初めてのお使い.3(レイモンド視点)
本日1話目
予定より早く会議を終え研究室に戻ると、アゼリアさんが扉の前で頬に手を当て立っていた。困っている様子に急ぎ向かおうとする俺の肩を押し退け、兄が駆け寄る。久々に見たな、走る姿。
少々不恰好な走り方は子供の頃からかと、俺も早足で近寄れば、アゼリアさんは研究室に鍵がかかっていると言う。
「三十分ほど待っていたのですが、どなたもいなくて。来る日を間違えたのかと思い、帰るところでしたの」
「いえ、今日来られると聞いています。おかしいな、オフィーリアがいるはずなんたが」
不思議に思う俺の隣で兄がいそいそと扉を開ける。
「ちょっと待ってくれ。何か飲み物でも……」
待て。先にオフィーリアとパトリシアを探せ。それに、紅茶一つ碌に淹れられないだろう。
「兄さん、俺が用意するよ。それにしてもオフィーリアとパトリシアは何処へ行ったんだ?」
干した薬草、水に浸った実。仕事をした形跡はあるけれど二人の姿がない。研究室内を見回していると、窓の向こうに薬草園へと向かうパトリシアの姿が見えた。
「兄さん、パトリシアを見つけたからちょっと行ってくるよ。あっ、もう少し待って葉が開いたらカップに入れ……」
「宜しければ私が致しますよ」
「そうですか、ではアゼリアさんお願いします」
へらっとニヤけた兄はこの際どうでもいい。紅茶をアゼリアさんに頼むと俺はパトリシアを追いかけた。遠ざかる後姿に走って近寄り、声をかける。
「パトリシア!」
「あら、レイモンド。……会議はどうしたの?」
俺が声をかけた時、ビクッと肩を跳ねさせたのは気のせいだろうか。ハシバミ色の瞳をパチリとさせ見てくる顔はいつもと変わりない。
「早く終わったんだ。オフィーリアを知らないか? 友人のアゼリアさんが訪ねて来ているのに研究室に誰もいなかったんだ」
「あら、そうなの。うっかりしていたわ。オフィーリアさんなら、薬草屋に行ったはずだけれどまだ帰ってきていないの? 随分前に出たはずなのに、何処か寄り道でもしているのかしら」
随分前、と言う言葉に嫌な予感が走る。
「もちろん行き方は説明したんだよな?」
「ええ、地図を渡したわ。お店の名前も伝えたし、彼女も大丈夫だって言っていたもの」
「大丈夫、と言ったのか?」
その言葉に眉間に力が入る。オフィーリアは以前、研究室に来るのにすら迷ってしまったと、恥ずかしそうに話していた。地図を見ながら歩くのは苦手だと、街を馬車で案内する時に話していたのを思い出す。
そんな彼女が、分かりにくい場所にある薬草屋に行くのを「大丈夫」と言うだろうか。
それに、アゼリアさんが来るのが分かっているのだから、寄り道するなんて考えられない。と、すれば。
「レイモンド?」
いきなり走り出した俺の名を呼ぶ声が背後から聞こえるも、振り返ることなく研究室に戻った。バン! と勢い良く扉を開けると、二人が同時に俺を見てくる。
「どうしたんだ、レイモンド。顔色が悪いぞ」
「何かございましたか?」
「オフィーリアが薬草屋に買い出しに行ってまだ帰っていないんだ。あの辺りは道が混み入っている上に少し路地を間違えると治安の悪い場所に行ってしまう。兄さん、俺、馬を借りて行ってくる」
「分かった。何、午後からの仕事はそれほどないから気にするな、直ぐに行ってこい」
仕事がないのは知っているよ。アゼリアさんが来るから、今日の分を昨晩徹夜でやっていたもんな。だけど今はそんなことどうでもいい。俺は厩に行くと、事情を話し馬を借り、急ぎ薬草屋へ向かった。
馬車を停めるほどの場所はないが、馬一頭ならどうにかなる。やや強引に店の前の柵に馬を繋ぎ、顔見知りの店主に聞けば、王宮からは誰も来ていないという。
オフィーリアが研究室を出た時間は正確には分からないけれど、アゼリアさんが扉の前で三十分待っていたこと、城門から研究室までの間に二人がすれ違わなかったことを考えれば四十分以上は経つ。
細い道が多く迷いやすいが、薬草屋までの距離はそう遠くないからもうたどり着いていていいはずなのに。
「どこに行ったんだ、くそっ」
舌打ちが漏れたその時。
「あの! このお店に王宮の薬学……あれ?」
勢いよく開かれた扉。振り返れは額に汗を浮かべたオフィーリアがいた。
「レイモンド……」
「オフィーリア! 良かった、大丈夫か?」
思わず抱き締めてしまい、腕の中から「ひゃっ」と小さな声がした。また心配しすぎて暴走してしまったと思い腕を離せば、困った顔のオフィーリアがいる。
「恥ずかしながら道に迷ってしまいました。港まで行き、親切な方に辻馬車の乗り場を教えてもらい、えーと、いろいろありましたが無事辿り着きました!」
「港まで? ということは娼館街まで行ったのか。パトリシアが地図を渡したと言っていたが」
「はい、それですが。鞄に入っていると言われたのですが、私どこかで落としたみたいで。あっ、でもメモとペンを持っていたので同じものを書きました」
はい、とポケットから出し俺に手渡す。
それは確かに地図、ではあるが。
「これはオフィーリアが書いたもの、なんだよな」
「はい。でも、パトリシアさんが書いてくださったものと同じはずです」
そうだ、オフィーリアは絵や図をそのまま暗記することができると言っていた。と、なるとこの図はパトリシアが書いたのと全く同じ。
「これをパトリシアが?」
余りにも不親切な地図に、持つ手に力が入る。これでは、街に不慣れのオフィーリアが薬草店に着くのは難しい。しかも、一歩道を間違えると娼館街に行くように……いや、そこまでは考えすぎか。しかし。
「先程、港まで行ったと言っていたが、大丈夫だったか?」
見たところ服装に乱れもないし、怪我もない。だから大丈夫だと思っていたのだが、念のためにと聞けば「はい」と答えながら左手首をさする。
「怪我をしたのか」
「あっ、いえ。大したことはないので」
「見せてくれ」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください」
強引に袖を捲れば、そこには赤い跡が。指の形? と思った瞬間、凄まじい怒りが込み上げてきた。
「誰にやられたんだ!?」
「レ、レイモンド様?」
「どこで、娼館街か? 港町か?」
矢継ぎ早に聞けば、オフィーリアは始めこそ戸惑っていたけれど、ポツリポツリと話してくれた。
レイモンド、ちゃんと気付きました!
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