第十六話 「逃走」
加賀美 蒼は所謂絶食系男子である。草食系だとか肉食系だとか、そんな結局は恋愛に飢えた若者とは違っていた。
今はそんなことよりも窮地に立たされているが。
全く知らなかったぞ。
海から少し離れたところにこんな素晴らしい温泉旅館があることも、
ここに今日泊まる手はずになっていたことも。
あの後、姉ちゃんに問いただしてみたところ
『言ったら蒼、行かないとか言い始めると思ったから……。』
とか言ってた。いやそりゃいかないでしょ、知ってたら。
ここにいるのは姉ちゃんだけじゃない、学校の女子もいるんだぞ?懸念点が多すぎる。
というか主に牧と若菜だ。ほかの人は俺のこと本物の女の子だと思っているからいいとして、
この二人は俺の中身が男であることを知ってしまっている。
どうすりゃいいんだ……。
「いや~、すごいきれいなとこだねぇ」
「いいんですか?山城先生、こんなところに泊めていただいて」
呑気な双真とは対照的に佐川は申し訳なさそうにしている。
「いいんだよ、たまたま安かったしな。」
「それに合宿の体があるから部費使えるしな」
「少しはかっこつけさせてくれよ……。」
なるほど。優佑にしては鋭いところに気が付いたな。
「細かいことは気にしない!とりあえず入りますか!」
「私おなかすいたなー!」
「あぁ、まってよ琴音ちゃん」
「おいて行かれる若菜さんも可愛いわね……。」
「旅館の写真もなかなか映えるね」
「あんまり騒ぐんじゃないぞー」
姉ちゃんを最初に女六人衆が入っていったので後に続こうとする。
「僕たちも行こうか加賀美さん」
「え?ああ、うん」
秋宮君が手を差し伸べる。いやここ大した段差じゃないんだが。
でも厚意は受け取っておくか、と手を取ろうとしたとき
「何してんだぁ?秋宮ぁ……。」
優佑が秋宮君にガン飛ばしていた。もういい加減慣れたな、この感じ。
二人が睨みあっているのに呆れて先に行くことにした。
「行こっ、双真」
「ええー、巻き込まないでほしいなぁ」
「何が?」
「まじかー、自覚ナシかー」
「なんのことだよ……。」
双真の腕をつかむと、後ろからすごい視線を感じたので俺と双真は逃げるように旅館に入った。
さてと、分かってはいたが早速問題に直面した。
部屋割りだ。
秋宮君がいる以上俺は男子部屋には行けない。それに佐川や前田さんにも不審がられてしまう。
「えーと女子は学生部屋、私たち姉妹と先生部屋でいいかな?」
いいぞ、これは使える姉だ。おそらく一番問題ない組み合わせだろう。
若菜や牧は一緒だと嫌だろうし、佐川や前田さんに騙してしまったような罪悪感を覚えることもない。
「学生組なら加賀美さん、蒼さんはこっちの部屋じゃないんですか?」
「むむむ……たしかに……。」
ま、前田さーん!余計なこと言わんといてよ……。
それに見えてるから、俺の浴衣が撮りたいだけなの透けて見えてるから!
「だが、それだと部屋が狭くなるだろ?」
「大丈夫です、私と若菜さんは一緒の布団で寝るので」
「なんでぇ!?」
せっかく先生が姉のフォローを入れたというのに……。
佐川め……こんな時に変態性を爆発させるんじゃねえ。若菜が珍しく大きな声出して驚いてるし。
「なら、加賀美が選べばいいんじゃない?」
「姉ちゃんと一緒で!」
いや、牧が欲しいところにいいパスくれたからね?思わず食い気味に言っちゃったけどさ。
そこまで引かなくてもいいじゃないか……。
あと姉ちゃんはキラキラした笑顔やめてくれ。
何はともあれ部屋割り自体には問題なく決められたと思う。俺は心にダメージを負ったが。
とりあえず部屋に荷物を置いてからだな。
「ごはんまでにお風呂行きたいねー」
「あ……。」
「そうか、加賀美弟もとい妹はどうするんだ?」
「お姉ちゃんは一緒でもいいんだけどね」
「一人では入れる時間に入ります」
「……お姉ちゃんは一緒でもいいんだけどね?」
とはいえ、皆ご飯の前に温泉に入りに行くだろうからそのあとになるかな……。
それまでは寝ておくか、さすがに海は疲れたしな。
「蒼、蒼!起きてー、ご飯来ちゃってるよ!」
「ん……あ、ああ……。」
結構深く眠ってしまったな。まだ眠い。
だが腹も減ったし食べるか。
「んー風呂の後にこの料理はたまらないな。」
「蒼、これおいしいよ!あーんしたげる!」
寝起きで頭が回らない。
「あーん……。」
あー、うまいなこれ。
「きゃあああ!いつもはツンな妹がデレたあああ!」
「加賀美、お前可愛いとこあるじゃないか」
うるさいな……。というか寝ぼけてただけだ。一人で食えるわい。
それ以降も何度もあーんをしてこようとする姉を回避しながら、絶品の数々を平らげた。
「それじゃ風呂行ってきます。」
「おーう、のぼせないようにな。」
「お姉ちゃんも一緒に行こうか?」
「やめてくださいお願いします。」
「う、うん、ごめん……。」
浴場についた俺は体を洗い、早速湯船につかる。
ああ~。大変気持ちがいい。幸い今はこの温泉を独り占めできている。
優雅なひと時を過ごしていたのだが、
脱衣所の扉が開いた音がする。
待て待て待て、最悪なタイミングだぞ……。
が、まだ慌てることはない。他の宿泊者なら素知らぬ顔して去ればいいだけの話。
まさかこの時間にあの女子四人の誰かは入ってこないだろ……。
「わ~、広い!」
やばいやばいやばいやばいこれ終わったかもしれない。これ若菜の声だわ。
その声色によって俺は絶望に打ちひしがれる。
「ごはん前に寝ちゃわなきゃ皆とは入れたのになぁ。」
若菜も同じ理由かよ。
いやそんなこと考えている余裕はないぞ、ばれないようにでなきゃ……。
いや、まて。
若菜は俺が男であることを知っているのだから、若菜に俺がいることを伝えて脱出させてもらえばいい。
その際に若菜を見なきゃいいだけの話だ。それに今は俺たちしか風呂にはいない。
ならば、
「若菜、いるのか?」
静まり返る温泉。湧き出るお湯の音が響く。
「加賀美、君?」
「そうだ」
再び静まり返る。
「なななななんでこの時間に加賀美君がいるの!?」
「それはこっちのセリフだ!むしろ俺はずらしたんだぞ!」
「あ、そ、そっか。私寝ちゃったんだった……。」
「とにかく!俺もう出るから!見ないようにするけど一応隠すなり隠れるなりしてくれ!」
そういって湯船を出ようとしたとき
「まって!」
若菜が言った。はい?どういうことだ……。
「こっち見なきゃいいから、だから、まだ居て……。」
いや意味わからないんですけど!? 嫌じゃないのか!?
「ど……どういうことだよ、それ」
「一人こんな広いとこにいるの、寂しくなっちゃうから」
そしてシャワーの音がし始めた。
「まじかよ……。」
湯船に人が入ってくる音がする。
「お邪魔、します……。」
「おう……。」
万が一にも備え、俺はタオルで目を隠して壁の方を向いているし、若菜にもタオルを巻いてもらっている。
正直俺自身は女子の体はもう見慣れているものなんだが、若菜が嫌な気持ちになるだろう。
「なんか、変な感じだね」
「おう……。」
なんだか熱くなってきたな。
「今回の海とかさ、佐川と仲いいみたいだな」
「あれは、なんといますか……。」
「まあ、いいんじゃないかああいうのも」
実際、自身で友達を作ることをしたい若菜にとってはいい相手かもしれない。
あの変態性だけどうにかしないといけないが。
「……加賀美君はそう思うの?」
「ん? ああいいと思うぞ」
「そっか、女の子同士でもいいんだ……。」
「別に男とじゃなきゃいけないことはないだろ」
友達に性別なんか気にしなくてもいいのにな。
と思っていたとき、若菜が動いたのかお湯の音がした。
その瞬間、俺の背中に、熱くて柔らかい、何かの感触。
「お、おい!何してんだ若菜!?」
耳元で声がする。
「女の子同士でもいいんでしょ?」
「ちがっ……そういう意味じゃ!」
タオル越しの感触が圧に変わる。女の子になってもなお、俺にはないものの感触がする。
「やめろって!」
思わず若菜をどかそう振り返ったとき、拍子に俺の目かくしのタオルが落ちてしまった。
「あ…………。」
「かがみ、くん……」
「ご、ごめん……!」
俺は逃げ出した。
何が女の子の体には慣れている、だ。何が絶食系だ。
まだ目の前で見えているかの如く忘れられない。
すぐ近く、顔と顔が触れてしまいそうになっていた距離。若菜の表情。声。
それらを振り切ろうと走って部屋まで戻ろうとした。
しかし、誰かにぶつかってしまった。
「いたっ!」
「おっと、大丈夫?」
「あ、秋宮君……。」
「すごい顔赤いけど、どうしたの?」
「あ、いや……。」
だが、秋宮君の顔も赤くなっている。
「あと、加賀美さん、浴衣はだけて肩見えちゃってる……。」
「えっ?」
急いで出てきてしまったし、走ったか肩や脚が少し出てしまっていた。
「おい、おまえら……」
こんなにも出来事が連鎖してしまうのは、日ごろの行いなのだろうか。
そこには俺と秋宮君を悲しそうな目で見る優佑がいた。
極端に近い距離、はだけた浴衣、二人の赤い顔。まず過ぎるなコレ。
「優佑っ、なにか誤解して……!」
「そうか、結局蒼もそうなっちまうんだな」
「これは事故で!」
「言い訳すんなよ!嘘ついてまで秋宮と仲良くしててよ!」
「ほんとに今までのもそういうんじゃないんだって!」
「でも聞いたぞ」
なにを……?まさか秋宮君!?
「お前ら今度デートするらしいじゃねえか」
「秋宮君なんで言っちゃったの!?」
その時俺は反応を間違えたと思った。
「やっぱり、本当だったのかよ……。」
「いやその、今のはっ」
「もういい、お前なんか一生秋宮といればいい」
なんだよ、それ。そんな言い方ないだろ?
それに、そもそもなんで優佑の機嫌なんか取らなきゃいけないんだ。
ふつふつと怒りが湧いてきた。
「ていうか、優佑には関係ないじゃん……。」
「……は?」
「私がどこで誰と何してようが優佑には関係ないじゃん!」
「……そうかよっ」
優佑が私の横を走り去っていく。
その顔には涙が浮かんでいたように見えた。
「ごめん秋宮君、私部屋戻るね……。」
「うん……。」
私は、俺は、初めて友達と大喧嘩してしまった。