日常に潜む意味と無意味
今夜もまたここにいる。
いや、何もこれはファンタジーだとか、ハードボイルドな物語でもなんでもない。
なんて事はなく、ただの日常の手記のようなものだ。
《ここ》とは《我が家の寝室》であり、《深夜1時》であり、また1日が終わったなと思う《心の置き場》である。
確かに日々に変化はある。
先に伝えておくが、悲観や不満は殆どない。
一般論で抜きん出て恵まれた状態でもないが
多角的価値観の基、恐らく私がたまたま幸運なのだろう。
強いて言うなら、不安はあるが、それは自分の身を案じるものではない。
両親や、周りの大切なものをそのうち失う事に対する不安である。
あけすけに言えば自分こそが1番大切であり、自分などは最もどうだって良い。
どうにでもなるのだ。自分は。
どうにもならぬのは周りの事象である。
そしてそれもまた《自分の一部》なのだと自覚する。
30年と少し歳を重ねた。
新たな元号と共に生を受け、つい最近新たな元号に切り替わると間もなく、世界は色を変え始めたのだ。
それは主観的にも、客観的にもだと思う。
しかし、それがどうだというのか。
個人的には心底興味がない。
そんな事を文字に起こしながら、《今夜のこの場所》に別れを告げる。