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【ショートショート】饒舌で無口な男と無口で饒舌な女の話

作者: 森久人

 職人ってのは、たいてい無口なもんだ。

 その金細工職人も無口だった。

 生まれてから一言だって話したことがない。

 口数が少ないなんてもんじゃない。まったくの0。

 文字通り無口だったんだよ。

 なんたって、そいつの顔には、本当に口がなかったんだ。

 もしも口があったなら、きっとおしゃべりな男になっていたに違いない。

 だって、口がないのは、そいつがあまりにも饒舌の素質を持っていて、まさに口から先に生まれた男だったからなんだ。

 男が生まれる一年も前に、口だけが先に生まれちまったのさ。

 当然、母親はびっくらこいた。

 なんせ、まだ男のことを妊娠してさえいなかったんだ。

 それなのに突然、口だけがコロッと出てきて、口をはさむ暇もなく、ベラベラとしゃべり続けた。

 気味悪がって、その口を川に流して捨てたとしたって、いったい誰が責められる?

 ようやく男が生まれた時には、口は行方知れずになっちまっていた。

 そういうわけで、男は無口な人生を歩むことになった。

 金細工職人になったのも、別に男自身が望んだからじゃない。

 両親が工房に弟子入りさせたんだ。

 手に職をつけさせたかったのさ。せめて働き口はなくならないように。

 男は両親に口答えなんてできなかったし、工房でどれだけこき使われても、文句一つ言えなかった。

 不平不満や、愚痴や、いろいろなものが漏れるための出口が男にはなかった。

 仕事をさせる側にとっては都合のいい話さ。男はとにかく黙々と働いて、口の代わりに腕を磨くしかなかった。

 工房でいいように使われながらも、男が一通りのことをこなせる職人になった頃のことだ。

 男は町一番の名家である貴族の屋敷へ、注文されていた調度品を届けに行った。

 そこで男は、その屋敷の娘と初めて顔を合わせた。

 それは運命的な出会いだった。

 もし男に口があったなら、驚きのあまりポカンと開けっ放しにしてしまっただろう。

 そのお嬢さんの顔には、男と同じように、口がなかったんだから。

 いや、「同じように」ってのは口からデマカセだ。

 正確じゃない。

 目を凝らすと、薄っすらと、まるで幽霊みたいな口がついているのが見えた。

 彼女は、生まれる一年も前に口が先に生まれてしまうような、そんな卑しい饒舌さは持ち合わせていなかった。

 貴族の娘として、彼女は必要な時以外に余計な口を利かないよう厳しく育てられていた。

 その教育がずいぶんうまくいったらしい。あるいは彼女自身の生まれついての高い品性のおかげか。

 とにかく彼女は一言だって、減らず口を言わない人間だった。

 何かを話す時は、本当に意味のある大事な言葉しか口にしなかった。

 減らず口を言わないんだから、口は減る一方だというわけさ。

 彼女の微かな口を見ていると、どれだけ他の人間が減らず口や無駄口をぶっ叩いてばかりいるか気づかされるよ。暴行罪で訴えられてもいいくらいだ。

 本当に重要な言葉だけ話していたら、本来、人の口なんてすぐに消耗してなくなっちまうもんなんだ。

 彼女の口はあと二、三言も話せば、完全に消えちまいそうだった。だからいっそう、彼女はそう易々と言葉を口にはできなくなっていた。

 男は自分以外に、こんな無口な人間を見たことがなかった。

 お嬢さんの方だってそうだ。

 お互いに興味を持つのは、まったく自然だった。

 二人はこっそりと度々会うようになった。

 甘い会話なんてしない。二人ともそんなことはできなかったし、できたとしても必要なかった。

 ただ寄り添っているだけで、なぜか二人は十分だったんだ。

 そして、ある日、とうとう男はプロポーズをした。

 男は自分が金細工職人になったことに、初めて感謝した。

 言葉なんてなくても、丹精込めて作った指輪を見せれば、それだけで気持ちを伝えることができたから。

 指輪を見たお嬢さんは微笑んで、男にそっと何かをつぶやいた。

 お似合いの二人だった。男は金細工職人で、そして、お嬢さんの言う言葉は、まるで貴重な金言だった。

 この時、お嬢さんが何と言ったかは秘密にしておこう。

 見せびらかしたりせず、大事にしまって置かないと、せっかくの金の輝きが曇っちまうかもしれないからな。

 愛を誓い合った二人に対して、外野が口を出すだけ野暮ってもんだ。

 とやかく言うヤツらの口なんて、戸を立てて塞いでやればいい。とは言え、現実はそう簡単にはいかない。

 二人は身分がまるで違っていた。

 高級な素材を扱っているからって、そいつが裕福とは限らない。金やら銀やら貴金属は全部客のためのもので、金細工職人の男自身は細々とした暮らしをしていた。

 かたや貴族の娘、かたや貧しい職人。

 結婚に反対する者がいない方が、おかしな話だ。

 男はさんざん周りから諦めるように言われたし、お嬢さんの方は両親から強く叱責された。

 仮に二人にどんな口があったとしても無意味だったろう。お嬢さんの両親は、まるで聞く耳を持たなかった。ちゃんと立派な耳がついていたというのに。

 そこで二人は、口ではなく身をもってその思いを示すことにした。

 早い話が、駆け落ちしたのさ。

 誰かの口車に乗ったわけじゃない。口うるさいヤツらと同乗するのをやめて、二人の足だけで歩み始めたってわけだ。

 そりゃあ暮らしは楽じゃなかった。

 しがない職人と世間知らずの箱入り娘じゃね。

 それでも二人は何とか、仲睦まじく、寄り添い支え合って、幸せに暮らしていくことができた。

 何があろうと二人は弱音を吐かなかったし、お互いを傷つけるようなことも言わなかったから。

 つまるところ、幸運にも二人には「災いの元」がなかったってことさ。

 おあとがよろしいようで。めでたしめでたし。

 ……と、ここで口をつぐんでしまえればいいんだが、そうもいかないのが口惜しいところだ。

 どうしても幸せってのは、永遠には続かないらしい。

 男の妻になったお嬢さんが、もうお嬢さんなんて呼ばれないような歳になった頃、病に倒れた。

 男は懸命に看病したが、ずいぶん難しい病気で、まるで回復する様子はない。貧しいながらも、何人もの医者に見せたが、それでわかったのは妻がもう助からないということだけだった。

 それからだ。

 男が妻の看病の間に、自分の口を探し始めたのは。

 男の生まれる前に、川に捨てられた口が、そう簡単に見つかるか?

 川の底に沈んで腐っちまってるんじゃないのか?

 わからない。それでも男は探し続けた。

 男にとって都合のいいことに、その口はずいぶん軽かった。だから川に捨てられても、どこかに流れ着くまで沈むことなくプカプカ浮いていることができた。

 そして、誰の顔にもくっついておらず、ベラベラしゃべり続ける口なんて珍しいものが、小さな噂の一つにもならないわけがない。

 苦労はしたが、男はとうとう探し当てた。

 男の口は、場末の見世物小屋で粗末に扱われながら、何とか糊口を凌いでいたのさ。

 そうして男は、俺の目の前に現れた。

 そうだよ、俺こそが、その男の口だったんだ。

 見世物小屋の主人から俺を買い取って、男は自分の顔にくっつけた。

 その瞬間、これまでの男の人生の記憶が俺の中に流れ込んできた。

 俺は男の状況を全て理解した。

 そして同時に怒りを覚えた。

 生まれてからずっと、俺をほったらかしていたくせに、妻が死にそうになったからって、何か言葉をかけてやりたくなったのか、急に探して取り戻すなんて、ずいぶん勝手な話じゃないか。

 俺がこれまでどれだけひどい目にあってきたか。

 口だけのヤツなんて、誰からも愛しちゃもらえない。どんな困難も、舌先三寸で何とかしなけりゃいけないんだ。口にするのもはばかられるような屈辱を噛みしめてきた。

 しかし、俺には興味もあった。

 本来なら、自分が生まれるより先に、口だけ生まれてくるほど饒舌な男だ。

 それが今の今まで、言いたいことをずっと体の内側にため込んできた。

 わずかでも口が利けた男の妻とは違う。彼女の一言には、他の人間の百万語でも及ばないような、深い考えと思いが詰まっている。そういう意味で、彼女は饒舌だった。

 プロポーズの時、そんな言葉を聞きながら、男は一言だって返すことができなかった。

 そんな男が、死の淵に立つ妻に向けて、初めて発する言葉。それがどんなものか、俺は知りたかった。

 俺は口先だけの空っぽな言葉しか話したことがなかったから、そんな思いのこもった言葉で、唇を震わせてみたいと思ったんだ。

 男が俺を連れて、息を切らして戻った時、妻の命はもはや燃え尽きようとしていた。

 男の顔を見て、彼女は微笑んだ。男が微笑み返せたのは、俺が気を利かせて口角を少し上げてやったからさ。

 俺は待った。男が妻への最初で最後の言葉をかけるのを。

 二人はじっと見つめ合って、そして不意に、男が口を動かした。

 気づけば俺は、男の妻の口と重なっていた。

 男は何も言わず、愛する妻に、ただ口づけをしたんだ。

 男が唇を離すと、今にも消え入りそうだった妻の口は、ぬぐい取られたように消えてなくなっていた。

 そして、妻はもう息をしていなかった。

 俺は呆気に取られるしかなかった。死人にクチナシなんて冗談も思いつかないほどに。

 深く愛し合い、連れ添ってきた二人に、もう口から出す言葉なんて必要ありゃしなかったんだ。

 男は無言のまま妻を弔って、その後も何も言葉を発しなかった。生まれてから一度も話したことがないくせに、もうこの世界で言うべき言葉は何もないって風だった。

 そんな男に口があったって、宝の持ち腐れだ。

 俺は男から離れて、こうしてまた一人、もとい一口に戻ったわけさ。

 とは言え、口先だけの暮らしはもう飽き飽きだ。誰かの身について、もう少し実のある言葉を学びたいね。

 どっかでまた会った時、あいつに慰めの言葉をかけてやれるくらいにはなりたいもんさ。

 そういうわけで、俺をくっつけてくれる相手を探してる。

 え? もう自分には口があるって?

 少し口数が増えたって困りやしないだろ。

 自分の口じゃないなんて、口裏を合わせりゃばれやしないよ。

 あとはそう、ちょっと二枚舌になるって程度の話さ。

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