盗まれた試薬.5
本日一話目
私の言葉で、どうしてここに私達がいるか分かったパトリシアさんが、愕然と呟く。
「……では、試薬を盗んだ犯人をおびき出すために見張っていたところに、私が偶然来たというわけ」
「そうね。でも、いずれ分かることだったと思うわ」
悔しそうに唇を噛んでいるけれど、自業自得。私としては思いもよらず、書類焼失の現場を押さえられほっとしたけれど。これだけの人の前で燃やしたのだもの、どんな言い訳もできないわ。
あとは試薬を盗んだ犯人を捕まえるだけ。チャンスは今夜しかないのだから、どうにかしなくては。
噂では、犯人の盗んだ試薬は失敗作ということになっているけれど、実際は成功した薬。それが第三者の手にあるのがまずいことは私だって分かる。
「パトリシア、君がしたことについては後で聞く。まずは盗まれた試薬を回収しなくては研究室として管理責任が問われる」
レイモンド様の声音からは怒りよりも辛さが感じられる。長年、パトリシアさんの思いに気づかなかった自分を責めているのかも知れない。
「もう一度隠れるか?」
「でも兄さん、見張っていることに気づかれた可能性もある」
「とはいえ安易にこの部屋を出るわけにはいかないな」
レイモンド様達はこれからどうすべきか相談を始め、パトリシアさんは所在なさげに壁に背を預けた。私はその様子を少し離れた場所から見る。
なんだろう、何かが引っかかっている。
レイモンド様は「気づかれた可能性」と仰ったけれど、そもそも犯人はどうやって研究室に誰もいない時間帯を知って盗みに入れたのかしら。ジェイムス様は先月までほとんど毎日泊まり込みで、そのことはお城でも有名なはず。
いえ、それ以前に犯人はなぜジェイムス様が試薬を完成させたことを知っていたの?
それにどうやって鍵のかかった研究室に入ったのか。
「オフィーリア、何か気になることがあるのか?」
「レイモンド様……はい。幾つか違和感を感じることがあるのですが、自分でもよく分からないのです」
「だったら俺に話してくれ、気づくことがあるかも知れない」
そう言われ、思いつくままに疑問を口にする。断片的で上手く話せたか自信はないけれど。
「なるほど。まず鍵のことだが、兄が鍵を落としたことがあると話したよな。その時に合鍵を作ったとすれば疑問はないと思うが」
「でも、落としたのはずっと以前です。試薬の盗難と本当に関係があるのでしょうか」
「それはそうだが、でも合鍵があれば研究室に入れる。今までにも何度か入っていて、実験資料を盗み見ていたなら試薬が完成したことも分かるだろう。それで犯行に及んだのではないか?」
紛失した書類は私が作ったものが圧倒的に多かったけれど、ジェイムス様やレイモンド様の書類も紛失したり、置き場所が変わっていたことがあった。犯人が何度か忍び込んでいたのは間違いないと思う。でも。
「どうして試薬が完成したことが分かるのですか?」
「だから実験結果を書き留めた資料を見れば……」
「見ても分かりませんよ?」
当然とばかりに言う私の言葉に、全員がぽかんとした表情でこちらを見た。
どうやら、皆様、優れているばかりに「普通」をご存じないようで。
「薬草名、分量、数字、よく分からない略語。普通は資料を見ても何を書いているか分かりませんよ? 私だって半分理解できるか自信ありませんもの」
「……そうか。そうだよな」
「そうですよ?」
顎に手を当て呟くレイモンド様に、ちょっと胸を張り答える。自慢できることではないのは承知の上だ。
少々勉強した私でも、資料を見ただけでは内容を完璧には理解できないし、完成したかまだ試行錯誤中なのかも分からない。その資料で、どうして犯人は試薬の完成に気付けたのか。
「それから研究室に忍び込むには、誰もいないことを把握しておく必要があります。ジェイムス様が帰宅されるようになったのはこの一ヶ月のことですが、帰ってこられる時間はいつもばらばらです」
レイモンド様と一緒にご帰宅されることもあれば、日付が変わってからのこともあるとアンが教えてくれた。つまり犯人は研究室を見張っていたことになる。
「だとすると今も見張っているかも知れないな」
「少なくとも、パトリシアさんが研究室に入ったのは見ていたはずです」
「では、パトリシアを帰して待てば犯人は現れる?」
「その可能性は高いですが、絶対とは言い切れません。この部屋の窓にカーテンがありません。室内は暗いですが、私達の姿を犯人が見ているかも知れないです」
窓の外を見る。木々が生い茂っていて暗く、目を凝らしたところで人がいるかなんて分からない。
唯一見えるのは、レイモンド様と雨宿りしたあの小屋だ。
「……レイモンド様、あの小屋はどうですか? あそこからならこちらが見えます」
「いや、あの小屋は鍵がかかっているし窓はない。鍵は三本、ハリストン様、兄、それから執務机の中。落としたことはないはず、だよね、兄さん?」
「ああ、あの鍵は落としてないぞ!」
ここぞとばかりに強調するジェイムス様。落としたことにそうとう責任を感じていらっしゃるご様子。ところで今、鍵は執務机の中と仰ったけれど、それって。
「もしかしてあの小屋は、元実験室ですか?」
「そうだ、って、オフィーリア知らなかったのか?」
「はい。えっ、ちょっと待ってください。だとしたらおかしくないですか? だって…」
レイモンド様の説明を聞いた私は、気づけば残りの疑問を一気に話していた。
犯人がお分かりの方もいらっしゃると思いますが、続きは夕方です。
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