婚約者は病弱な従妹が大事なようです.1
こちら短編と同じですので読んでくださったかた、読み飛ばして頂いて問題ありません。
「オフィーリアすまない、アゼリアの体調がすぐれないんだ。今日のデートは中止にしてくれ。これはお詫びの品だ」
そう言って、私の婚約者であるディオ・ファーナンド伯爵令息は、王都で流行っているプディングを差し出してきた。頭を下げた時に銀色の髪がサラリと風に揺れ、次いであげた顔は、申し訳無さそうに眉を寄せている。でも、コバルトブルーの瞳は早くここを立ち去りたいと語っていた。
「ありがとうございます」
「この埋め合わせは、今度するから」
ディオ様は言葉の途中で私に背を向け、馬車の扉を開けた。そんなに早く帰りたいのかと、呆れる気持ちで背中を見ていると、馬車の中に置かれた箱が目に止まる。私に渡したものより大きな、でも同じロゴが書かれた箱。
「さような……」
バタン
私の声なんて耳に入っていないようね。いつものこととはいえ、ため息が出てしまう。
心配したのか、侍女のサーラが眉尻を下げながら小走りでやってくる。
「いくら従妹が心配だといえ、もう何度目になりますか。病弱なアゼリア様を心配されるのはご立派だと思いますが、これはあまりに酷すぎます」
肩を怒らせ私の代わりに怒ってくれるサーラに苦笑いしながら、気にしていないと見えるよう首を振った。
「王都で流行りのプディングよ。わざわざ謝罪の品を持って来たのだから許してあげましょう」
「だからなおさら怒っているのです。だってオフィーリア様は……」
「いいから。これは皆で食べて」
半ば強引に押し付けた箱を、忌々しそうにサーラは受け取る。あらあら、食べ物に罪はないのだから美味しく食べてね。
ムッと口を尖らせ箱を睨むサーラに休憩するよう告げて、私は一人部屋に戻った。
※※
ディオ様と婚約をしたのは十歳の時。この国では、お互いの相性をある程度確認した上で婚約を決めるので、十歳ぐらいで婚約する人が多い。もちろんそこに政治的、貴族的な思惑があってのことだけれど、子供同士の相性も尊重するのだ。
だから、私とディオ様は昔は仲が良かった。
あれは、三年前。私達は十五歳で学園に入る年だった。
いつものようにファーナンド邸へ遊びに行くと、一人の少女を紹介された。
透けるように色が白く、きらきらしたブロンドの髪が蜂蜜みたいで、紫色の大きな瞳に対し身体はキュと小さい。まるで繊細に作られたお人形のような少女だった。
対して私は平凡な栗色のふわふわした髪に、茶色い瞳。背だって同学年の女の子より大きく、少し眦が上がっているせいか気が強そうに見える。
傍にいたディオ様の父親と目元が似た女性が私に微笑かけてきた。
「あなたがディオの婚約者のオフィーリアさんね。私は叔母、ディオの父親の妹よ。隣国に嫁いだのだけれど夫を病で亡くし、今日からここで暮らすことになったの。こちらは娘のアゼリア。身体が弱く寝込みがちだけれど、仲良くしてあげてね」
「はい、分かりました。宜しくね、アゼリアさん」
「こちらこそ。オフィーリアさん」
同い年のアゼリアの笑った顔はまるで天使のようだった。女の私でも思わず見惚れてしまったのだもの。私の隣でディオ様が頬を染め口を半開きにしていたとしても、それは仕方ない。
それから私達は、アゼリアの体調が良い時は三人で遊んだ。
でも、学園に通うようになってからは忙しく、ファーナンド伯爵邸に行く回数も減り、病弱でほどんど学園にこれないアゼリアと会う回数はぐっと減ってしまったけれど。
当然ながら同じ屋根の下で暮らすディオ様は毎日顔を合わせていて、彼の口からアゼリアの名前を聞く度に、私の胸に嫌な予感が走るようになった。
その予感が正しかったことはすぐに分かった。だって、まるでそうなるのが当たり前のようにディオ様は私より、アゼリアを優先するようになったから。一緒に買い物に行こうと約束しても、観劇に誘っても、アゼリアの体調が崩れれば約束は反故にされ、私はどんどん蔑ろにされていった。
※※
「ごめんオフィーリア。アゼリアの体調が悪くなったので今日はこれで帰るよ。すまないがこの埋め合わせ……」
もう何度目になるか分からないお決まりのセリフに私は眉根を寄せる。
「埋め合わせはいつするの? 今日は私の十八歳の誕生日なのよ。今日という日は二度とない、それなのにあなたはアゼリアのもとへ行くの?」
流行りの観劇に誘われ、先月新調したばかりの若草色のドレスの端をぎゅっと握りしめる。初夏にピッタリだと浮かれながら選んだ自分を道化のように感じ、さらに怒りが増した。
「朝から気分が悪いって寝込んでいるんだよ。放っておけないだろう?」
「私は放っておくのに?」
今まで我慢した物がこみ上げてきて感情が抑えられない。アゼリアが身体が弱いことは知っているから言わないでいたけれど、本当はずっとずっと嫌だった。
それなのに。
「まさかオフィーリアの心がそんなに狭いなんてがっかりだよ」
「なっ!」
「相手は病気だよ? 誕生日なんていつでも祝えるじゃないか。それに薔薇とプレゼント、あとお菓子も持って来たんだ」
はいはい、とまるで流れ作業のようにそれらを押し付けると、ディオ様は私を蔑むように見下ろした。
「アゼリアはオフィーリアを気遣っているよ。自分にだけ菓子を渡すのではなく、オフィーリアにも持って行ってといつも頼んでくる。だから今日だって持ってきたんだ」
「じゃ、今までのも全てアゼリアが……」
「そうだよ。そんな優しい気持ちを、君にも見習って貰いたいものだよ」
冷たい言葉を浴びせられ、私はまるで息ができないかのように口をパクパクさせるしかなかった。その口調だけでもショックなのに、追い討ちを掛けるように知った事実に頭も心も追いつかない。
ディオ様からのせめてもの贖罪だと受け取っていた品は、アゼリアに言われたから持ってきたものだった。
だからか、とそれだけは納得し、ディオ様が立ち去ってからも私はその場を動けないでいた。
次の日、私の部屋から医者が出ていくと、サーラは心配そうに私の額の汗を拭ってくれた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、随分気分も良くなったわ。駄目ね、やけになって食べちゃ」
「私こそ、お止めすれば良かったのに。あまりの態度に腹が立ち一緒にやけ食いをしてしまいました。申し訳ありません」
がっくりと肩を落とすサーラの腕に優しく触れる。今にも泣きそうな顔を見上げながら、本当はまだ苦しい息を悟られないように気をつける。
「なんだ? 倒れたって聞いたから駆けつけて来てやったのに、ただの食い過ぎだったのか」
突然の言葉に扉を見れば、ディオ様と彼を案内してきたのであろう執事の姿が見えた。どうやらお医者様が部屋の扉を開けた時そこにいたようで、私達の話を聞いていたらしい。苛立った顔でこちらに向かってくるディオ様の肩越しに、申し訳なさそうに頭を下げる執事が見えた。
「腹を壊すほど食べるなんて恥ずかしいぞ」
「ディオ様、それはあんまりです」
たまらず私より先に口を開いたサーラを制し、私はベッドの上から彼を見上げる。
「俺の気を引くための仮病かと思ったが、食い過ぎか。まったく、アゼリアは身体が弱く碌に食事も摂れないというのに」
私のお見舞いに来たはずのに、アゼリアの名を口にするディオ様に心の中がすっと冷たくなった。小さく手が震えるのを抑えつつ、これだけは聞かなければと息を整える。
「ディオ様がいつも私に持ってきてくれたお菓子ですが、選んだのはどなたですか?」
「あぁ、あれか。アゼリアはあまり外を出歩けないが、侍女達から流行の菓子の話を聞いて時折食べてみたいと口にすることがある。だから俺がそれを買ってきて手渡しているんだ」
あぁ、この人は何も覚えていないのね。
昔は澄んだ海の色のように見えたコバルトブルーの瞳が、濁って見えた。彼って、こんな顔をしていたかしら。まるで初対面のように思えてしまう。
「今朝、アゼリアが咳をしていたので心配だから俺は帰る。つまらないことで俺を呼ぶな」
ディオ様の言葉にサーラと執事がグッと言葉を呑むのが見えた。多分、彼女達が私を心配してディオ様を呼んだのでしょう。もちろん責める気持ちはない、だって呼んで当然だと思うもの。
立ち去る後ろ姿を見ながら、なんだか目の前の靄がスッキリと晴れたような気がした。そうか、私は今まで「初恋」のレンズを通して彼を見ていたのね。優しかった思い出にいつまでもしがみついていないで、現実を受け入れる時が来たのかも知れない。