憧れとバナナ
僕はバナナが好きだ。
悲しいことがあるとすぐに揺れてしまう僕の心を甘く優しく包み込んでくれる。
ただそれだけで、僕は幸せな時間に取り込まれてしまう。
人には言えない秘密なのだが、僕は常にバナナを持ち歩いている。
一房は必ず持ち歩いているのだ。
僕はバナナに魅せられ、惚れてしまった哀れな傀儡だ・・・。
「ねえ、私の大好きなアイドルの公開収録が近所で有るんだって! 私も一人じゃ心細いし、一緒に見に行こうよ!」
ネットゲームのチャット欄に流された文字にドキっとする。
モニター越しだが、何度かオフ会で会っている女の子。
家も遠くはなく、仲良しで大好きな女の子。
「うん、いいよ! 一緒に見に行こうか!」
僕が答えられる答えは、これだけしか用意されていなかった。
「ふう、ちょっと遠いな・・・」
坂道をトボトボ歩きながら上っていると、八百屋さんが客引きをしていた。
「すみません、バナナを一房ください」
「あいよ!って君か! いつもありがとうね、今日は切らしていないかい?」
僕の通いなれた八百屋さんで、僕がバナナを切らし
お小遣いも底をついて絶望に打ちひしがれていた時に手を差し伸べてくれた人だ。
理由を話すと 「金はいいから持っていきな!」
と笑顔で快くバナナをプレゼントしてくれた、とっても優しい僕の恩人だ。
この来店時のやりとりも毎度のことで、それがまた心地よい。
「ありがとうございました! また買いに来ますね!」
「あいよ! 電話してくれれば届けてやるからな!」
宅配サービスも始めたのか・・・。
バナナを抱え、その黄色と甘い香りに癒されながら長い長い坂道の続きを上り始めた。
ん?自転車?
足元とバナナしか見ていなかったが、ふと気付くけば
俺と並ぶように自転車が止められていた。
その籠の中には一房のバナナ。
僕が足を止めた理由は、これが目に入ってしまったからだ。
なんだか嬉しくなり、クスリと笑う。
再び腕に抱えたバナナを見て、頂上が近付いた坂道を上ろうと振り向いた時だ。
足を踏んでしまった、自転車の持ち主だろうか。
「あ! ごめんなさい!」
気弱な僕は、すぐに謝ってしまい
謝罪のために、一度顔をあげた。
その時、その時だ。
ショートの茶色髪、黒を基調としたスタイリッシュな服装で
薄く化粧された顏に映える、黒く周りを塗られた大きなつり目
そして、彼の手には僕と同じバナナが一房抱えられていた。
僕の手元を驚いたように見て、にこりと笑うと
彼は、両足の踵をぴったりと合わせて
左腕でバナナを抱え、右手を頂上へ向けて垂直に伸ばし
僕に一礼してから去って行った。
「遅い! もう終わっちゃったよ!」
「ご、ごめんね・・・」
「もういいよ! しらない!」
待ち合わせをしていた彼女は言うことだけ言うと、足早に帰って行ってしまった。
本当に楽しみにしていたのだろう、悪いことをしてしまった。
落ち着くために、バナナを二本食べる。
うん、元気が出てきた。
怒らせてしまったことは仕方がない、前向きに考えよう。
予定が無くなったので、人通りの少ない道を歩いていたのだが
焼き肉の匂いに誘われて、気付けばお店の前で立ち止まっていた。
ガラガラとドアを開け、店内へと足を運ぶが
外の道の人の少なさとは正反対で、お店は賑わっていた。
どうなっているのだろう・・・。
「あっ」
目に映った座敷席は広く、そこには先ほど出会った自転車の彼がいた。
厨房近くのカウンター席まで移動する途中
「こ・・・、こんなの無理ですって!」
「うるさい! 欲張ったお前が悪いんだ!」
等と、体育会系のムキムキなお兄さん達が
後輩と思われるお兄さんのジョッキへと、かき氷シロップをなみなみと注いでいた。
ちらりと座敷席を見ると、自転車の彼と目が合ってしまった。
無視をするのは失礼なので軽く会釈をすると、彼は手を挙げて答えてくれた。
一番端のカウンター席に座り、注文を聞きに来た店員さんに質問をしてみた。
「あの、これ・・・持ち込んでもいいですか? 近くに置いてないと不安になってしまって・・・」
店員さんは驚いた表情でバナナと僕を交互に見た後、微笑んだ。
「ええ、大丈夫ですよ。 ごゆっくりどうぞ!」
許可を貰えたので、八百円のホルモンを一皿注文した。
出てくる際に確認したときは、百円玉が九枚入っていたはずだ。
それからはただ坂道を上っていただけなので、減ることは・・・・
「あっ!!!」
進行形で抱えているバナナを買ったじゃないか。
バナナをカウンターに置き、急いで残金を確認するが
百円玉は七枚しかなかった。
普段からお札は持ち歩かない僕は、藁にも縋るような思いでお札を確認した。
折りたたまれた千円札が二枚目に映ったので、安心して大きく息を吐いた。
「こちら、当店のおもてなしメニューです。 好きなだけ食べてくださいね!」
この言葉で騒がしかった店内が急に静かになり、お客さん達が僕を見ている。
「あ、え・・・。 今日はあまり持ち合わせがないのですが」
「こちらは店長に気に入られた人だけに振る舞われる品です。 当然、お代は頂きません」
意味が分からない。
え? なんで? 何かしたっけ?
この空気の中で、自転車の彼だけがクスクスと笑っていた。
そして、彼は僕の方に体を向けると
左手で何かを抱えるようなポーズをとり、右手の人差し指で教えてくれた。
「あーーー!!!!!! そういうことですか!」
「そういう事なんです! さ、美味しいですよ? いっぱい食べてください!」
勧められるがままに、もりもりと食べてしまったが
本当に美味しかったのだ。
焼き肉屋さんとはかけ離れたそれは
イクラがふんだんに使用された冷製パスタだった。
「あの、もしかして彼も?」
俺にジェスチャーで教えてくれた自転車の彼に視線を移し、店員さんに質問する。
「ええ、あの子は私の息子ですよ。 アイドルとして活躍しているのですが、今日はこの近くで収録があったとかで帰省も含めて明日までのんびりするんですって。」
「なるほど・・・」
ん? アイドル? 収録? それってもしかして・・・。
「あの、疎くて申し訳ないんですが彼ってもしかして・・・」
「はい! アイドルグループ、ヴェルデのリーダーをしているバルナですよ」
声をあげそうになったが、他のお客さんは彼に気付いていない様子だし
迷惑をかけないためにも、急いで口を塞いだ。
「クスクス、大丈夫ですよ。 ここのお客さんは皆、地元の常連さんですから」
そうだったのか、気付いていても騒ぎ立てないのは
皆が気遣いのできる優しい人だからか。
それがわかった途端に、騒がしいと思っていた空気が
どこか温かみのある優しい空気に感じられた。
いいな、うらやましいな。
小さい頃から常にバナナを携帯していた僕は、周りからも変人として扱われていた。
時には虐められたこともあるほどだ。
だが、彼は違う。
この温かい環境がそれを教えてくれている。
それもきっと、人気アイドルにまで駆け上った彼の人柄の表れなのだろう。
この時僕は、自分でも気付かない内に彼に憧れてしまった。
そして、それと同時に少しだけ嬉しく思っていた。
彼はバナナが好きだ、それも僕と同じくらい。
そのことを知っているのは、僕と彼の家族だけだとも聞いた。
それならば僕も変わることができるかもしれない。
僕の夢が決まった瞬間だった。
彼が黒なら僕は白で突き進む。
いつか彼の横に立ち、一緒に活動できることを夢見てただひたすらに。
それからの行動は早かった。
僅かな私財のほとんどを、自分の容姿を磨くためだけに使い
鍛えすぎない程度に体を鍛え、自分で必要最低限だと思いついた基礎トレーニングも欠かさずにした。
日が経ち、週が過ぎ、月を超えて年を重ねた。
そんな日々の中でも、バルナとは定期的に連絡を取っている。
彼が疲れた声を出していた時、悲しそうな声を出していた時
そんな時に今の僕がしてあげられるのは、たった一房のバナナを送ってあげることくらいしかない。
バルナと初めて出会った時から数年後
今、僕はヴェルデを脱退したバルナと共にアイドル活動をしている。
そして語り合うのだ。
僕達を支え、引き合わせてくれたバナナの事を・・・。