新しい生活
ここから長編書き下ろしになります!
「レイモンド様、私どこかおかしなところはないでしょうか?」
「いや、いつもと同じように奇麗だよ」
切れ長の瞳を細め蕩ける笑みを浮かべる隣で、私は緊張で心臓が張り裂けそうだ。
馬車はまもなく、カートラン侯爵邸に着く。
学園の卒業パーティーが終わってすぐに、私はレイモンド様と一緒に隣国へと渡った。
船で五日かかるので、その間に心の準備ができるだろうと思っていたけれど、そんなことはなく。もう何度目になるか分からない深呼吸を繰り返す。
「そんなに心配しなくても、オフィーリアのことは手紙でも伝えているから大丈夫だよ」
「……ちなみになんと書かれたのですか?」
「今まで出会った中で最高の女性だと。いつも貴女に言っている言葉を書いただけだ。美しく、凛として、それから聡明で……」
「ちょ、ちょっと待ってください! それは美化しすぎです!!」
彫刻のような、いえそれ以上のお顔で「奇麗」なんて言われては、居た堪れず申し訳なくさえ思えてくる。どれだけハードルを上げたのかと頭が痛くなり、私はまた大きく息を吐いた。
「あっ、馬車が止まったよ。降りよう」
それなのに、目的地に着いてしまったようで。私は笑顔で差し出された手に、重い気持ちで手を重ねた。
扉を開けてくれた執事の名前はトーマス。彼の案内でサロンに向かえば、明るいライトブラウンの髪にレイモンド様と同じ赤い瞳の男性が迎えてくれた。
「初めまして、兄のジェイムス・カートランだ」
「オフィーリア・ダンバーです。宜しくお願いします」
「俺は王宮で薬の開発をしているので、常にこのタウンハウスにいるが、両親は隠居して領地にいる。会いたがっていたのだが、俺が研究に没頭し領地経営を任せているせいで王都まで出て来られないらしい。これは隠居生活ではない、と怒られてしまった」
ははは、と屈託なく笑うと少し目じりに皺が入って愛嬌のある顔になる。歳は五歳上だと聞いていたけれど、まだ独身らしい。カーテシーをしようとすると、手を差し出されたので挨拶を握手に変える。そのせいか、貴族らしくない気さくな方、というのが私の第一印象だ。
「兄さん、長い船旅で疲れているんだ。顔合わせはこれぐらいにしてオフィーリアを部屋に案内したいんだけれど」
「はいはい、分かったよ。義理の妹になるのだからもう少し話をさせてくれてもいいのになぁ?」
肩を持たれ半ば引き離されるように手を離すと、ジェイムス様は肩を竦め苦笑いを零された。
同意を求めるようにこちらを見られたので、私も苦笑いを返しておいた。この生ぬるい空気、どう対処するのが正解か誰か教えて欲しい。
「これからも話す機会はいくらでもあるから」
「はいはい。それにしても女嫌いのお前が留学先で結婚相手を見つけるなんてな。父上も母上も驚いていたぞ」
「それは手紙からでも伝わったよ。まったく、あの二人は俺をなんだと思っているんだろう」
呆れ顔でため息をつくレイモンド様を見上げ、その視線をニタニタと笑って私達を見ているジェイムス様に移す。
「女嫌い、なんですか?」
「そうだ。この容姿だろう? 子供の時から女にもてて大変だったんだ。やれ、あの子と会話したのだから私とも、とか、今度は私のお茶会に来て、だとか。夜会に行くようになっては令嬢達が列をなしてダンスの順番待ちをしだしでさ、あの光景は見ものだったよ」
思い出したのかクツクツ笑うジェイムス様。なんでしょう、その列を見ながら爆笑している姿が目に浮かぶわ。
「兄さん、もういいだろう。オフィーリア、行こう」
まだ笑っているお兄様をひと睨みして、レイモンド様は扉を開けられた。廊下には一人の侍女が両手をお腹の前で揃えて待っていて、私を見て頭を下げる。
「オフィーリア、こちらは専属侍女のアンだ。王都生まれなので街にも詳しい」
「オフィーリアです。よろしくね、アン」
「はい。もう、私オフィーリア様が来られるのが楽しみで、楽しみで! お伺いしていた通り、いえ、それ以上にお美しい方で侍女の腕が鳴るというものです」
どうやらアンはとても元気な侍女のようで。ずいずいっと前のめりで詰め寄ってくるけれど、そばかすの肌に緑の丸い瞳が愛らしく圧迫感は微塵もない。寧ろ小柄な体格から小動物のように見えてしまう。
「おい、アン。そんなに近づいたらオフィーリアがびっくりするだろう」
「あっ、失礼しました。でも私、嬉しくって。侍女学校で一番の美容技術とまで言われたのに、奥様が領地に戻られてからは、その腕を見せる機会がなかったのですから」
鼻息もあらく熱弁するアンにレイモンド様が「落ち着け」と苦笑いを零しながら宥める。
少し遠くにいるトーマスも呆れ顔で、でも嬉しそうにこっちを見ていた。侯爵家と聞いて、ハードルが高すぎると緊張していたけれど、まるで家族のように仲の良い姿にほっとする。これもお二人のお人柄なのかもしれない。
用意された部屋は二階でレイモンド様の真下に当たるそう。お兄様のお部屋は三階の一番奥だけれど、ほとんど研究室に入りびたりで帰ってくる時間もバラバラ、しかも眠って起きてまたお城に行かれという。そんな生活で身体を壊さないかと心配になるけれど、どうやらお兄様は研究が好きすぎて自ら好んでそのような生活をしているらしい。
「仕事が好きすぎて、これでは結婚はむりだと旦那様も匙を投げられました」
バラの香りのするバスタブで、アンが私の髪にいろいろ塗りながら教えてくれた。
「しかもレイモンド様は女性を避けられるし、このままではカートラン侯爵家の血筋が途絶えてしまう! って時に現れたのがオフィーリア様なのです」
目をキラキラさせ語るアン。まるで救世主のような扱いに、私は苦笑いを浮かべるしかない。
お風呂から上がると食事が用意されていた。てっきりレイモンド様達と一緒に食べるのだと思っていたのだけれど、明日からお兄様と一緒にお城の研究室に勤められるので、今夜中に目を通さなければいけない書類があるらしい。そのお兄様ことジェイムス様は、私に会ったあとお城にとんぼ返りしてもうここにはいないという。
隣国と言えど、船で五日も行けば並ぶ食材も調理法も変わる。
料理はもちろん私のために卵は使われていない。
とっても豪華で美味しそうなのに、その日一人で食べた料理はちょっと味気なかった。