盗まれた試薬.6
本日二話目、誤字報告ありがとうございます!
私達は揃って犯人が潜んでいる場所までやってきた。
パトリシアさんには一度帰って貰うか、ハリストン様と一緒に研究室に留まって貰ったほうが良いと思ったのだけれど、本人がどうしても一緒に行くと言い張った。
試薬を盗んだ犯人を見ないと気が済まないというのは、研究者としての怒りからか、犯人のせいで自分の罪が発覚した恨みからなのかは分からないけれど。
とはいえ、邪魔をされては困るとハリストン様と一緒に少し離れた場所で様子を見て貰うことに。
「俺としてはオフィーリアにもハリストン様達と一緒にいて貰いたいんだか」
「パトリシアさんもいるのに、ですか」
「そうだよな……分かった」
ずるい言い方なのは自覚しているけれど、ここに犯人がいると推測したのは私だし。それに、あれだけの悪意を向けられた人の近くにいるのは、今はまだ辛い。
目の前にある小屋ーー元実験室は扉がしっかりと閉められ物音ひとつしない。
「ここが元実験室だなんて知りませんでした。ジェイムス様が実験室を爆発させて、修復する期間だけ使っていたのですよね」
「そうだ。窓もない簡易小屋で、兄は扉を開け実験していたらしい。今は物置になっているが、来たことがなかったのか」
「一度、顕微鏡を取りに行く機会はあったのですが、アゼリアが行ってくれました」
振り返ると引っかかることは沢山あった。
パトリシアさんは、元実験室は暫く誰も使っていないと言っていたのに、蜘蛛嫌いのアゼリアが平然と行って戻ってきた。使用していないのなら、至る所に蜘蛛の巣があってもおかしくないのに。それに、書類の位置が違っていたというのも、元実験室に人が入り込んでいたからだと、今になって思う。
元実験室に窓はないけれど、扉を開ければここから実験室は良く見える。
ただ、灯が消えても、ジェイムス様が泊まっている可能性はある。研究室から城門へ行くにはこの近くにある外回廊を通らなくてはいけないから、灯が消えたタイミングで外回廊が見える場所に移動し、帰る姿を確認してから忍び込んでいたのだと思う。
ちょうど私とパトリシアさんがぶつかった、背の高い植え込みの辺りからだと外回廊がよく見えるもの。
「それにしても、まさかオフィーリアが、元実験室から人が出てくるのを見たことがあったなんてな」
「初めてお城に来た時です。フードを被っていたので今思うと不自然なのですが、あの時は道に迷っていたのでそこまで気にかけませんでした」
まさか、あの時見た人が犯人だなんて。もしかして私が声をかけたのも、気づいていてわざと振り返らなかったのかも知れない。
「私は後ろ姿しか見ていないですが、すれ違ったパトリシアさんはしっかり顔も見ていました。そこはパトリシアさんに感謝です」
「……ま、そこはそうだな。おかげで今、ここにターナーがいなくても、後から問い詰めることができる」
「はい。でもいてくれた方が話は早いですよね。時間が空けば、証拠である試薬を処分される可能性が高くなります」
そう、あの時。
私が見たフードを被った人物は、元補佐官で今は文官をしているターナー様だった。
多分あの頃から、ここから実験室を覗き、留守を狙っては資料を漁っていたのだと思う。昼間にいた理由は分からないけれど、夜の張り込みに備えて準備するものがあったのかも知れない。
それに彼なら、辞める前に鍵の複製を作ることは簡単だ。
私達がひそひそ話している間、扉に耳をぴたりと当てていたジェイムス様がこちらを振り返った。
「微かだが、物音が聞こえる。踏み込むぞ」
そう言って、数歩下がり体当たりをしようとするジェイムス様をレイモンド様が苦笑いで止める。
「兄さん、無理はしないで。ここは俺のほうが得意だ」
そういうと、助走なしで右足を上げ思いっきり蹴破った。
簡易といえども建てられたのは五年程前。決して古くはないはずなのに、扉はバギッと派手な音を立て、ひび割れ内側に倒れた。レイモンド様、凄い。
カンテラの灯で照らした先には、実験器具と書類が並ぶ棚。そしてその隅で「ヒッ」叫び、突然のことに身動きすら取れず、呆然とこちらを見る男性がいた。
茶色いくせ毛の小柄な男性は、まるでネズミのように棚の隅に蹲り、私達を見てさらに身を小さくした。
「ターナーさん、兄さんの試薬を奪ったのは貴方だったんですね」
「なっ、どうして。どうして俺がここにいると分かったんだ」
「お前がここから出てきたのを見た人物がいたんだよ。ターナー、どうしてこんなことをしたんだ」
泣きそうな顔でジェイムス様が部屋の中に入っていくと、棚に置かれていた試薬を見つけ手に取った。
「試薬を盗んだのはお前だったんだな。この瓶に書かれた薬の名前と作成日は俺の字だ」
手にしていたカンテラの灯りで試薬を照らす。炎で透明なはずの液体がほんのりオレンジ色に見えた。
レイモンド様と私も続き元研究室に入る。
大柄なはずのジェイムス様の背中が小さく見えたのは、怒りより悲しみが勝っているからかも知れない。
それに対し、ターナーさんはフンと鼻で笑った。
「俺がどんな思いでお前の影になっていたと思う? 研究室に入った時からだ。お前は在学中に研究者試験に受かった天才。対して俺は補佐官だ。知っていると思うが、在学中に補佐官に受かった人間なんて両手で数えられるほどしかいないんだぞ? 本来なら俺が周りからの期待を一心に集めてもおかしくない。それなのにお前のせいでおれはずっと日陰の身だった」
「……俺はそう思ったことはない。一緒に研究して相談して、ターナーが同期で良かったと思っていた」
「こっちはそんな風に思ったことは一度もないよ。お前が実験室を吹き飛ばした時はいい気味だと思った」
ジェイムス様の顔が辛そうに歪んだ。以前「友人が少ない」と仰っていたことを思い出す。もしかして、ジェイムス様にとってターナーさんは、その少ない友人、だったのかも知れない。
「それでも五年頑張った。いつかは俺もって。でも、研究室に新しく入る新人の一人がお前の弟で、しかも在学期間中に補佐官に受かったと聞いて、ぞっとした。きっと俺は、もっと日陰に追いやられる」
「そんな、俺は兄程大した存在ではないです」
「俺が補佐官試験に受かったのは三年生の時、お前は二年生だろう? 充分天才だよ」
ターナーさんは憎しみの籠った瞳でジェイムス様を睨む。
恨み、嫉妬、妬み、僻み。血走り瞳孔の開いた瞳に対し、唇は醜く歪み笑みを作る。
「だから、試薬を盗んだ。試薬っていっても、書類を見る限り成功していると思ったからな。お前を困らせたかったし、他国に売って自分の手柄にしようと思っていた。それがまさか失敗作だったなんて」
「こんな小屋みたいな元実験室でずっと俺が帰るのを見張っていたのか? 今夜みたいに」
彼は何を考え、身を潜めていたのだろう。
暖炉に火を入れなければ寒い季節、いつ帰るか分からないジェイムス様をずっと暗がりの中見張っていたなんて。
「そうだ。特に今夜は騎士が多いし、フードを被った女は来るしでタイミングを見計らっていたらこの有様。俺らしくて笑うしかないな」
夜な夜な実験室に忍び込むターナーさんの姿とパトリシアさんが重なる。
この人も醜い笑みを浮かべながら、実験結果を盗み見、資料を持ち去っていたのかと思うと、暗く重い気持ちが胸にのしかかった。
ガサッと扉の向こうに数人の気配がした。振り返るとハリストン様が騎士を連れ扉の前にいる。パトリシアさんは扉の端で立ち尽くしていた。
ハリストン様が騎士一人を連れ小屋の中に入ってくる。
「上司として己の無力さが嫌になる。だが、研究者として、お前が決して越えてはいけない一線を踏み越えたことは確かだ」
「俺はもう研究者ではない。ただの文官だ」
「でも、あの実験試料を読み取ることはできた。あれは素人では読めないものだ」
ターナーさんはハッと目を見開き、次いで悔しそうに唇を噛んだ。
「そんなことできたって、役に立たない」
「それは本人次第ではないか? 役に立てようはいかようにしてもあったはずだ。騎士殿、連れて行ってくれ。詳しい話は俺から騎士団長に説明しよう」
「分かりました。では我らに同行してください」
騎士がターナーさんに近づく。狭い小屋の中、逃げ場所はないと観念したのでしょう、抵抗することなくターナーさんは手に縄をかけられる様子をじっと見ていた。
そのまま連れ去られ、終わると思っていたのだけれど。
扉の前に佇むパトリシアさんとすれ違う時、まるで面白い物を見るように顔を上げニタリと笑った。
「そこのご令嬢、確かパトリシアだったな」
ぎょっとした顔でパトリシアさんが数歩下がるも、すぐに壁に背をぶつけた。恐怖で引きつった顔を楽しむかのようにターナーさんは言葉を続ける。
「最近、こっそり夜中に来ていたな。それも何度も、何度も。俺だって仕事をしているんで、明かりが消えるタイミングを見損なう時はある。そんな時、お前は便利だったよ」
「私が便利?」
「お前はしょっちゅう研究室に忍び込んでいたからな。お前が帰った後に忍び込めばいい。しかも盗み見ていると、顕微鏡のネジを外し、書類を破りだす。これなら、俺が研究資料を持ち出しても気づかれないと思った」
「……では、私のせいで?」
「書類を破る時の顔、あんた俺に似ているよ。同じ匂いがする」
「なっ!! ふざけないで!!」
パトリシアさんの金切声に、ターナーさんの笑い声が被さる。
狂ったように笑うターナー様の腕を騎士達が引っ張り、その場には私達だけが残された。
次回、パトリシア視点、次いで最終話約5000文字です。いつもよりボリュームあります。
元実験室については
何年も使っていないのに蜘蛛の巣がない。雨降って地固まるの小屋の描写(元研究室と現在の研究室の位置関係)。オフィーリアが初めてお城に来た時の描写が伏線(ヒント?)になります。ええ、全てはあそこから始まっていたのです。
ターナーについては、研究書類を理解できる人から消去法で。一応ミスリード役はハリストン。
ラスト二話、どうぞ最後までお付き合いください。
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