#33 きなこ、倒れる
† † †
幼稚園には、徒歩で行けない距離でもないのだが、母君の自転車に乗せてもらって送ってもらっている。
「じゃあ、ほどほどになったら迎えにくるわねー」
とか言いながら母君が家に戻っていく。
それを笑顔で手を振りつつ見送って、幼稚園のお遊戯に混ざっていく。
今日は何するのかなーとか、少々童心に帰りつつ(間違いなく俺の現状は子供先生の話に耳を傾けた。
朝の挨拶から始まり、幼稚園の歌、季節の歌と手遊び、軽く室内遊びをしてから外遊びついでに園庭の隅でやっている家庭菜園の野菜たちに水やり。
しっかり外遊びをしていたら昼ご飯の時間になる。
今日のお弁当はなんじゃろな―ってワクワクしてたら、先生に呼ばれた。
「ハルト君。ハルトくーん。ちょっと、こっちこれる?」
「え? あ、はーい」
先生の声かけに俺は首を傾げながら先生のもとへ向かった。
すると先生は、いつもの調子を装って、しかし囁くような小声で俺に話しかけてくる。
「……お母さんが、迎えに来てるので、帰る準備できるかな?」
「? かあさんが? ……わかりました」
頷いて俺は帰る準備をするために教室へ向かう。
同じクラスの子たちは給食やらお弁当やらを広げて楽しそうに食べていた。
普段なら、俺もその輪に入っているはずである。
が、まぁ。今日は母君のお迎えによる早退である。
なにがあったかねぇ……。
帰る準備をし終わって、職員室前に向かうと、母君が立っていたが……
「かあさん……?」
見る影もないレベルで顔が青ざめてるし……この午前の数時間で何があったと聞きたいレベルで……というか、今にも倒れそうな顔をしていた。
「だ、大丈夫? 何があったの……?」
「母さんは大丈夫。大丈夫よ。……とりあえず、帰ってから話すわ」
自転車の後ろに乗せられて帰宅。
心なしか母君の漕ぐスピードが速い。あっという間に家に着いた。
「……落ち着いて、聞いてね?」
なんて。
前置きを置いて玄関をくぐる母君。
……何?
「きなこちゃん……全然起きなくって……様子がおかしいの……」
不安そうに、泣きそうな声で言う母君。
……え、そんなに……そんなに、容体悪いんで?
2階の自室に戻れば、ペットベッドの中ですぴすぴ眠るきなこの姿は、今朝とあまり変わらない。
が、何かおかしい。俺にはそれが何かわからないけど……
「ねえ、ハルト。きなこちゃんは……普通の動物病院には……行けないじゃない?」
まぁ、それは見たらねぇ……。
……あぁ……そうか。
唐突に母君が言いたいことを理解した。
母君には……ユウキへの連絡手段がないのだ。
サテライトを呼び出して通信する。
数回のコール後、女性の声で『うい~』と応えがあった。
「ごめんユウキ。……きなこの様子がおかしい」
『あ? ……あー……?』
いまいち良く分かってない声が帰ってくる。
マァ、そらそうだなぁ……しっかし俺にもなにがなんだか……
どうしたもんだか……と後頭部を掻いた時だった。
「ユウキさん……たぶん、いえ。きっときなこちゃんの昏睡の原因は……魔力不足でしょう……しかし、どうしてきなこちゃんがこうなってるのか……そしてどう対処すればいいのか……」
『あー……お母さん? 良かったの?』
「四の五の言ってる場合ではないので……」
『んま、実際見んと分からんね』
そう言って、通信が切れる。
そして、気配が増えた。
「あ、ありゃー。これ不味いね?」
ペットベッドからきなこを抱き上げて、ユウキが言う。
……器用なもんだなぁ……どこから飛んできたんだ、こいつ。
多分、というか。十中八九、転送魔法で飛んできた……んだろうが。
-8番街-内での魔法は原則禁止なのに、どういう脱法的方法を使ってるんだか。
まあ、こいつまかり間違っても神様らしいしねえ。抜け穴? とかあるんかなー。
「いやぁ、間に合って良かったな。オドが枯渇してる。俺じゃなかったらどーしょーもないからねぇ」
にゃっぱぱっと変な笑みを浮かべてユウキがベッドに腰掛けた。
月光を紡いだような、淡い輝きを孕んだ長い青銀の髪を後ろで三つ編みに束ねているユウキは、相変わらずラフな服装だった。オフの日なのかね?
膝の上にきなこを乗せ、腕でクッションのように抱きしめる。きなこ、クッションっていうよりぬいぐるみっぽいな……こうしてみると。
きなこの反応はない。
が、きなこの体を、青い光が包む。
回復魔法? にしては……何か違和感がある。
具体的にどこが違うかは……よくわからんが。
「ハルト君、魔道教の教徒じゃないから、魔力に種類があるとか……そこらへん知らんわな?」
抱えたきなこを撫でつつユウキが問う。
それに俺は是と肯くしかない。
「お……うん。あるの、種類」
「マナとオドに分けられるかなー。マナは世界に満ちていて、オドは体内を巡ってる魔力。魔術師にとってはマナもオドもなくてはならないものなんだが……きなこは両方枯渇して、死にかけてる」
「……」
死にかけてる? きなこが?
実感できなかった。
だって、起きてたら元気に遊んでるのだ。
昨日だって、夜一緒に遊んだし……元気にきゅっきゅきゅっきゅ鳴いてたのだ。
そりゃ、最近良く寝るなあとは思ってたが……今だって、普通に寝てるようにしか見えない。
規則的にすぴぃすぴぃ寝息を立てている。
なのにユウキは『死にかけ』と評した。
俺は、きなこに何ができるんだ?
「どうすれば治る?」
「今治療中ー。……だが、対症療法だぜ? 根本治療をするなら……」
そこまで言って、ユウキは母君を見る。
「……ハルトとお母さんじゃないな。……きなこが回復魔法を使ってた対象はお父さんかな?」
「回復魔法?! きなこちゃんが!?」
予想外に過剰反応する母君。
母君がそこに反応する意図がわからない。
だって、母君はいうて、一般人で。魔術の魔の字すら疎そうな、普通の主婦なはずで……
あー。いや。
さっきのユウキの反応じゃらして。母君は……なんかあるんだろ。
まあ、そもそもアーバイン家だしねえ。
こっそり魔術師なのかしら。
そしてそれを隠さねばならない理由とかあるのかしら。
ユウキは苦笑する。貴女が無知なわけじゃないと前置きをして。
「わかんないと思うよー。あいつの使う魔法って、一般的な魔法とは理屈が違うから」
「……きなこちゃん……」
目尻に涙を溜めてきなこをみる母君の姿は痛ましい。
そんな母君に優しく微笑みつつ、しかしユウキの目は全く笑ってなかった。
そして、表情とはかけ離れた、恐ろしく冷たい語気で問いかける。
「生活環境、ぶち壊すかもしれないけど。大丈夫?」
めっちゃ物騒な言葉。
だが、母君は怖気つかなかった。
はっきりとユウキを見て応えた。
「きなこちゃんが助かるなら、覚悟してます」
え、そこ是でいいの? もちょい具体的に聞いて検討してからの方が良くね? と思わなくもないが……まあ、聞いたって結論は変わらんか。
たぶん、俺だってきなこのためなら命すら惜しまない気がする。数ヶ月の付き合いだが、俺にだってそれくらいにはきなこに愛着があるのだ。
母君はそれこそ、俺が幼稚園に行ってる間もきなこと過ごしている。きなこを自分の娘のように接していたのだ。そりゃ、即答もするか。
「おっけー。ま、そこまで悪いようにはしないから安心しなねー。……じゃあ、澪夢くーん?」
後半はサテライトの通話に向けた声。
そして、ウィンドウから深い嘆息が聞こえた。
『……まあ……時間は掛かりますよ?』
「澪夢さん」
通話相手は澪夢さんだったらしい。
少し疲れ気味な声。やっぱ忙しいんだろうなあ……毎日お疲れ様です。
「なんで澪夢は敬称つけるのに俺は呼び捨てなんよ」
うるさいよユウキ。母君の前ではさん付けしてやってるだろがよ。
敬意がどうのこうのとむいむい言ってるユウキにジト目を返してから、ユウキの通話ウィンドウを見る。
気だるそうにした澪夢さんは、通話しながら書類を捌いている様子だった。
おそらく目線が書類から離れていない。
……なんか、いつもこうやってユウキに仕事邪魔されてるんかね? 手慣れた感じである。
『生活環境ぶっ壊すリスクがあるとかなんとか、どっかの青いのがいってますが、Arkはそんな酷い職場じゃないですよ? 取り敢えずは周辺から聞き込みなどしてお父上の勤務態度等を調査した後、対応を検討します。……ま、勤務地変更による引っ越しはありえますかね』
書類をペラペラ捲る音とともに澪夢さんがそう言ってくる。
そんな澪夢さんの映るウィンドウを睨んで「速攻バラすなよぅ」とユウキが呻いた。
『性格悪いですよ。貴方』
窘める口調に、ユウキが舌を出す。
あ、あのなぁ……。
一人どころか、家族の命運が左右されてるんだが……変に脅すなよ……。
と、思っていたが。
ユウキがすんごい生ぬるい目で俺を見ていた。
「……な、なに……」
「これだけで終わるとでも?」
にやぁ、と意地の悪い笑みを浮かべるユウキ。
……終わるとでも? と申されましても……。
「とりあえず、きなこは入院なー。……場所は病院ではなく俺ん家だが」
俺の返事を待たず、ユウキは続ける。
「お、おう……?」
今治療してるんだし、ここで終わるんでは? と思っていたが……入院?
首を傾げていると、俺がよくわかってないことに気づいたらしいユウキが呆れたような顔をした。
「……きなこな? 死にかけてるんだってば。現状応急処置にしかなってねーよ……」
嘆息し、きなこを撫でる。
ユウキはずっときなこを抱え、青い光で包み続けている。
「お母さんにも教えてあげるー。きなこが今使える魔法ってね、集団で構築するもんでねぇ。単独でやると燃費が著しく悪い。だから、すぐに魔力切れを起こす。……この世界で、魔力が枯渇するってのは死と同義だ。……今のこいつは、風前の灯火だよ。ま、これ以上悪化はさせねえから安心しな?」
組んでいた足を組み替え、きなこを撫でる。
それから小首を傾げてユウキは俺を見る。
一動作一動作が、芸術品のようだ。
「で。ハルト君? キミ、冒険者になる気、なあい?」
ニコッとほほ笑まれた。
何も知らずに、傍から見たらさぞや……目の保養になる笑顔だっただろう。
が、俺にはビンビンと嫌な予感を感じさせる笑顔だった。




