベルト視点です。
モンテフェルト公爵家の三男の僕、アルベルト モンテフェルトは学友のクラウディオ タンクレーディ侯爵子息に是非にと誘われ、タンクレーディ領の境界近くにあるブルラエルべの地を訪れている。
夏でも冷涼な気候、澄んだ空気。
質実剛健で素朴な人々。
首都オルビアの実家の者や学園の生徒達みたいに誰も「公爵家の出来損ない」とか「魔法が使えない無能」とか陰口を叩く者はいない。
「ああ…ようやく。思いきり深呼吸ができたみたいな気持ちだ。」
「そうか、アル。連れてきて良かったよ。」
この土地に微かに残っている緑色の魔力のおかげかな。
所々に灰色の岩が顔を出す山の中腹にあたる小高い丘を登ると薄い水色の動きやすいドレスにブーツを履いた小さな金髪の女の子と黒い上下のシンプルな服装をした銀髪の男の後ろ姿が見えてきた。女の子がしきりに男の腕を引っ張っているが男は動こうとしない。
「あ、あそこにいた。妹のベアトリーチェだ。隣にいる銀髪の男がエンリコだな。」
「エンリコ?」
「ああ。ベアトリーチェが行き倒れていたのを拾った男だよ。」
僕は耳を疑った。
「ええっ、大丈夫なのか?身元の知れない者を侯爵令嬢につけて。」
クラウディオが銀髪を揺らし灰色の瞳で僕の目を見つめて言う。
「まあ、身元については大丈夫じゃないかな。おまえが見れば分かると思うよ。」
お馴染みの「見れば分かる」のセリフに僕は苦笑した。豊富な魔力のごり押しで魔法を使う友は感覚的に物事を捉えるタイプだ。
確かに僕が見れば分かる事が多いのだが。
男はクラウディオとそっくりな銀髪で同じくそっくりな白い魔力をわずかに纏っていた。だが。
「確かに君とそっくりな銀髪と魔力の色だな。親戚か?」
「そうかもしれない…。母が亡くなって以来、ベアトリーチェは悲しんで泣いてばかりいたが。エンリコの世話をしている内に立ち直ってくれた様だ。」
ベアトリーチェはエンリコに話かけるのに夢中で僕達に全く気がついていない。
「エンリコ、元気を出して。
せっかく身体の具合が良くなったんだし。一緒に遊ぼう?」
男は答えない。
「そうだ、私ね!面白い夢を見たのよ。」
女の子は慣れているのだろうか。
気にせずに男の周りをぴょんぴょんと跳びはねている。お付きの侍女や護衛もにこにこと様子を見ている。
なんだろう、可愛いなこの子。
鈴の音のような声でおしゃべりする姿に、笑顔に、目が自然と吸い寄せられる。
「おかしなお面を被ったおじさんが四角い乗り物やお空を飛ぶ飛行機?という乗り物や車輪が一つしかない変な乗り物に乗ってね~。」
そう言いながら地面にやたらと耳が大きな人の絵を描いている。クラウディオもにこにこしながらそんな妹を見ている。
「何を言っているかよく分からないが、うちのベアトリーチェは可愛いだろう?」
「え?……そ、そうだね、クラウディオ。」
クラウディオの兄馬鹿発言にひいてもいるけど、僕は上の空で返事をした。なぜなら。この時、もう一人の自分が呟いたんだ。
『この子だ』
えぇっ!!こんな小さな子どもに?
僕、おかしいのかな。変な癖があるのだろうか。ショックだ…。黒い前髪をかき混ぜながら顔を隠して気持ちが落ち着くまで深く呼吸する。
それでも。さっきからあの子とあの子の周りだけが色鮮やかに見えるんだ。
何か理由があるのかな。気を取り直して僕は魔力を見るために目を凝らした。
「…固い殻を被った卵みたいだ。」
女の子の周りに固い殻があって強い魔力が行き場を失くして凝るようにぐるぐる渦巻いている。このままだとあの子、危ないんじゃないか。
「アルベルト、わかるか?
ベアトリーチェは5歳になるけどまだ魔法が使えないんだ。せめて魔力の種類がわかるといいんだが。」
「う~ん。ごめん。殻があるから僕でも魔力の種類までは…。ただ、君とは全然違う魔力みたいだ。」
「やはり、そうか。」
クラウディオは肩を落とした。
それより。あの銀髪の男は何者だ?
「クラウディオ、あのエンリコって何者だ?相当な魔力持ちだろう。」
エンリコの周りに見える白い魔力は薄く弱々しく見えるけど身体の中に怖いぐらい強い魔力を封じ込めているのが見える。あの子と違って自分で魔力の殻を作って隠しているんだ。
「ああ、僕もよく分からないんだ。どうも僕たちの親戚らしい。魔法使いと言われた先祖の顔に生き写しだそうだ。」
「なら、あの男も魔法使いかもしれないな…」
あの子の話が続いている。
「きっとエンリコも会えるよ。」
「姫……残念ながら私が会いたい人にはもう会えないのですよ。」
「そんな、かなしい顔しないで。エンリコ〜。」
そこで女の子がぽんと手を叩いた。
「そうだ、お歌を歌ってあげる。夢の中でお母様が言ってたの。エンリコの前でここで歌いなさいって。」
そう言って金髪の女の子が歌いだす。哀愁のある旋律のハミングから始まる歌だった。
背中の中ほどまである波うつ金髪を揺らしながら真面目な顔をして歌うベアトリーチェはとても愛らしくて微笑ましい。本当に可愛いな。
「チャーラララ、ラーラララ~」
歌が進むにつれて大地の微かな緑色の魔力が徐々にあの子に集まっていく。銀髪の男の怖いくらいの魔力も。白い、いや違う。太陽の様に強力な白金の魔力だ。あんなの初めて見る。僕は思わず身震いした。
そしてなぜか僕の魔力もあの子に向かってするすると引き出されていく。
いつも魔力が操れなくて身体の外に出すのに苦労するのに嘘みたいだ。身体の中から外へ。シャツ越しに、か細かった魔力の通り道が鼓動と共により太く広げられて形作られていくのが見える。
あれ。僕の魔力ってクラウディオと同じ白だと思っていたけど金が混じっていたんだ。
集まった緑と金混じりの白、大量の白金の魔力はあの子の殻を包み込む。固い殻を溶かすように。
「ヤア!」
ベアトリーチェが叫んだ瞬間、パンッと音がして殻が吹き飛んだ。
途端にあの子から色鮮やかな魔力の大きな柱が空に昇っていく。
同時にベアトリーチェの足元から波のように緑が広がり、色とりどりの花が瞬く間に丘一面を覆い尽くした。
なんて綺麗なんだ。隣のクラウディオも呆然として言葉が無い。そして、僕は…。
「なんだこれ。こんなに魔力がはっきり見えるなんて初めてだ…。」
そっと水魔法を発現させる為に魔力を流すとこれまでの苦労が嘘のように滑らかに魔法が発動した。
僕の手のひらに浮かぶ水の玉を見てそばにいたクラウディオが目を瞬く。
「アルベルト、もしかしてお前も完全に覚醒したのか?」
火魔法で水玉を蒸発させる。イメージ通りに魔法は発動した。
「そうみたいだ。」
クラウディオは目を剥いたが僕の視線はベアトリーチェに向いた。
辺りに花びらが降りしきる。天まで届く綺麗な若葉色に黄金が混じる魔力の光の柱の中、水色のドレスの裾を円の様に翻らせ金髪を靡かせながら少女が歌いながら両手を広げくるくると回っている。
夢のように美しい。
花と光が降り注ぐ中で、僕はベアトリーチェを見つめている。胸の鼓動が止まらない。そうか。『この子』なんだ。
隣でクラウディオが泣き出した。
「よかった…。うぅっ。」
顔が涙でぐちゃぐちゃだ。
「ベアトリーチェが魔法を使えたよ。よかった~。アルベルト、おまえのおかげだ。ありがとう…。」
クラウディオが乱暴に腕で涙を拭って僕の手を握る。
「おまえも完全に目覚めてよかったな、アルベルト〜。僕、おまえは絶対に凄い魔法使いになると思ってたんだよ。よかった、よかっだよ~。」
クラウディオがおいおい泣きながら空いた手で僕の肩を叩いている。忙しい友だ。
それよりも。僕はベアトリーチェを…。可愛い。愛らしい。見ているだけで胸がときめく。この子を見ていると…。
歌が止まり、銀髪の男がベアトリーチェに話しかけている。
「ブラトーニアの言葉に似ていますが少し違いますね。何と歌っていたのですか?」
「う~んと、よく分からない。
つらいことがあってたくさん泣いちゃうけど。夢見た素敵な世界を自分で作っていこうって唄みたい。」
銀髪の男はやがて金色の頭に手を伸ばして撫でた。
「...そうか、モルガナが呼んだのか。『まだ生きろ』と」
「あれ?エンリコ、泣いているの?」
男の金色の目から涙が流れていた。
「……、大丈夫ですよ。私はきっと、この為にここへ来たのです。」
エンリコは涙を拭った後、誰かと重ねるようにベアトリーチェを見つめて微笑んでいる。
「貴方の魔法はモルガナにそっくりだ。見事な植物魔法です。」
「え?」
ベアトリーチェが後ろを振り向くと周囲一帯が香り高い薬草の花畑に変わっていた。
「えええ~っ!!」
男は立ち上がり僕らを見た。
「それはそうと。」
金色の瞳が三日月形になり僕を見ている。
「そこの少年も目覚めましたね。私の魔力に気がついている。なかなか有望。もしかして魔力がみえるのかな?」
僕はおずおずと頷いた。
エンリコが笑みを深めた。もう魔力を隠そうとしていない。恐ろしい程の白金の魔力が僕らに覆いかぶさるように広がっている。
クラウディオが僕達を守る様に前に出た。彼の手は少し震えていたけど。
「ちょっと待て!お前、何者だ!ベアトリーチェとアルベルトに何をするつもりだ!」
しかし、エンリコは動じずに優雅に貴人への礼をした。使用人の様な服装なのに、その立ち居振る舞いは高位貴族に勝るとも劣らない。
「そちらにおられるのはタンクレーディ家のご令息でしょうか。」
「そうだ、クラウディオ タンクレーディ。ベアトリーチェの兄で、アルベルトの友人だ!」
「ご存知でしょう? 魔法の目覚めが遅いほどコントロールが難しくなります。
ベアトリーチェ姫とそこの少年。
彼の地で大魔法使いと呼ばれたヘンリー マーリン、こちらの言葉ではエンリコ マリーノですか。私が直々に魔法をお教えしましょう。
ああ、クラウディオ様も効率的な魔力操作を学んだほうがよろしいでしょう。より効果的に敵を倒せるようになりますよ。貴方も私の末裔の様ですからね。」
……クラウディオの先祖か。おそらく何百年も生きている大魔法使い。魔力が恐ろしく強力な訳だ。
僕ら二人が呆然としている所へ無邪気な声が響いた。
「あ、クラウディオにいさま~!リーチェ、魔法が使えるようになったよ~!」
クラウディオは駆けてくる妹を抱きしめた。
「ああ、ベアトリーチェ。見ていたよ、素晴らしい魔法だった。よかったな〜、お兄様も嬉しいよ。」
「わ〜い、やった〜。」
喜び合う兄妹を見ている僕に、エンリコが尋ねた。
「君の名前は?」
「…アルベルト モンテフェルトです」
◇ ◇ ◇
エンリコは金色の瞳を細め、アルベルトをじっと見つめていたかと思うと、突然ふっと笑みを浮かべた。
「ふふ、面白いことになりましたね。アルベルト モンテフェルト。」
「はい...、なんでしょう?」
エンリコは肩をすくめ、ベアトリーチェが兄と花畑の中ではしゃぎあう姿を見やった。
「まあ、運命のいたずらって奴でしょうかねえ。魔力を目覚めさせた者同士は魔力の相性が良くてね。惹かれ合うのですよ。古い言葉で『運命』とか『番』とか大げさな名前がついてますけど。」
「運命?惹かれ合う?」
アルベルトの顔がわずかに赤くなる。ベアトリーチェの楽しげな笑い声が風に乗って聞こえてくる。
「そうです。でも...」
エンリコの表情が真剣になった。
「君はいくつ?」
「13歳です。」
エンリコは眉間を寄せて考えこんだ。
「もう13歳か…5歳のベアトリーチェ姫とは8歳の差がありますねえ。当然、魔力の成長にも差がでてくるでしょう。」
エンリコはくるりと回り、アルベルトの周りを歩きながら続けた。
「もし、姫を手に入れたいのなら。あの子を守る力がいる。君はかなり魔力と魔法を引き上げないといけない。…死なない程度には苦労するでしょうね。」
「そんなに?」
「魔力の制御練習に、実践訓練に」
エンリコは指を折りながら言ったが、面倒くさくなったのか途中でやめてしまった。
「ま、とにかく大変ですよ。」
アルベルトが不安そうな顔をすると、エンリコは突然笑い出した。
「まあ、君の魔力には金が混じっている様だし魔力も見えるしね。……実に面白い。まあ、その分苦労も多くなるだろうけどね」
後半、エンリコが楽しそうに小声で何かを呟いていた。
「諦めますか?それでも私は構わない。運命などにこだわらない方が楽に生きていけるだろう。」
エンリコの金色の目がどこかアルベルトを試すように光った。
アルベルトは黒い頭を俯かせ考えに沈んだ。
ようやく魔法に目覚めた自分
強力な植物魔法に目覚めた彼女
そして…
『アルベルト……何もしなくて良いのよ……』
長年、彼を縛っていたあの声が耳元で甦る。
だが。
アルベルトは拳を握りしめて呟いた。
『……上。僕はもうあなたの枷には囚われない。それに…』
丘の上で、兄と一緒に花冠を作るベアトリーチェの姿が見える。彼女はふと振り返り、アルベルト達に手を振った。
「いいえ。やります。」
少年の決意に満ちた顔を見て銀髪の男は一瞬、目を瞠った。
「ほう…。ふふふっ、いい目だ。」
そして微笑んでからエンリコは少年の黒髪をぐりぐり撫で回した。
「え?ええ!」
「欲しい者の為に、大事な者を守る為に努力するのは悪いことじゃない。そうでしょう?」
その時、ベアトリーチェが駆け寄ってきてアルベルトの前にぴょんと跳んだ。
「アルベルトさま、これあげる〜。」
花の冠を差し出してアルベルトを見上げる彼女はにこにこと微笑んでいる。
「ぼ、僕に...?」
「うん!」
アルベルトが少ししゃがんで彼女に目線を合わせると元気な返事が返ってきた。
「ん?」
花冠がなかなか渡されない。
少年が不審に思うと。
ベアトリーチェが額が露わになったアルベルトの顔を覗き込んで碧い瞳をきらきらさせて見惚れていた。
「わああっ……きれい〜。きれいな緑色…。まるで宝石みたい。」
アルベルトが耳を赤くしながら冠を受け取ると、ベアトリーチェは今度はまだ泣いているおつきの者達の所へ駆けていく。
夏の風が花畑を揺らし、清涼感溢れる香りが四人を包み込む。アルベルトは心に誓った。
ベアトリーチェ、僕は必ず君を守れる男になる。そして、君を……
それが。愛する者の為に。彼女が夢見る平穏を共に創り上げていく男の出発点だった。
全てはここから始まった。
Inspired by Coldplay
Paradise
これにて番外編完結です。
拙い作品を最後までお読み頂きありがとうございます。