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戦記 短編

元化46年の聯合艦隊

今年は元化46年である。目の前に広がるは横須賀鎮守府の新年装飾の軍艦たち。


聯合艦隊旗艦、重戦艦常陸や第三艦隊旗艦、軽戦艦美作は遠くからでもよくわかる装飾がなされている。


世界を震撼させた最初の重戦艦である大和型が就役して25年になる。

当時はまだ戦艦に分類は設けられていなかった。46センチ砲の大和型も戦艦であった。

大和型はその後6年は40センチ砲と称していたが、日米戦争後の東京海軍管理条約によって戦艦には国際機関による査察が義務づけられた事を期に実際の口径を公表し、その巨砲に世界が震撼した。

そして、東京海軍管理条約は再交渉が持たれる事になった。


 そこでは41センチまでの主砲のものとそれ以上で区分される事となった。

この第二次条約においては、41センチまでの戦艦は軽戦艦とされ、査察が軽減され、それ以上の重戦艦には就役時点での査察での主砲口径の計測に留まらず、その改修や整備の度に査察を受け入れる義務が生じる事となる。


 これまでのワシントン、ロンドン海軍軍縮条約の様な保有制限や口径の制限は設けられていない。

それはこの条約が日米英に限ったものであって、ソ連やドイツが参加していない事が理由のひとつだった。

条約が出来た元化22年、日本は大和型4隻に次ぐ戦艦として、51センチ砲の搭載を進めており、既に2隻の予算が成立、1隻は起工間近であった。

 しかし、条約によって戦艦の主砲が査察対象となった事によって、主砲口径の優位性は崩れ去る事になった。


 大和型の主砲口径が46センチと知った英米は当然の様に同等口径である18インチ砲の搭載を発表する。そして、条約加盟国ではないが、ドイツも自国戦艦の管理委員会による査察を受入れ、主砲口径が48センチであることが発表され、更なる衝撃が世界を駆け巡った。

 18インチ砲の搭載を発表していた英国はすぐさま20インチ砲の搭載について言及するに至る。既に砲の試作は世界大戦後の時点で一度行われており、18インチからの移行も技術的に問題ない事が確認されていた。

 日本がその混乱に更なる衝撃として51センチ砲の完成を発表したものだから、世界は新たな巨艦競争の時代を迎えた。


 元化30年、英米は20インチ砲搭載の重戦艦を就役させはじめる。

 しかし、英国ではあまりに高額な建造費から実際に建造されたのは3隻にとどまり、日本においても常陸型4隻を計画したものの、常陸の就役後に様々な問題が発生した事から結局2隻で計画は中止されてしまう。

 常陸型は排水量92500トン、全長288メートルという巨艦であり、入渠可能なドックが少なく、4隻建造しても整備に支障をきたすことが早々に判明していた。そして、実際に建造してみるとその主砲の操作は難しく、光学、電子機器に対する爆風と振動の影響も多大であった。

 当時の真空管を主体とした電子機器は良好とは言えない日本の技術では砲撃の衝撃により度々故障し、光学機器は爆風によって狂いが生じる有様だった。米国で建造された20インチ砲重戦艦は爆風対策として排水量104000トン、全長312メートルに達しており、その巨体によって前後の砲塔群と艦橋の照準機器を離すことで爆風による影響を緩和し、金属製真空管の使用や防振装置の採用によって衝撃を緩和する措置が取られていた。砲機構の信頼性も日本とは比較にならなかったのは言うまでもない。

 そのように問題をほぼ解決していた米国であったが、建造した20インチ砲搭載の重戦艦は6隻にとどまった。


 現在であれば、確かに10万トン、全長300メートルという船体を持つタンカーも存在し、日本においても常陸型重戦艦の増備、あるいは後継艦の建造に支障はないように思われるだろう。電子機器においても英米との貿易によって技術的にも向上し、今では常陸型も以前とは違い、電子機器の信頼性も格段に向上している。

 また、よく語られる投射重量においても、41センチ砲弾は約1トンといわれ、46センチ砲弾が1.5トン、51センチ砲弾では2トンあるとされている。軽戦艦美作を例に取れば、その41センチ三連装砲4基12門の投射重量は12トン程度となる。たいして重戦艦常陸の51センチ連装砲4基8門の投射重量は16トン程度になる。詳細は公表されていないので数百キロの誤差はあるのかもしれないが、その差が3~4トンあることは間違いない。

この数値だけを見れば如何に常陸が優れているか分かろうと言いたくなるのだが、ことはそう簡単ではなかった。


 それは元化19年から2年にわたって行われた太平洋戦争や、元化24年に勃発した独ソ戦争に表われている。

 太平洋戦争において二度の大海戦が行われ、勝敗はつかなかったものの二度とも大和型戦艦は米戦艦に対し致命弾を与えること僅かであった。第二次マリアナ海戦で爆沈した36センチ砲搭載の山城は二度の海戦とも格上の40センチ砲戦艦でああるノースカロライナ級などに多数の命中弾を与え、戦闘不能に陥れている。

 大和型は確かに1発の命中による威力は大きかったが、命中弾は僅かだった。確かに武蔵がワシントンをたった1発で爆沈させているが、第一次マリアナ海戦における武蔵の戦果はそれだけである。山城が第一次マリアナ海戦でノースカロライナとインディアナの2隻を戦線離脱に追い込んだのとは対照的だった。第二次マリアナ海戦においても、長門型や大和型の戦果よりも12門艦である扶桑型、伊勢型の戦果が大きかった。36センチ砲のため、撃沈こそ出してはいないが、山城が爆沈までに2隻を戦線離脱させ、3隻の主砲塔を使用不能に追い込んだ戦果を筆頭に、12門艦3隻で米戦艦10隻に損害を与えている。陸奥が撃沈したアイオワにしても、伊勢がアイオワの2番砲塔と煙突を破壊していたおかげと言われるほどである。確かに、防御力の低い扶桑型、伊勢型は第一次マリアナ海戦で扶桑が撃沈され、第二次マリアナ海戦では山城と伊勢が沈んでいる。日向も大破しており、結局雷撃処分となったが、その脆弱性とは関係なく、活躍したのは事実であった。

 

 より顕著に表れたのが独ソ戦争だった。

 バルト海を完全封鎖されたソ連が事態打開のためにムルマンスクから出撃させたレーニン級軽戦艦はフランスの技術援助によって同国の38センチ四連装砲3基12門を搭載する戦艦であった。それに対してドイツは48センチや42センチ連装砲4基8門を装備したカイザー級やグローサー・クルフュルスト級を出撃させているが、レーニンこそ爆沈に追い込んだものの、ソ連艦隊を撃退した時のドイツ艦隊は酷いものだった。世界大戦でも示されたその抗甚性こそ健在であったが、どの艦も甚大な被害を受けており、最新最強とうたわれたヴュルテンブルクにいたっては、全砲塔が故障して戦闘能力を喪失していた。もちろん38センチ砲弾が貫通して内部が破壊されたわけではなく、砲弾が砲塔や至近の甲板に直撃した衝撃によって歪や破断が発生したことによる旋回部や俯仰装置の作動不能によるものだった。


 日本では自国の戦果を正当に評価せず、山城乗員を軍神と崇めるに留まっていたが、北海海戦の結果は山城の活躍を思い出させるに十分だった。

 現在公開されている資料において判明しているだけでも、なぜ常陸型が建造中止になったのちに41センチ砲を積んだ軽戦艦和泉型が造られたかが分かる。


 前述のとおり投射重量でははるかに及ばない。これは山城と米41センチ戦艦や独戦艦とレーニン級も同様であった。しかし、現実として、山城は多大なる戦果を示したし、独戦艦部隊は数で同数、投射重量で明らかに勝るソ連艦隊に対し終始撃ち負けていた。独艦隊が勝てたのは戦闘指揮において、最終的に優位な位置を取れたからといわれている。資料にもそのことが示され、電探技術の発達で測距や弾着観測がより正確になり、電算機技術の発達で命中弾を得るまでの所要時間が短くなる中で必要な事は、少数の砲弾による一発必中ではなく、如何に迅速に多数の命中弾を敵に与えて敵を戦闘不能にするかという事に向けられるようになったことが大きい。現実に山城やレーニン級が示したのは「手数で相手に勝る」というものだった。はじめはその手法を認められなかった日本であったが、12門艦に対して9門艦や8門艦では分が悪い事は事実であった。認めたくはないが、受け入れるしかない。それが元化26年の日本の状況だった。

 当時、日本が計画していたのは、常陸の失敗によって、より小型の船体、つまりは大和型程度の大きさで6門の51センチ砲を備えた重戦艦だった。しかし、それでは投射量においても大和型に劣り、太平洋戦争以後に就役したモンタナ級軽戦艦に明らかに手数で負けるというものだった。独ソ戦争はその論争にトドメとなってしまう。かといって、46センチ砲で10門や12門の重戦艦を造れば、排水量も全長も常陸型に匹敵したものとなる。

 そこで導き出されたのが、51センチ砲重戦艦に対しても有効な威力を持ち多数の砲を装備可能な口径としての41センチ砲だった。

 長門型の41センチ砲は天興6年に制式化された砲で、当時としては非常に優秀だったが、46センチ砲や51センチ砲の時代にはいささか威力不足となっていた。そこで新たに新型砲が開発されることとなり、45口径から長砲身化され54口径となり、砲弾にも改良が加えられているという。


 新型軽戦艦ではこの砲を三連装砲塔に収め、4基装備することとして、大和型程度の船体での設計を行った。結局は大和型より全長が長くなり272メートルに達したが、モンタナ級より小さく収まっている。

 こうして、元化29年から和泉型軽戦艦として建造が開始されることとなり、今では8隻の同型艦がある日本最多建造の戦艦となっている。

 元化29年の段階において、米国では20インチ砲よりさらに大きな22インチ砲の試作がなされていたが、排水量は15万トンを超え、全長も340メートルに達する巨艦となる事からさすがに実現には至っていない。その代わり、日本と同様に16~18インチ砲への縮小を検討し、モンタナ級を改良して高速化したカンザス級へと建造を移行し、旧型戦艦をすべて更新していくこととなった。

 つまりは、米国も日本と同じ考え方を採用し、期せずして和泉型軽戦艦と似た性能の艦を建造したのだった。


 ドイツにおいてはどうかというと、48センチ砲装備のカイザー級重戦艦の船体を基に、42センチ3連装砲4基を装備したジークフリート級重戦艦と、シャルンホルスト級の代艦として38センチ3連装砲3基装備したデアフリンガー級軽戦艦へと移行している。初代総統ヒトラーは50センチ以上の巨砲を求めたが、彼の死によってドイツでも日米と似た方向性が示されたという事だろう。


 英国においても、20インチ連装砲4基を装備したコンカラー級が3隻で打ち切りとなった後、まず建造されたのは、退役していく15インチ(38.1センチ)砲搭載艦の連装砲塔を利用した軽戦艦の計画だった。日米とは違い、既存の砲塔を利用するため連装4基8門でしかないが、40000トン程度の戦艦であるため量産しやすく、経済が低迷した英国はこのセント・アンドリュー級の量産でしのぐこととなった。

 これ以外にも16インチ砲を3連装4基装備したモンタナ級に比類する計画も存在したが結局、3基に減らしたマジェスチィック級戦艦として建造されている。


 フランスでは38センチ四連装砲3基のアルザス級の後、45センチ三連装砲3基のリベルテ級の建造に移行している。50センチ砲戦艦を計画中というが実現するかはわからない。


 イタリアは工業力の限界からドイツより42センチ砲を輸入し、三連装3基装備した50000トン級のフランチェスコ・カラッチョロ級重戦艦を3隻建造している。


 ソ連は実態が良くつかめていないが、フランスから導入した38センチ四連装砲3基備えたレーニン級の後に45センチ三連装砲3基のモスクワ級重戦艦と51センチ級連装砲3基のバクー級重戦艦を建造しているとされる。



 それ以外にも、日本では米国のアラスカ級大型巡洋艦への対抗として31センチ砲搭載の超甲巡洋艦が計画されたものの、第二次マリアナ海戦において水雷戦隊と遭遇したアラスカが水雷戦隊に随伴した金剛、榛名によって容易に撃破出来たことから建造には至らず、長門型と同じ41センチ連装砲4基、35000トンという、金剛型とほぼ同じ規模の代艦へと変更され、元化24年には建造許可が下されたものの、和泉型計画との統合が議題に上ると起工は延期され、一時は計画自体が消滅すると思われたが、主砲を54口径砲へ変更して再度若干の改設計の後に元化28年、和泉型に先んじて建造が開始されている。金剛型と違い純粋に戦艦として計画されたことから艦名も旧国名とされ、讃岐型軽戦艦として四国3県と淡路が艦名に採用されている。土佐は廃艦になったとはいえ一度命名されているため使われていない。


 さて、元化46年現在、和泉型軽戦艦の完成に伴い電探装備の更新が難しい大和型は既に予備艦籍へ編入され、元化25年以後に完成した戦艦ばかりが主力を占めている。世界的にも今後さらなる重戦艦の建造もほとんどの国で計画されておらず、しばらくは41~46センチクラスの主砲を備えた戦艦が支配する世界になると予想されている。








  修文30年1月1日。

「へ~、50年近く前にはまだ飛行機が戦場の主役になるなんて考えてなかったんだ」

 

 年末の大掃除で見つかった古い軍事雑誌を読んだ俺の感想だった。


「ああ、あの頃はまだ本多壮一郎が空力学の大欠陥に気がついてまだ3年だったからな。飛行機なんて研究室レベルの時代だった。今みたいに超音速がどうのとか、ミサイルがどうのなんて時代じゃなかったからな」


「飛行機が実用化したのが元化50年頃で、ジェット戦闘機やミサイルの実用化が俺が生まれた元化60年だろ?すげえな、親父は歴史の証人じゃねぇか」


「俺が開発したんじゃないから、『目撃者』ってところだろ。ほら、明日には月探査ロケットの打ち上げだ。お前だって『目撃者』になるんだぞ」


 親父もうまいこと言いやがる。確かにそうだな。そして、先週買った軍事雑誌にはレーザーだとかレールガンだとかいう話が載っている。俺もあと40年後くらいに自分の子供に同じような事を言われているのかもしれない。軍事に興味を持った奴ならな。

 

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[良い点] 扶桑、山城、伊勢、日向の4戦艦の活躍が、嬉しいですね。この4戦艦が活躍する話は少ないですよね。吉岡平先生くらいですよね。 [気になる点] 51センチ砲でも、8門だと少なく感じますね。でもロ…
[良い点] 軍縮条約で航空機と潜水艦の保有が禁止されて戦艦が我が世の春を謳歌する世界、ってのは故佐藤大輔氏が短篇に仕立てていましたね。
[一言] 愉快なほら話はいいですよねw
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