搾取子だった私。姉はユリコ姫と呼ばれ……
ブックショートアワード2017年3月期応募作品。
選外だったのでこちらで公開。
「おとぎ話や昔話、民話、小説(※パブリックドメインの作品に限る。)などをもとに創作したショートストーリー。アレンジやスピンオフ、新釈作品」という主旨の企画。
この作品の題材は「瓜子姫と天邪鬼」です。
ここ読んでて再認識したけど、私もいわゆる搾取子だった。
愛玩子は双子の姉。
双子といっても二卵性だから、全く似てない。
姉、ぱっちり二重で色白、誰が見ても可愛い。
私、もっさり一重で色黒、誰が見ても冴えない。
姉は父親似で、私は整形前の母親似なんだよ。
整形の話は後で知った。自分の夫をはじめ周囲に必死で隠し続けてた、そこへ生まれた、過去から追いかけてきた悪夢みたいな存在が私。
あとはわかるね?
衣食住、全てにおいて差別された。
姉にはバカ高いブランド品。私はそのお下がりすら着せてもらえなかった。
双子だけど、私の方がワンサイズ小さかった。だからお下がりいけたはず。実際、姉にきつくなった服、こっそり着てみたら余裕だったもん。
ちなみに、バレてひっぱたかれました。
サイズアウトしたブランド品は、ご近所のママ友にほいほいあげてた、みたい。
いい顔したかったんだろね。
交換でもらった古着が、ようやく私のものになるって按配。
うちの母親が、しょっちゅう言ってたの。今日誰それちゃんの妹が着てた服はうちがあげたやつだ、お下がりを更に下の子に着せるなんてねえ、まあ全然似合ってないけど。(姉)ちゃんが着るのが一番可愛いんだもんねえ。などと。
その、余所のお家が兄弟で着倒したシャツ、よれよれでボロボロの男物を着てましたが、私。
そんなボロ、くれる方もくれる方だよな、と思うけど、多分見抜かれてたんだろう。双子の片方だけ差別して、それで悦んでるのをさ。ブランド服が欲しいママ友たちは、こぞって汚い服を持ち寄って、ご機嫌取りしてたわけ。
何だ、ご近所中の生け贄かよ、私。
食生活も推して知るべし。
姉の残り物ならまだマシで、床にこぼれたご飯粒拾って食べてた記憶があるよ。ひもじくてさ。
そのうち姉が、「あげるねー」って言って、わざと落とすようになるの。
それを母親はさ、「あらー、(姉)ちゃん優しいわねー。でもそれは(姉)ちゃんのための美味しいご飯だからやめてね、勿体ないわぁ」って。
おいおい。
さっきから「(姉)ちゃん」って書き方してるけど、母親は姉のこと「お姉ちゃん」呼ばわりはしたことがなかった。いつも名前で呼んでた。
仮に「ユリ子」にしとこうか。
ユリ子姫。
実際「姫」付けでも呼んでたし。
対して私は、「おい」「ちょっと」「こら」「てめえ」「あれ」エトセトラ。
「オニ子」って呼ばれたりもしたよ。鬼子って意味。まんまだね。
食事の話に戻すとね、そんなだからワンサイズ小さかったんだと思う。わざと腐ったものを食べさせられなかっただけましかな。病院騒ぎはめんどくさい、警察騒ぎはまずい、それくらいの分別はあったみたい。
当時はとにかくお腹が空いてて、差別されてミジメだとかはあんまり思わなかった。てゆかそんな余裕もなくて。姉がご飯を落としてくれるの、待ってたしありがたかったりした。姉が嫌いなピーマン、トマト、みんな美味しくいただきました。
ただ、字が読めるようになった後、誕生日ケーキのプレートに一人分の名前しか書かれてないのを理解しちゃったときは、さすがに何て言うか、きつかったかな。
その頃父親は何してたかって言うと、仕事してました。
仕事大好き人間、ていうか、仕事バリバリして部下使いまくってる自分大好き人間?
かなりのパワハラ系と後にわかる。
母親は、美貌(※整形)を武器に父親を落としたはいいけど、いつもどこかびくびくしてた。怒られないか、捨てられないか。
だから子供が欲しかった。
子供が欲しくて、でもなかなか出来なくて、焦って。
実は不妊治療の成果なんだよ、私。と姉。
あの父親がよく協力したなとも思うけど、まあ跡取りのプレッシャーとか、それなり必要にも迫られてたんだろうな。
受精卵二個子宮に戻して、両方とも着床して、育って、生まれた。
でもさ、男児が欲しかったのに二人とも女で。
父方の実家にちくちくイヤミ言われたみたい。
母親は「ユリ子ちゃん一人でよかったのに、お前は余計者だ」って。よく言ってた。
もし知る術があったなら、選べたなら、姉だけをお腹に入れたかったって。
お前なんか生まなければ以下略。
そうやって散々つらく当たられたけど、そのうち母親が姉の教育に熱をあげるようになって、ようやく私に平穏が訪れた。
姉は私立の幼稚園、お受験対策、習い事。母親その付き添い。
その間、私を育ててくれたのは保育園だった。
ありがたかった。ご飯食べれる、マジさいこー、でした。
いや真面目な話ね、人生に必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ、だっけ? そんな言葉があるらしいけど、私に知恵を与えてしつけをして、人間にしてくれたのは保育園の先生方だと思う。
まあ何も出来ない子だったんで、厳しくされたりもしたけど、それは仕方ないやね。
この場を借りてお礼を言いたい。
ありがとうございます。
で、何とか人間の形になれた私、地元の公立小学校へ。
姉は遠くの私立。
もっと近くてもっと有名な第一志望には落ちた模様。ご愁傷様。
母は送り迎えでなお忙しく、私はほぼ放置。
いや、ほんと、放置ありがたい。
料理、掃除、洗濯、などなど、家のことさえちゃんとやっておけば、そして母親の機嫌が悪くなければ、空気のように無視してくれた。
いや、ほんと、ありがたい。
保育園と、一時期雇っていたホームヘルパーにかかった費用は、私を家事マシーンとしてこき使うことでめでたく回収の運びとなりましたとさ。
小学校自体は、実を言うとそう楽しいところでもなかった。
勉強も運動も、人づきあいも苦手。
クラスにもなじめず。
好きな人同士でグループ組んで、で、もれなくあぶれちゃう、っていうかハブられちゃうキャラ。
先生が「(私)ちゃんも入れてあげて」、からの、言われた女子たちが「えー」って押しつけ合う、コンボ。あるあるな感じ。
暗い話が延々続いて申し訳ない。
でも、ここから少し話は変わっていく。
私の前に、彼女が現れたから。
それは、五年生になって、まだクラスメイトの顔と名前を覚えられなかった頃。
掃除の時間に、一人ぽつんと体育館裏の草むしりしていたら。
「あんた、耳いいでしょ」
突然声をかけられた。
何を言われたかわからなかった。
振り向くとそこには、見覚えのある女の子。
目が大きくて、きりっとして、髪が短くてちょっとボーイッシュな、でも綺麗な子だなと思ってた、数少ない認識済みのクラスメイトだった。
「え、と……?」
困っていると、
「あんた、耳いいよね。言われたことない?」
重ねて聞かれた。
「えと、その、普通、だと思う……けど」
聴力検査で引っかかったことはない。でも、一キロ先に落ちた針の音が聞こえるとか、そんな特技はなかった。だから、とにかくそう答えた。
「歌、上手いじゃん?」
話が飛んだ。
「え!?」
私は驚き、次いでぶんぶんと首を振ってた。
それは、はっきりと違う。
音痴だ。親にも散々言われてるし。何より、自分の歌声がちゃんと音程を取れていないのはよくわかっている。
しどろもどろに何とか伝えたら、その子は笑った。
笑うと、すごく可愛い感じだった。
「あのね、それがわかる人は音痴じゃないの」
謎かけみたいだ。反応に困る私に、彼女は話し始めた。
「この間の音楽で、合唱したでしょ? 二部合唱。あんたのハモり、すごかったから」
そんなことはない。主旋律に引きずられて散々だった。
「引きずられ方が、違ったんだよ。他の子の場合、引きずられるって言ったら主旋律を歌ってしまうこと。でもあんたは、主旋律のパートが音を外した、その音に合わせて、もとと同じ度数のハモりになるように音を調整してた。……わかる?」
悪いけれど全然わからない。そんなの考えたことがない。
「来て」
その子は私を引っ張って、体育館に入った。自分の教室に入るみたいに気安く。そしてステージに上がり、ピアノの蓋を開ける。
「あ、そっちにいて。手元見ないでね」
言い置いて、音を鳴らした。いくつか同時に。
ぽーん、と響く。緑の感じ。
「今の音、なーんだ?」
「え?」
「ドレミファソラシドでいいよ、どれ?」
私は黙って首を振る。わからない。
「何か音楽やってるわけじゃないの? ピアノとか」
首を振る。姉はやってるけど。
「……絶対音感、ないの?」
そんなの食べたことない。
彼女は、おかしいな、というように口を尖らせ、今度は一つだけ鳴らした。
何の音か、と聞かれる前に、私は首を振っていた。
いたたまれなかった。
気になっていた子に声をかけられて、本当はちょっと嬉しかった。でもその気持ちはとっくにしぼんでしまっていた。
駄目な自分。価値のない自分。応えられない自分。いない方がいい自分。
それをさらけ出すだけのやりとりが、つらかった。
黙り込む私に、考え込む彼女。
ややあって、「ふむ」と息を吐きながら、彼女はピアノ椅子に座った。
きちんと居住まいを正し、構えて、両手で、弾いた。
瞬間。
世界が光に包まれた。
すごい。
金色だ。
その中に、ちらちらと、雪片みたいな白が舞う。綿毛かもしれない。
きらびやかさとやわらかさ、両方を備えた、春の野を渡る風みたいな、色。
ごく短い旋律だったけれど、それは私の心に焼き付いた。
「どう?」
「きれい」
反射的に返した言葉に、彼女は満足げにうなずいた。
そして、私を鍵盤側に手招きした。
「今のメロディに、続けるならどの音?」
言って、ぽぽぽぽぽぽんと軽く短く弾いていく。
空色が見えた。
「それ!!」
暖かい世界が、爽やかに広がっていく、その音が欲しい。
私が示した音を、彼女はもう一度弾いて、確認する。
「もう一つ、同時に弾くならどれがいい?」
「これ」
さっき気になっていた音を指す。明るい黄緑。野原と空を馴染ませる色。
「あとこれも」
雲みたいな白。ほんのり薄く、遠くの春霞。
「……何で、そう思うの?」
彼女はじっと私の指を見つめている。
あかぎれだらけの手が不意に恥ずかしくなって、さっと引っ込めた。
「ね、何でその音を選んだの?」
隠した手を追いかけて視線が動き、今度は目と目が合う。こくん、と私の喉が鳴った。
「あの……あの……そういう感じがするから……」
それだけでは納得してもらえないのが伝わる。
「あの……春の、金色の、野原だった、から……空……」
「きんいろ……」
呟いて彼女は、もう一度あの曲を弾く。
やっぱりきれいだ。
追い詰められていた気持ちを数瞬忘れ、聞き惚れる。
と、彼女は今度は続きを弾いた。
空色、春霞、雲に萌える緑が映るような。
さっきちらりと覗けた世界が、はっきりと展開する。
「……金色、か。そんで、空……」
なるほど、と呟く。そして唇を指でさすりながら、しばし考え込んだ。
ややあって、私の目をもう一度見つめた。
「もしかして、あんたには音が見えるの?」
音が見える、というのは少し違うように思う。
ある音を聞いたときに、色やイメージが重なることがあるのだ。
「つまり、あの合唱曲をあんたは色で覚えている、主旋律がずれるのはすなわち変色すること、そこで何とか元の色合いに戻そうした結果がああだ、と」
「……うん……。あの、でも、同じ色にはならないんだけど」
「まあキーが違うことになるからね」
自分の声は高く聞こえるから、実際には低い音出しちゃうやつ多いんだよ、先生も言ってたでしょ? と説明する彼女こそ先生みたいだった。
正直、彼女の言葉遣いは難しくて、咄嗟にわからないことも多かった。
でも、そういった物言いが彼女らしくもあって、私は懸命に耳を傾けていた。
「……キョウカンカク」
「え?」
「共感覚。あんたみたいに、音を聞いて色が見えたり、文字や数字に色がついてたり味や匂いを感じたり、そういう感覚のこと、あるいはその持ち主」
「きょうかんかく」
もちろん初めて知る言葉だ。
「たまに、いやけっこういるらしいよ。私の好きな作曲家の人もその能力があるって、聞いたことある」
それまでこの感覚について、人に話したことはなかった。ひとつには、自分には当たり前すぎることだったから。そしてもうひとつには、しかし他の人にはあまり当たり前のことではないと、なんとなくわかるようになってきたから。
「あんた、面白い。思った以上に」
彼女は嬉しそうに笑った。右手を差し出してくる。
「友達になろ」
握手を求められているとわからなくて、私は「うん」とうなずくだけだった。
半ば強引に手を取られて、ぶんぶんと振られる。
「あんた、やっぱり面白い!」
こうして、初めての、そして唯一無二の友人が、私の世界に現れた。
いつまでも「彼女」というのもよそよそしいし、例によって仮名をつけようと思う。
カラス。
鳥のじゃない。彼女の好きな歌手から。
だけどカラスって、けっこう頭がいいし、何より何種類もの鳴き声を使い分けて会話をしてたりするらしい。
カラスに聞いた。もちろん鳥じゃなくて、彼女の方。
「あんたさ、音痴なんじゃないんだよ。発声が出来てないから、思った音が出せてないだけ。お腹から声出してみて」
「お腹……」
「うん、多分違う。あんたが考えてるそれは、ヘソ踊り」
実際、お腹に口が開いてぱくぱくしてるのを想像していた。
カラスは勘が良くて、何でもお見通しなのだ。
休み時間になると、二人で音楽室に入り浸った。
あの最初の出会いでわかるように、カラスはピアノが上手い。小さい頃からずっと習っていて、ちょっとした有名人だったのだ。私は知らなかったのだけれど。
そんな彼女が使いたいと言えば、先生たちは二つ返事で鍵を貸してくれた。
カラスがピアノを弾く。
そして歌う。歌も上手だ。絹のような光沢、真珠のような輝き。
「今日は天の川で行こう!」
言われて、私は闇を敷く。カラスの声とピアノの旋律を星に変える、しっとりと支える夜になる。
きらきらと、煌めいているのはカラスの歌なのだけれど、一緒に歌っていると私のひび割れた声も洗われて、美しい自然の一部になれる気がした。
私を人間にしてくれたのが保育園の先生たちだとして。
私を私にしてくれたのは、カラスだと、思う。
放課後、カラスの家に遊びに行ったこともあった。
私には家の仕事があったから、そんなにちょくちょくも長くも遊べなかったけれど。
自分の事情をあまり話したくなくて、急いで帰る理由はいつもぼかしていた。
でも何しろカラスは勘がいいし聡いから、私が育ってきた環境や置かれている状況は、いつの間にかまるっと知られていた。
「……うちの子になっちゃえばいいのに」
いつも元気な、前向きな、明るいカラスが、その言葉をいうときだけは暗い悲しみの色をまとわせて、ああ、頭のいい彼女には、それがどんなに難しくて無理なことか、ちゃあんとわかっているんだなあ、と変に納得したのを、覚えている。
なれるものならなりたいと、どんなに思ったか。
でも頭のよくない私にだって、それがどんなに難しくて無理なことか、ちゃあんとわかっていた。
別れは、突然やって来た。
中学二年生の終わりに、うちが引っ越すことになったのだ。
都内へ。姉が学校へ通いやすいように。塾に通いやすいように。
希望する高校に近くなるように。
手紙を書くから、会いに行くから、とカラスは言ってくれたけど、断った。
だって見つかったら、私にそんな親友がいると知ったら、母親にまたどんなにきつく当たられるかわからない。彼女のことは必死で隠していた。
私からは手紙を書くから。きっと書くから。
そう約束して、離ればなれになった。
慣れない新生活。
転校先の中学で、私はいじめられた。
進級して受験生になり、ぴりぴりしているところへ、現れた冴えない転校生。
格好の的だ。
カラスとの楽しい時間を知った後で、つらいことではあった。
でも、楽しい時間を知っていたから、それは何とか耐えられた。
それよりも、程なく起きた家庭内の変化の方が大問題だった。
弟が生まれたのだ。
諦めていた跡取り誕生に沸く父方の祖父母。
その干渉と育児に疲れて、前以上に私に当たり散らすようになった母親。
そんな母親から今までのようにちやほやされなくなって、姉も荒れた。
表向きは、美人で優しいいい子のまま、裏で私をサンドバッグにした。
すらりとした体で、殴る蹴るの暴力までふるうようになった。
私から見れば、それでも母親は相変わらず姉を贔屓していたし、過干渉から解放されてむしろちょうどいい按配なんじゃないかと思うくらいだったけれど、母親を独り占めしていた姉には耐えがたかったようだ。
私は、高校に行けなかった。
受験どころではなかった。
中卒のまま、近所の工場で働かされて、微々たる給料は全部家に入れて、家事一切はあいかわらず負わされ、母親が家にいる分だけチェックは厳しくなり、弟の世話もやらされ、その数年間、どうやって息をしていたか、記憶にない。
カラスに手紙を書けない申し訳なさが積み重なっていった、その感覚だけが、胸に残っている。
ある日。
めずらしく母親が、私を連れて外出した。
着いた先は病院だった。
整形外科。
話は、私の頭を飛び越してまとめられた。
目をぱっちり二重に。顎や頬のラインはふっくらと。鼻筋は通して。
鏡の中にいたのは、驚くほど姉によく似た、私だった。
本人の了承無しに、美容整形手術なんてしていいものだろうか。
いくら親がやってくれといっても、それが通るものなのだろうか。
いいんだろうな。
通るんだろうな。
だって、小さい子供にご飯をあげないとか、家のことやらせて働きに出してこき使うとか、殴るとか蹴るとか、普通の感覚だったら、やっていいことなんか一つも無い。
でも私は全部されてきた。
だから、今回のこれも、仕方ないことなんだろう。
もう、そのときの私は本当にぼろぼろで、それくらいしか考えられなかったし、感じられなかった。
えー、あんた可愛いよ。気にしてる目だってさ、切れ長って言うの? クールだよ。
大人になったらきっと美人になるよ。
誰かの声が耳に蘇って、きらりとほんの一瞬光った。
涙が、静かに静かに頬を伝った。
次に気がついたときには、夜道を歩いていた。
都内でも、そんな道はある。
都内だから。夜でも眠らない街の隣の、落とし穴。
足音がした。
近寄ってきた。
肩を掴まれた。
何か、言われた。
訳のわからないことをわめき立てられた。
離してください。
私の一言が、相手を怒らせたようだ。
とても久しぶりに、音に光が重なるのを感じた。
ううん、本当はいつでも、母親の怒号にも姉の叫びにも父親の吐き捨てる物言いにも、いつも色は乗っていた。
見たくないから、あんまりにも汚くて見たくないから、見ないようにしていただけ。
今日のこれも、汚いけれど、でも、ちょっとあの人たちとは違う、かな……。
ぼうっと考えていたところへ、襲う衝撃。
激しい痛み。
殴られた。
口の中に血の味が広がる。
暴力は姉や母親や級友たちから受けて、慣れていたつもりだったけれど、もっと違った。
男の力だ。相手は男だ。桁が、つくりが、違う。違いすぎる。
瞬間、ようやく、私は恐怖を覚えた。
耳が痛む。
全ての音が遠ざかった。
鼓膜が破れた。
はっきり思った。
目が霞む。
全ての色が遠ざかる。
目の機能が落ちたんじゃない。
耳が、聞こえなくなったから。
耳。
あの子が、カラスが、
「あんた、耳いいでしょ」
褒めてくれた。
話のきっかけをくれた。
世界にきれいな色をくれた。
私の、耳。聴覚。感覚。
カラスとの、大事な、思い出。
「いや……」
奪われる。
「いや」
私には何もない、これ以上奪われるものなんてないと、思ってたのに。
「いやあああああああ!!」
一番大事なものはまだ私にあって私の中にあってそれが今奪われようとしている失われようとしている失われるうしなわれるうしなわれるうしなわれる
「――――――っ!!」
喉をつんざく悲鳴に、色が、ない。
こんなにこんなにこんなにこわいのに、色がない。
聞こえない。
自分の声すら、聞こえない。
叫ぶ私に、相手の男は、一瞬怯んで、それが怒りと恐怖に変わって、私の腕を前よりもきつく掴んで引きずり起こして、思い通りに立ち上がらないと見て取るや何かをポケットから出して、それが外灯を反射してきらりと光った。
刃物。
凶器。
狂気。
「やめろ!」
白い炎が、一瞬で視界を塗りかえた。
別の強い力が、私を狂気から引き剥がす。
知ってる声だ。
確か、確か、仕事先の、男の人。
少し、そう、少しだけカラスに似ていて、見ると思い出してつらくて、でも気になって目で追いかけてしまっていた、あの人。
どうしてここに。
疑問はすぐに消えた。というよりも、それどころではなくなった。
「瑠璃子!」
懐かしい声が、私を呼んだから。
聞き間違いかと思った。夢かと思った。
けれど慣れ親しんだ色合いが、私を包んで、同時に温かくてやわらかいものが私を抱きしめてくれた。
「大丈夫!? 大丈夫!? ねえ、怪我は?」
「……カラス?」
「そうだよ! 私だよ! ねえってば!!」
ああ、聞こえる。
大丈夫、聞こえるよ。
遠くにサイレンの音も聞こえる。……パトカー?
そうして私は、意識を失った。
生活の荒れた姉は、大学でサークルクラッシャーをしていた。
男性の多いサークルに入っては、八方美人で皆をその気にさせ、恋愛感情を煽りもつれにもつれさせて、人間関係を壊して歩く。
そのうちに、ストーカーに狙われるようになった。
警察にも相談したが、あまり取り合ってもらえない。
実際に事が起こらなければ、警察は動かない。
ならば、起こればいい。
そう思った姉と母親が、私を身代わりに仕立てた。
事の顛末を、病院のベッドで聞いた。
話してくれたカラスは、もう泣いて泣いて怒って大変だったけれど、私はかえって他人事みたいに感じていた。
一番怖かった鼓膜の破れは、無事に再生しそうとのことで、それが嬉しくて、目の前にカラスがいてくれて、それが最高に嬉しくて、もう他のことはどうでもよかった。
それから、美容整形も、今流行りのプチなんとからしくて、時間が経てば元に戻るものらしい。
不審に思ったお医者さんが、リーズナブルなプランだということを強調して、回復可能な術式にしてくれたのだ。
程なく、私は家を出た。
カラスの親御さんの知り合いの弁護士さんが間に立ってくれて、円満に縁を切れた。
もう、私はオニ子じゃなかった。
カラスが呼んでくれる、ちゃんとした名前を持つ、ちゃんとした「ルリ子」になれたのだ。
そうだ、大事なことを一つ忘れていた。
ストーカーに襲われたときにカラスと共に助けに入ってくれた人は、カラスの従兄さんだった。
私を心配したカラスが、協力を要請して、二人で見守ってくれていたのだという。全然気がついていなかった。
謝る私に、カラスはまた泣いていた。
それだけつらかったんだよ、って泣いていた。
思わず、カラス何故泣くの、って歌いそうになって、叱られた。
長い話になってしまいました。
途中から、文章めちゃくちゃになってしまって、読みづらくてごめんなさい。
誤字とかも多分多いし、読み返す時間もないから、申し訳ないけどこのまま投下するよ。
このたび、めでたく従兄氏と結婚することになったので、記念に書き込み。
披露宴で歌う歌を練習しようと、カラスにせっつかれているので。
花嫁が披露宴で歌うって、ありなのかな、と思うけど。
読んでくれた皆様、ありがとうございます。
締め切り間際まで書き出せなくて、2日間(実質6時間くらい)で書き上げたもの。
多分誤字脱字とかありそうなんですが、見直す暇なく投稿して、また見直しもせずこちらでアップするという暴挙。
ネットの、2ちゃんねるまとめとかでよくある感じを狙ったのですが、途中から普通に一人称小説でした。