オフィーリアの学園生活.2
教室の席は成績順に決まっているらしい。
私とアレハンドロが教室に入ると、一斉に視線がこちらを向いた。
ところどころで、声を潜めた会話が交わされるけれど、内容までは聞き取れない。
とはいえ、心当たりは大いにある。
この年で専門科の授業だけを受ける生徒なんてほどんどいないし、アレハンドロに至っては学園初めてのこと。頬を染める令嬢が多いのは、アレハンドロの整った顔のせいでしょう。
整ったといっても、レイモンド様のように精悍な雰囲気はなく、まだまだあどけなさを残した美少年なのだけれど、同年代の令嬢の目に魅力的に映るのは納得できる。
「えーと、私の席は」
黒板に張られた紙は席次表。と、そこで空いている席がすでに二つしかないことに気が付いた。
「あー。オフィーリアに負けてしまったか。こっちでも一番にはなれなかったな。はい、どうぞ」
そういって、アレハンドロは左の列の一番前の席の椅子を引いてくれた。貼られた紙と見比べ、そこが自分の席であることは間違いない。なるほど、注目されていた理由は年齢や容姿のせいだけではなかったのね。
「凄いね、オフィーリア。トップでの入学、さすが薬学研究室を手伝っているだけのことはある」
そう言って、アレハンドロは私の一つ後ろの席座ったのだけれど。あれ、私、薬学研究室に務めていることを話したかしら?
どうして知っているのか聞こうと思ったところで、教師が入ってきてしまった。
ちょっと寂しい毛量の白い髪をした腰の曲がったおじいちゃん先生は、全員が席についているのを確認すると席次表を外し授業を始め出す。私は慌ててペンと紙、教科書を鞄から取り出した。アレハンドロとは授業が終わってから話せばいいわ。
そう思っていたのだけれど。
続けて三時間の座学を終え、教科書をしまいながら後ろを振り返ると、アレハンドロはすでに立ち上がっていた。
「じゃ、俺、午後からは騎士の授業があるから。またね」
そう言って手を振ると、急ぎ扉から出て行ってしまった。
忙しいのね。ま、いいわ、明日また会うのでしょうから。
研究室へと向かう途中、新しく見つけたお店でランチボックスを五個買った。
食堂でアゼリアと食べる約束をしていたけれど、朝のレイモンド様の様子をみるとなんだか一緒に食べたくなってしまったので。お昼休憩の時間がいつになるか分からないけれど、私が合わせればいいのだし。それに、入ったお店はセミオーダーだから、私のランチボックスは卵を使っていない食材ばかりにして貰えてた。
ちょっと重たいそれを両腕に抱え久々の研究室へと向かう。
入学試験は免除されたとはいえ面接対策や入学準備と忙しく、研究室へ来るのは一週間ぶりだ。
「おはようございます」
挨拶はこれでいいのか微妙だけれど、「こんにちは」はなんだか違う気がする。扉の向こうから声をかければ、アゼリアの返事が聞こえた。
「アゼリア、ランチボックスを持っているせいで両手が塞がっているの、扉を開けて……」
言い終わらないうちに扉が開き、レイモンド様が姿を現す。まるで待ち構えていたかのようなタイミング。レイモンド様の肩越しにクスクス笑うアゼリアが見えた。
「オフィーリア、ちょうど良かった。今から休憩するところだったんだ」
なんだか偶然を装っている気もするけれど、それには触れずランチボックスを見せる。
「それは良かったです。来るときに美味しそうなランチボックスを買ってきたので、皆で食べましょう」
「ありがとう。重かっただろう。持つよ」
レイモンド様はさっと私の手からランチボックスを受け取ると、作業台に置く。後ろ姿が機嫌がよい。
それを見ていたアゼリアがこっそり私に耳打ちをした。
「何がちょうど良かったよ。さっきからずっとそわそわしていたのよ」
やっぱり。扉がすぐに開いたからもしかしてそうかな、と思っていたわ。
と、そこでアゼリアが持っている物に気が付いた。
「あら、奇麗な薔薇ね。一本だけ?」
「そう、ジェイムス様がこの一週間毎日一輪くださるの。だからああやって花瓶にいけているのよ」
アゼリアの目線の先には、共通の執務机に置かれた花瓶。中には薔薇の花が七本。
もしかしたらあれ、最近王都で流行っているあの小説に書かれてる『百本の薔薇』をまねているのではないかしら。思いを寄せる女性に、一輪の薔薇を渡しながら九十九日間愛を囁き、百日目にプロポーズするという恋物語は、先月発売されたばかりというのに王都で話題になっている。
「アゼリア、それってあの小説をまねているんじゃないの?」
「まさか。だってジェイムス様から愛の言葉なんて頂いていないわ。『庭の薔薇が奇麗だったから』と仰っていたから研究室で飾るために持って来てくださったのでしょう」
「確かに侯爵家の庭には薔薇が咲き誇っているけれど……」
そこはジェイムス様。甘い言葉を思いつかなかっただけではないかしら。
レイモンド様が研究室の扉をノックしたようで、ジェイムス様も実験室から出てこられた。
「もしかして俺の分も買って来てくれたのか?」
「はい。ハリストン様の分もありますが、どちらにいらっしゃるのですか?」
「ああ、ハリストン殿はご子息の入学手続きて学園に行かれた。行き違いになったようだな」
「えっ、ハリストン様、ご結婚されていたのですか」
若く見えるけれど、ハリストン様は三十代後半。年齢的に考えて学園に入学するお子様がいてもおかしくないのだけれど、普段まったく家庭の匂いを感じなかったので驚き問い返せば、「言ってなかったっけ」ととぼけた返事が返ってきた。
「普段ご家族の話をされませんから、てっきりお独り身だと思っていました」
「一緒には暮らしていないからな。実家の侯爵家はご長男が継いでいて、ハリストン様は侯爵家が持っていたもう一つの爵位を継いでいるが、跡取りが必須なわけではない。子供は奥さんが引き取ったと聞いた。三年ほど前の話で、あのころは結構落ち込んでいたな」
離縁の理由、なんて無粋なことは聞けないので野次馬根性は飲み込む。
会話の雰囲気から奥様から愛想をつかされたのかな、と勝手に推測するに留めておきましょう。
アゼリアがお茶を淹れに台所に向かったので、私は小さな声で薔薇についてジェイムス様を問いただすことに。
「ジェイムス様、ちょっとよろしいですか? 赤い薔薇についてお伺いしたいのですが、あれは今、流行の小説の真似ですよね」
薔薇を指差し問えば、ジェイムス様は頬を赤めながらこめかみを掻いた。
「そうだ。偶然食堂で令嬢達が話していたのを聞いてな。女性はああいうのが好きなのだろう?」
「それは人にもよるかと思いますが。それに、そもそもあの小説の中では、男性は赤い薔薇の花を渡す時に愛の言葉を告げますが、ジェイムス様はご自分の気持ちを伝えられましたか?」
赤い瞳を丸くさせながら頭を振るジェイムス様。どうやら聞きかじった話を安易に実行されただけのよう。
それにしても、偶然とはいえまさかあの小説を……とは思わずにいられない。
「小説には続きがあるのです。男性は百日後にプロポーズをするのですが、その時の描写がとても素晴らしくて。主人公の女性は今まで貰った九十九本の薔薇を背景に、百本目の薔薇にキスをし男性の胸ポケットにそれを挿すのです。そして今まで訳あって素直になれなかった自分の気持ちを告げ……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それだと薔薇は数ヶ月枯れないことになるぞ」
「そこは物語ですから」
「ではまず、百日間薔薇を咲かせ続ける薬品を開発して……」
「どうしてそうなるのですか!? このポ……」
ポンコツが! と言いかけ手で口を塞ぐ。
気にすべきところはそこではないし、発想が斜め上を行くのは天才故なの?
顎に手をあて、「あの薬品が」とか「あの文献が」とか仰っているけれど、これは止めた方がいいのかしら。このままだと物凄い薬品がまた発明されそうだわ。
「レイモンド様、どうしますか?」
「うーん、面白そうだしほっとこう。うまくいけばまた褒章ものだ」
「ジェイムス様に今必要なのは褒章ではないと思うのですが……」
レイモンド様のお顔には、説明するのが面倒だとはっきり書かれている。
これは長い道のりになりそうだわ。
2.3日に一度ぐらいの投稿でいけたらな、と思っています。
お付き合い頂ければ嬉しいです。




