マップ縮小と夢の検証
今日の進捗会議は荒れ模様だ。昨日発覚した、シナリオ班の大幅な作業遅延のせいである。
俺は開口一番、シナリオ版を指名した。
「シナリオ班、本日進捗と昨日のマップ作成遅延についての今後の見込みを報告願います」
「シナリオ班…平川。
開幕イベントシナリオ…初稿をレビュー中。
装備のフレーバーテキスト…作業中断…マップに…人を回す。
マップは…三週間の作業で…12個完成…残り8個。帝都マップ…本日着手。
残りは…二週間で…完成予定」
「今週末の締め切りに、マップは間に合わないですか」
「今週末…無理」
いや、そんな他人事みたいに言われても
「二週間後なら確実に完成できますか」
「多分…完成」
マップ作成のペースは一週間あたり4個なので、残り8個は単純計算では二週間で完成する。
だが、残り8個のうちの1つ、帝都は大規模な重要施設が多数あるマップであり、他のマップとは作業量が段違いである。それに、迷宮マップはどうなっているのだ。嫌だなぁ、俺が地雷を踏むのかよ。
「平川さんの言うことは机上の空論です。
単純計算では二週間で8個ですが、帝都は他のマップの数倍の作業量になるのではありませんか?フレーバーテキスト作業の人員を回したとしても、焼け石に水でしょう。
それと、全く報告がありませんが、迷宮マップの方は完成しているのですか?」
「迷宮…未着手」
会議室、騒然。
ここにいる全員が理解した。来月予定のサービスインは延期だ。絶対にマップが間に合わない。
深刻な事態だが皆の表情はちょっと嬉しそうだった。皆の作業も遅れており、来月の期日に間に合わないことはわかっていた。自班の遅れが原因になるのは嫌なので、誰もそれを口にしなかったのだが、ついにシナリオ班がババを引いた。『延期決定、責任を取るのはシナリオ班』というわけだ。
延期になればスケジュールの重圧から解放されて皆は嬉しいだろうが、スケジュール管理責任者の俺はそうはいかない。シナリオ班とともに詰め腹を切らされる立場である。これに備えて腹案を練ってあるのだ。皆には悪いが、来週も俺と地獄に付き合ってもらう。
「状況はわかりました。このままでは、来月の完成期日に間に合いません。
そこでマップ縮小を上に掛け合います。
帝都マップを除いた残り7個は森で埋めて、立ち入り禁止区域に設定します。
迷宮マップは10層以上をロックします。
シナリオ班は帝都マップと迷宮マップ1~9層に全力を注ぎ、期日までに完成させてください」
マップ縮小はゲームにとって致命的ではない。マップが広大すぎてプレイヤーの人口密度が低くなり、満足に遊べない懸念があったほどだ。むしろ丁度良い広さになったといえる。この線で説得すれば、上も納得するだろう。
◇ ◇ ◇
進捗会議を終え、上司にマップ縮小を打診して、俺は精神的にヘトヘトになった。
もう、今日は定時退社しよう。ならば帰る前に、気になっていたことを確かめてみるか。
開発フォルダを開き、端末コンソールから検索コマンドを打ち込む。
$ git grep "伴侶の交わり"
ゲームサーバに登録されたフレーバーテキストの中から、検索語を含む行が抽出された。
Text/society.json: "marriage":"この世界に結婚制度はない。子を授かった時点で夫婦となる。妊娠するには互いに認証して交わる必要がある。これを『伴侶の交わり』と呼ぶ。",
やはりあったか。例の夢の中で初めて知った用語を現実世界で発見したことに戦慄した。
認証の具体的な方法は記載されていないが、NPCの自律学習AIは『名前を呼び合う』ことと解釈したようだ。おそらくプレイヤーがゲームサーバに入る際のログイン認証手順から推論したのだろう。不明なことや未定義な内容は、こうやってAIが推論して穴を埋めてゆく。これがこのゲームの売りなのだ。
しかし『伴侶の交わり』とは、これまた詩的な表現だな。おそらく平川の仕事だろう。こういうゲームプレイには全く影響しない、こまごまとした世界観の作り込みに血道を上げているから、スケジュールに間に合わないんだぞ。文学バカめ。
さて次に確認したいのは、もう一人のバカの仕事だ。
NPC村人のデータを読み込み、3Dモデルを縦に回転してスカートの中を拡大する。そこには予期した通り、例の下着と手書き文字があった。
俺は思わず「はぁ〜」とため息をつき、社内ツールで藤原に直接メッセージを打つ
y.smeragi> NPC村人のパンツの落書きを早く消せ
返信は期待していなかったが、即リプが来た
m.fujiwara> 見たっすね
m.fujiwara> 週末で良いっすか
アホか、テスト班に見つかる前にさっさと直せよ
y.smeragi> だめだ、今すぐやれ
m.fujiwara> マジっすか、10分待って欲しいっす
何がマジだが知らないが、これで良し。俺は手早く帰り仕度を整えて会社を出た。
そして久々に帰宅ラッシュの人混みに揉まれ、駅のホームで列車の入線を待っていると、ぐいっと腕を掴まれた。
「なんで一人で帰っちゃうんですかぁ!」
藤原だった。走って追いかけて来たらしく、ハアハアと荒い息が艶めかしい。
「いや、オフで藤原に用事ないし。というか、指示したパンツの修正は済ませたのかよ」
「え〜酷い、マジ変態〜」
混雑するホームで、周囲の視線が俺に突き刺さった。
客観的に見ると美女に対してパンツ修正とか口走るやばい男、という構図だ。
もはや通報事案なので、藤原の手を引いてその場を脱出することにした。こりゃ、藤原の罠に嵌ったかもな。やることは狂ってるが、頭は回るやつだ。