白い世界の中の透明な雫
ふっと、ソレは浮かぶ。白い天井に。
ポッと、ウカブ、フルエル、
絞り出すようにして、雫が現れる
つうぅ、と重さに耐えきれなくなり、
ヒトシズクガ、オチル、
スゥ、と落ちた後、
微かに粘着質な音。
ポトン、ペタ。
それだけ。
三方を白いカーテン、枕元の白い壁、パイプも白い、ゴワゴワの布団カバーも白い、枕も、何処もかしこも白い中、ソレは時をかまわず白い天井に現れる。
ふっと、透き通ったそれは浮かぶ。最初に気が付いた時は、間仕切りのカーテンレールの上あたり。午後の点滴を受けてた時に、気が付いた。
ポッと透明なソレは現れた。ガムシロが、一滴浮かんでいるかの様。ソフトボール位の大きさ、その球体の表面に、震えるように水滴が集まる。
ツゥゥゥ、と集まりシズクが出来ると、耐えきれなくなりソレが離れて、ポトリと落ちる………
水ではない重さを持って、ゆるりと落ちていく。
それを目で追った。落ちるに従い視線からズレる。なので視界に入るように、くい、と、顔をそちらに向ける。
ツ、ツゥゥ………ポトン、ぺ、タ………
落ちた。スライムとはこういうモノなのか?疑問に思っていると、ソレは十円玉位の大きさ程にジワリと広がり、ポゥと、点滴の雫の様に丸く形取り立ち上がる、とフル………と、一つ動いて消えた。
ポ、トン………ぺタ。
その音で、目が覚めた。消灯時間は、とうに過ぎている。カーテンで仕切られた空間。床に落ちているのか?私は気になり枕元の灯りをつける。
柔らかな光。ふわりとカーテンを照らし出す。ソレは最初に見つけた時より、幾分カーテンの内側の床にに、相変わらずペタリと、はりついている。気になるので見ていた。
ふっと淡く、蛍光灯に反射したかのように光る。そして、クン、と丸くなり伸び上がると、消えた。
おかしいモノが見えてるのか、それとも病院によくある不思議な事の一つなのか、一階ロビーの公衆電話は零時にワンコールなるらしいとか、夜中に談話室から、声が聞こえるとか、そういうモノの一つなのか。
怖くはなかった。ただ一日に一度、時を構わずにソレが姿をみせる。退屈な療養生活の中で、唯一の刺激。いつしか、いつ来るかと、ソレの事をいつしか私は、待ちわびる様になっていた。
トイレに行こうと廊下に出ると、ポッと、ソレが視線の先に浮かんでいた。天井近くに、ポツンと浮かんでいる。その距離は歩いて二歩ほど先。
ツゥゥゥゥと、集まる。シズクが一滴、落ちてきた。
ポトン、ペタ。
着地する。ふると震えて、消えてゆく………
そんな事が数日続いている。ソレは何なのか、人に聞くのもどうかと思うし、時には気づかない日もある。何も害が無さそうなので、私は気にせずにむしろソレに出逢うのを楽しみに日々を送っていた。
ポトン、パタ。
床に落ちるソレ、何もなく消えるソレ。
ポトン、バタ。
スリッパの上に落ちた様な音がしたときは、夜中だったが起きて確認をした。
変わらずに、何もなく消えているソレ。
スゥ、ポトーン。タ。
リハビリから帰る途中廊下を、歩いていると、スッと目の前を上から下に鼻先を通り落ちて来た。
上を見上げる、何も無い、下を見る、
フル、と動いて、消える。
何も残らず、残せないのか、キレイに消えているソレ。はかなく消えるソレ。
床に落ちたときに、消える前にフルっと動く姿を、毎日、毎日目にしているうちに、どういう訳か、私は心を惹かれて、ソレを、かわいいと思うようになっていた。
ふっと、ソレは浮かぶ。白い天井に。
ポッと、ウカブ、フルエル、
絞り出すようにして、雫が現れる。
つうぅ、と重さに耐えきれなくなり、
ヒトシズクガ、オチル、
ス、ウゥと落ちた後、
微かに粘着質な音。
ポトン。ペタ。
ソレの見方が変わったのは、昼食が終わり、とろりとした午後の事。うつうつと眠っていた私、ふと目を覚ますと、真上の天井にソレが現れていた。近い…………落ちて来る。とボンヤリと見ていた。
ポ………トン、パタ。
ゾクリとした。耳の横をかするように通った音が聞こえた。枕から外れた僅かな隙間に落ちているらしい気配。目玉をちろりと動かすが、小さなモノなので枕の厚みに負けて見えない。ドキドキとしている。
大丈夫、アレは直ぐに消えるし、跡形も残らない、そう見知ってはいるが、小さな異質は、薄ら寒いモノの存在を顕にしてそこにいる。
見舞い客のククククと、抑えた笑い声が聞こえた。私は苛立ち、意を決めて、がばっと布団をめくり立ち上がる。
は、ぁ…………と大きく呼吸を一つする。脈打つ体内、血が熱を帯びるかの様、ぎこちなくそこを確認する。
何も無い。
ジャっとカーテンを開ける、昼寝をしているのか、カーテンを引いている同室の者、イヤホンでテレビを見ている者、本を読んでいる者、リハビリか、検査で空いているベット。静かな午後の時。
見舞い客等いなかった。聞き間違いか………、嫌な汗がジワリと滲み出る。
ブラインドが開けられている窓に、近づき外を眺める。眼下に広がる新緑の木々が、ザワザワと揺れている。
楽しみな存在が、クルリと変わった瞬間。
一日に一度姿を現し落ちて来る、昼間なら、目が開いている時なら、避けようもある。しかし目を閉じていたら、先のようにふと覚めた時なら………、そしてソレが真上だったら………眠るのが怖い。
ポトン、と、落ちて来るソレに触れてはいけない。本脳が動く。どうするか。眠れぬ数日を過ごし悩んでいると、隣のベットから声がかかった。
「もう少ししたら、あなたさん退院じゃね。若いから治りもはようて、ええねぇ、にしては、元気が無いようやけど………、ほれ、陰気は病を引き込むから、笑うと免疫力も、高うなるっ。つぅことやし」
そこの声に、はっと気が付いた。カレンダーを見る。一週間後に丸印、そう、退院が近いのだ。それまでなんとか乗り切れば………、私は指でその印を強くなぞった。
ハッと目を覚ました。顔を、身体を、片方によじるように背ける。
パタ。枕の上に落ちたらしい音。
終わったか………、今日は夜中、昨日は夕方だったので夜は眠れたが………、日中の出来れば、起きている時がいい、しかし気まぐれなソレは、私の事など気にもせずに、姿を現す。
ふっと、ソレは浮かぶ。白い天井に。
ポッと、ウカブ、フルエル、
絞り出すようにして、雫が現れる。
つうぅ、と重さに耐えきれなくなり、
ヒトシズクガ、オチル、
ス、ウゥ、と落ちた後、
微かに粘着質な音。
ポトン、パタ。
「ん?熱が………退院前にいけませんね」
眠れない事と緊張感を常に保つ事が、ストレスになっていた私、明後日退院というときに、熱を出してしまった。
下がったら、明日退院出来ますか?と口の中に嫌な熱を帯びながら、私は回診の担当医に聞く。
「どうでしょうね………、喉を診ますから大きく口をあけてください、そうそう、あーと、声を出して」
一日も早く退院してアレから開放され、眠りたい私は、医者から言われたとおりにする。舌を抑えられて、ライトで覗き込まれたその時。
ふっと、ソレが出た
ポッと、ウカブ
つうぅ、とヒトシズクガ、
デキアガル
タエキレズ
オチヨウトシテイル
「ん?炎症が有るのかな?」
覗き込む医者。カタカタと震えが生まれた私。先生、先生、動かないでください。目を見開き私は念じる。
落ちてきても今なら、医者の後頭部に落ちる。
ハヤク、ハヤクオチロ
クククク、と、そんな私を嘲笑う様な笑い声、あの時聞いた笑い声が、はっきりと上から降ってきた。聞き間違いではなかったのだ。
目に力がこもる。一気に体温が上がる、身体が熱い、涙が熱持ち浮かぶのがわかる。
オチテ、オネガイ、オチテ………。
「そのまま、粘膜取るから」
医者が顔を上げ、手は舌を固定したまま、ライトを看護士に手渡す。ビニールの袋から、長い綿棒を取り出し手渡す看護士。
グ、カハッ………咳き込んだ私。
「退院はしばらく、延ばしましょうね」
とろりとした眠気の中、医者の声が聞こえてきた。
ハイ、と答えた私。
ふっと、浮かぶ。白い天井に。
透明なモノ、ソコニウカブ。
私が、退院をした。天井に目を向けて、
「頑張れ、イイノミツケロヨ」
私の姿で、最後そう話してきた。
アア、とワタシはコタエタ。
私は家族に迎えられ、手に荷物を持つと、元気に部屋を出ていった。
サヨナラと、言う事しかできなかった。
ふっと、ソレは浮かぶ。白い天井に。
ポッと、ウカブ、フルエル、
絞り出すようにして、雫が現れる。
つうぅ、と重さに耐えきれなくなり、
ヒトシズクガ、オチル、
ス、ウゥ、と落ちた後、
微かに粘着質な音。
ポト、ン、グ!カハッ!
口に、喉奥深くにストンと、落ち入ったあの時、ソレの声を聴いた。
「ミツケタ、ホシイカラダ、ヨウヤク、ゲンキデ、タイインデキル」
気が付いた時は天井から、ワタシは私を見下ろしていた。その時はまだ、そう幽霊。透き通った人の形をしていた。
取り返そうとワタシは私に近づく、圧倒的な力の壁、バッン!と跳ね返され、ベチャ!と天井に叩きつけられる。
痛みは無い、ただ繰り返す度に柔らかくなるような、感覚を味わう。それだけなので、どうにかしようと、ワタシは狂った様に近づき、跳ね飛ばされ、叩きつけられるを繰り返した。他のモノは何も聞こえない、見えない、ひたすら繰り返した行動。
どこに行くのにもついていった。退院が近くなり慌てていたワタシに、ハナシかけてきたモノがいた。
『このままで眺めてるのも楽しいよ、ワタシャ、兄さんといっしょ、カラダ、取られちゃったんだけどね、ああ!あのお人は死んで間がないねぇ、え?わかるのかって?そりゃあわかるさ。どうするのか、聞いてみよ!オオイ!身体、取るのか?そのままじゃ取れないぞ、まずはだな』
そう話してくるのは少し崩れてはいるが、トロリと人の形を保っている『ソレ』だとワタシはわかった。
フっと出たり消えたりしている『ソレ』もいる。たいていは、一人の患者にはりついて動いている。彼らは人の形は無い。丸く透明で、透き通ったソフトボールの様。
『まずはだな、その形じゃね、ムリムリ!ええ、と、ほら!この兄さんみたいにならなきゃ!』
エ?その時気が付いた。ワタシの姿は、既に変わり果てていた。窓ガラスに映り込んだのに気が付いた。透明な透き通ったソフトボールのワタシ、そしてヒトノ姿をしているモノ達が、丸いモノ達が、あちらこちら散らばり、白い天井近くに漂っている世界。
「コーなっちまえば、とっとと新しい器を見つけないとね。そのうち溶けて無くなっちまうのだよ。だからお薦めはしないねぇ、どうせこのままでも、イツカ消えて逝くのだから、ワタシャ最初に弾かれて諦めた口さ、兄さん、元には戻れんよ、別なのを探しな」
ワタシは、ワタシヲ、諦めなければ、ナラナカッタ。
………仕方ない。仕方ない。もうどうにもナラナイ、ナラナイ、ナラナイ、ドウニモナラナイ。
ふっと、浮かぶ。白い天井に。
つうぅ、とアツメル ソシテ
ヒトシズクヲ、
ポトン、と、オトス。
ワタシハ………マダ、白い世界の中ニイル。
ハヤク、ハヤク、ハヤク、ハヤク!
飲み込め。
完