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山賊妃と龍王の婚姻  作者: のきした つばめ
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桜煙が取り舞う闇夜には

初めまして。のきした つばめといいます。今回、初投稿となりました。宜しくおねがいします!

 黒々とした盃は、遠目から見ると太陽の光を映しとり、艶やかに照り輝く黒曜石のように見えた。

東 彩蝶(あずま さいちょう)は、飴色の床に置かれた盃を両手でそっとすくい上げ、額まで掲げながら一礼した。頭を下げた途端。銀細工の簪が揺れ、シャラリと涼やかな音色を歌い上げた。

 彩蝶はおもむろに盃を口元まで下げると、そっと唇を寄せた。目を閉じ、中に注がれた液体を静かに啜る。

 一度、二度、三度………。

世の風習として、祝盃は三度に分けて飲み干すのが礼儀だった。

彩蝶は三度目で盃を空にし、唇を離した。

盃を両手で包み込むようにして、丁寧に目の前に置く。

そして床に指をつき、深々と頭を垂れた。

彩蝶の背後に控えていた使いの者が盃を下げた後、彼女は再び面を上げた。

 

 その瞬間、視界が切り開かれ、眩い光で満ち溢れた。

まるで別世界に来てしまった-------、そんな思いが頭を過ぎる。

宝物があしらえられた玉座が視界に立ち並んでいた。

その中央の玉座にゆったりと腰掛ける人物----神栄 透清(しんえい とうせい)を目にし、思わず双眸を見開いていた。 

 深い闇を切り取ったかのような、思わず吸い込まれそうになる程の漆黒の瞳。長い髪は、透清が顔の角度を変えるたび、光に透かされて薄い藍色がかっているように見えた。まるで夜空を眺めているような、神秘的な色合いだ。

すっと通った目鼻立ちに、形の整った唇。その唇には、今は微笑が貼り付けられてい「私に、婚約者が……?」



風薫る午後、彩蝶は父の東 圭翔(あずま けいしょう)に呼び出され、彼の書斎に足を運んでいた。圭翔は革張りの長椅子で腕を組みながらどかり、と座り込んでいる。傍らには珍しく母の東 瑠璃(あずま るり)もいた。


『実は、お前に話がある』


この状態で圭翔がいきなり切り出したのが、彩蝶の縁談の話だった。

当初は、ただ驚いた。自分に許婚がいるとは全く以って考えさえもしていなかったからであった。

 言葉を失う彩蝶へ、瑠璃が丁寧に言葉を重ねた。

彩蝶の縁談は、生まれた頃から既に定められていたこと、そしてそのお相手が東家に相応しい大変高貴な身分の者であること。

すぐに浮かんだ疑問は瑠璃の事細かな説明によって解消されていった。


「あなた達の婚姻は、もはや前世から定められたものである、と言っても過言ではないのよ。」

瑠璃はそこで一旦言葉を切り、目を伏せた。


「私は、あなたに受け入れて貰いたい。この縁談の話を、是非。」


この一言で圭翔の肩がピクリと跳ね上がった。瑠璃に鋭い目を向ける。「受け入れる?彩蝶、お前がこの縁談を断るのは、勿論、許さぬ。

この東家に生まれた以上、この婚姻を受け入れることは、お前にとっての義務だ。」


「まあっ、圭翔様っ!」


瑠璃が半腰になって立ち上がった。

つい勢いを殺がれた圭翔は、ムッとした顔で黙り込む。

圭翔が静かになるのを見計らってから、瑠璃は口を開いた。

彩蝶、と名前を囁かれる。


「お母様は、彩蝶に幸せになってほしいの。」


「私」がいつの間にか「お母様」に変わっていた。


「分かるでしょう?あなたにも、お母様の気持ちが。」


いつも通りの彼女の戦略だった。

あなたのためだ、彩蝶のためだと言い募る。

結局、何一つ彩蝶の幸せを思いはばかってのことではない。

全て、東家のためだ。東家の権力を更に肥大化させるため。

 それが、時として彩蝶には疎ましく思われた。


「お母様の気持ち、彩蝶なら、きっと分かってくれるわよね?」

何も言わずに下を向く彩蝶に瑠璃が縋り付いた。


彼らに何を言っても無駄だ------、長年の経験から覚悟を固めた彩蝶は、しかと顔を上げた。


「かしこまりました。母上、父上。東家人間として誇れるよう、立派に妻の役目を務めてきます。」


そう言って深々と頭を下げる彩蝶を、圭翔と瑠璃は満足気な面持ちで見下ろしていた。



 すくった砂粒が指の隙間からスルスルと滑り抜けていくように、あの出来事から月日は息を継ぐ暇も与えないまま、目まぐるしい速度で彩蝶を追い抜かしていた。


 そして、婚儀を終え、日が暮れた後に開かれた宴でのこと----------。


夜の風が頬を撫でる。

風に乗って流れてくる澄んだ管弦楽器の音色に耳を傾けながら、透清は宵の空を映し出し、深い群青色に染まった湖を眺めていた。

小舟が水の流れに身を委ねて漂っていく。赤々と燃え盛る灯火が演奏者の顔を明るく照らし出していた。


「透清殿」


頬杖をついて旋律を右から左へと聞き流していた透清は、名を呼ばれ、ゆっくりと身を起こした。


「あぁ、母上。」


透清の母にあたる神栄 翡翠(しんえい ひすい)が静々と前に進み出ているところだった。


「それにしても、透清殿は大変良き妻を娶ったものですよ。」


翡翠は微笑みながら、ゆるりと絹団扇を動かした。絹団扇に刺繍された椿の大輪が堂々たる存在感を放ちながら、透清の顔の前を通り過ぎた。


えぇ、と透清は軽く頷いた。


「私共も東家の皆様方には感謝の意を伝えなければねぇ。

そうでしょう、あなた?」


翡翠は手招きしながら夫の神栄 陽(しんえい よう)を呼び寄せた。

背後から透清の弟、神栄 九垓(しんえい くがい)と彼の寵姫である嬉春姫(はすき)もついてくる。


「こんな良縁を設けてくださった東家の皆様方には感謝し申し上げなくては、と話していたところですのよ。」


翡翠は陽の腕に指を絡ませた。見上げるその瞳には、光るものが宿っていた。

陽はほほっ、そうだなぁーと豪快に笑うと、翡翠の肩を抱き寄せた。

陽の目尻には深い笑い皺が刻み込まれ、かつてないほど穏やかだった。


 陽は九垓に王位を譲った後。翡翠と二人俗世から離れ、残った人生を慎ましく過ごしていた。

勢力が分裂して争う世を直視し、幾度なく戦乱の渦に飲み込まれてきた彼にとって、まさしく理想的な

生き方なのだろう。


「息子二人が遂に独り立ちし。羽ばたいてしまったことよ。我らの遠く手の届かぬところへ。」


陽は嘆息し、一方翡翠は袖で目頭を抑えていた。


「寂しくなるわ。溌剌とした貴方達二人がいないと、私達の心も急速に老いていくもの。」


「やめて下さいよ。母上、父上。私共は何処へも行きませんから。」


やれやれ大袈裟だ、と九垓も首を横に降っている。


「しかし。息子達が身を落ち着かせるとは、我らにとってもこの上ない喜びだ。幸せになるのだぞ、透清、九垓。」


名を呼ばれた透清と九垓は二人揃って深々と頭を下げた。


「あ、あのぉ……」


二人が再び正面を向いたその時、嬉春姫が顔を心持ち赤らめ、もじもじと身動ぎ(みじろぎ)し始めた。


「何だ、嬉春姫。言いたいことがあるのなら、遠慮する必要はないんだぞ。俺はお前の話を聞くのはいつだって大歓迎だ。」


九垓は嬉春姫の腰に手を回した。

それでは…と、嬉春姫はおずおずと口を開いた。


「実は、私からも嬉しいお知らせがありますわ。」


「……嬉しいお知らせって何の事だ?」


九垓は眉を潜めた。


「俺には見当たらないぞ。」


「だって、九垓様にはまだ申しておりませんもの。」


嬉春姫は楽しそうにふふっ、と口元を抑えた。

彼女は柔和な笑みを浮かべながら、両手をそっとお腹に添えた。


「私、身籠もりましたの。」


「んまぁっ!」


「はぁっっ‼︎」


九垓は目を剥き、首を捻って嬉春姫を見遣った。続いて嬉春姫のお腹を凝視する。


「ちょっ、ちょっと待てっ!!嬉春姫、何でこの俺に言わなかったのだっ!?」


「今申しましたよ?」


嬉春姫はおっとりと小首を傾げた。


「先にと言っ……」


「あらあらっ、本当におめでたいわぁ!!

透清殿のご結婚に引き続き、嬉春姫殿がご懐妊なさるとは。」


九垓の更なる糾弾は、まるで子供に返ったかのように生き生きと顔を輝かし始めた翡翠によってかき消された。


「余も、遂に孫の顔が見れるのか!」


「そうですよ、あなた。もう待ちきれませんわ。」


「きっと九垓に似て、元気で活発な子に育つのだろうな。」


「いえいえ、嬉春姫殿に似て、美しく成長すること間違いありませんわ。上品な女のこなのでしょうよ。」


「いや、男の子かもしれんぞ。」


意気揚々とはしゃぐ父母を見て、嬉春姫ははにかみ。そして九垓を不安気に見上げた。


「そして、あのっ、九垓様は………っ!」


九垓は決まり悪そうに腕を組み、斜め前方の宙へ視線を彷徨わせた。


「………俺も勿論嬉しいに決まってる」


良かった、と嬉春姫は安堵の息を吐き、顔をほころばせた。


「………全く、素直じゃない。」


「兄上、何が」


「本当は嬉しくて心の中で跳び上がってるくせに」


透清殿の言う通りよね、と翡翠はくすくすと笑った。


「しかし、嬉春姫。体はどうなんだ?」


「大丈夫ですよ。」 


「お前の大丈夫は当てにならん。今も立ちっぱなしだ。今日は、これで切り上げるか。部屋に帰ってさっさと休もう。」


「もう、九垓殿は心配症ですわねーー。」


翡翠は小さな欠伸を口の中で噛み殺した。


「きっと九垓殿がものすごーくご心配なさるから、嬉春姫殿もご懐妊のこと。言い出しにくかったのでしょうよ。ねぇ、嬉春姫殿?」


「えぇ、まぁ………」


嬉春姫は困ったように眉尻を下げ、言葉を濁した。


「九垓殿、それは貴方の最愛なる奥方ですもの、ご心配なさる気持ちはよーく分かりますわ。

けれども、ご心配される方も。無駄な心配をかけたくはないと、気苦労されているのではありませんか?」


「おおおおお、嬉春姫、そうなのか!?」


「………気苦労、という程でもありませんが、その、多少は…」


しかしなぁ、翡翠と陽が愛しげに妻の両目を覗き込んだ。


「余も、九垓の気持ちが分かるぞ?」


「えぇ?」


「あぁ、そうさ。もし、お前がいなくなったら、余は如何にして(いかにして)残りの人生を謳歌したらよいのかね?お前のいない人生など考えられんのだ。もはや」


「まぁ、あなた……!」


陽は翡翠の手に自分の手を重ね、ぎゅうっと力を込めた。


「ずっとずっと長生きしてくれ、他の、誰の為でもない、この余の為に。余は、お前とこの人生を生きるって決めたのだからな。」


透清は潤いに満ちた瞳を向け合いながら、感傷的にお互いの手を取り合う彼らから視線を引き剥がした。


一方、隣を見ても、九垓と嬉春姫は我が子の話にもう夢中になっている。


透清は小さな溜息を一つ吐くと、唐突に立ち上がった。長い裾を翻し、玉座の列に背を向けた。


「…あの、透清様、いかがなさいましたか?」


嬉春姫は慌てて玉座から腰を浮かし、立ち去ろうとする透清を呼び止めた。


「………少し、外の空気を吸って来ようと思っただけです。」


「そうでしたか。ごめんなさい、お引き留めしてしまいましたわね。」


「いえ、それはそうと。嬉春姫妃。この度はおめでとうございます。」


「勿体なきお言葉ですわ。ありがとうございます。」


透清は会釈だけ向けると、早々とその場を後にした。




(………本当に、あのおしどり夫婦に囲まれると、居心地が悪い )


独りになりたいと、透清は闇に呑み込まれた夜の庭園を取り留めなく歩いていた。


笛や三弦の音色がどんどん遠ざかっていく。


あぁ、自分は後宮からこんなに離れたのか。と改めて感じた。


( 私は、あの人達のようにはならない )


透清は桜の大木の下で足を止めた。


彼は、生涯、誰も愛さないつもりだった。

---------いや、愛せないのだ。愛する、という権利が彼にはない。

愛してしまえば、終わりだ。また誰かの命を奪うことになってしまう。

人生の途中、まだ命の灯火を燃やすことの出来る人が、自分の為に命を落とすところをもう見たくはなかった。


『彩蝶様、見事な桜ですわね。あら、こちらにも。』


何の前触れもなく、桜の大木を隔てた前方から声がした。


(彩蝶………?)


透清は身を固くし、桜の大木へ足音を立てぬようにして体を近づけた。


『ほんとね、綺麗-----、だけど。』


『はい?』


『あずみ、この桜の花弁を弓で射ると、どうなるのかしら、ね?』


(弓………?)


『やめて下さいよーー、そんな物騒なことは』


『やだ、本気で言ってるんじゃないわよ』


『彩蝶様ならやりかねないからこそ、申し上げているのですわ。』


透清は木の陰に身を隠しながら、慎重に様子を伺った。


あずみ、と呼ばれる侍女と桜の花弁を手にのせ、じっと手元を覗き続ける女性が一人。









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