2章
普通の人はちゃんと泣けるらしい。
ドラマや映画を観たりすると感動で涙が出るという。
現実でいうと、別れの場面で泣くことが多いようだ。
たしかに、葬式で泣いてる人がいたけれど、どうして泣いているのか僕には分からない。
泣き方がわからないから泣きようがない。
今までは「なんで泣いてるんだろう。気持ち悪いなぁ」としか思わなかったけど、少し興味が湧いてきた。
泣き真似なら簡単にできる。
ただ、どうせなら僕も泣くという感情を体験してみたいのだ。
僕は早速、虫カゴを買った。
カブトムシを幼虫から育てる、小学生が夏休みにやるようなことをやり始めた。
ただし、成虫にするためではなく、別れのために。
カブトムシの幼虫は育て方の通りに育てると、どんどん大きくなっていった。
なんというか、単純だなと率直に思った。
マニュアル通りにやれば勝手に育ってくれる。
手のかからない子ってやつだ。
人間の子育てはカブトムシのようにはいかないらしく、たびたび幼児が殺されている。
どうせ世の中の母親は子供もカブトムシみたいに簡単に育てばいいのにと思っているのだろう。
育児がしたけりゃカブトムシを自分の子供にすればいいのに。
わがままで産んでわがままで殺す、それで逮捕されるくらいだったら最初から死んでも許される生き物を飼った方がマシだと僕は思う。
カブトムシは長生きしないし、手軽に済むからおすすめだ。
僕だって本当は人で試したかったけど、カブトムシで我慢してるのだ。
数日が経って、カブトムシは成虫になった。
しかし、僕は不安になっていた。
このままコイツが死んでも何とも思わないなと。
今も世界中のどこかで死んでいる他人と変わらない。
カブトムシの衰弱死は別れですらない。
ありきたりな日常だ。
もっと映画みたいなドラマチックな別れを演出しなければ。
僕はカブトムシの頭を指で押さえた。
いよいよ別れの時だ。
カブトムシは呆気なく砕けた。
走馬灯を見せることもなく、パキッという音を立てて潰れた。
もちろん動かなくなった。
小さな命は死んだ。
「だから何だと言うのだ」
これが僕の感想だった。
この手で丁寧に育てたカブトムシを自ら殺したけれど、涙はやってこない。
ここは泣くシーンだろうと自分の感情に呆れたい。
あっさりとした幕引きを味わって自分の子供を殺す親のことを思い返した。
彼等は僕がカブトムシに抱いた感情程度しか子供を想っていないのだろう。
別れのために命を飼った僕よりはマシかもしれないが、育児を途中で投げ出して殺す奴等も無責任だ。
僕はやるべきことを全うした。
責任を持って育てて殺した。
彼等よりも命に対して向き合ったとは思っている。
ただ、僕には泣くという才能がなかったというだけだ。
結局はそれだけのことだ。
泣けなかったし、虫カゴを売りに行くとしよう。
一週間後には忘れているだろうから死骸に伝えておいた。
「僕の人生にとって君はそれほど無駄ではなかった」