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4.君とこのまま

 次の日も僕は寝不足だった。授業はほとんど上の空で、休み時間もほぼ意識がなかった。気がつくと放課後で、須田くんに肩を叩かれてはっとなった。「じゃあな」と手を振って、帰宅部の須田くんは帰っていった。教室にはもう誰も残っておらず、僕はぽつんと一人で席に座っていた。

 いつまでもここにいるのは馬鹿げていると知っている。

 でも、方針が定まらないと、動くことができない。

 部室に行くのか。帰るのか。

 僕は途方に暮れながら、ただ黒板を眺めていた。

 すると教室に、入って来る子がいた。

「あ、渡瀬くん」

 持田さんだった。彼女は僕を見て、何だか言い訳するように、忘れ物しちゃって、と言って笑った。僕はただ、曖昧な相づちを返した。

「渡瀬くんはどうしたの。部活は?」

「うん」

 何と答えたらいいのかわからなくて、それ以上ことばが出ない。訊ねた持田さんも困っている。申し訳ないので、何か言いたいと思う。けれどもやはり、何と言っていいのかわからない。

 持田さんは自分の席に向かうと、机の引き出しに向かって屈みこんで何か探し始めた。僕の視線に気がついて顔を上げる。僕は慌てて視線をそらす。視界の隅で、持田さんは上体を起こすと、

「……渡瀬くん、大丈夫?」ふいに訊いた。

 僕はうろたえた。視線が怪しかったのだろうか。

「ごめん、じろじろ見たりして」

 僕のことばに、けれども逆に持田さんがうろたえた。

「や、ちがうよ。あの、今日も眠そうだったから。大丈夫かなあって、思ってたの」

 僕は持田さんを改めて見る。

 彼女の優しい目と、僕の目が合う。

「うん……」僕は言った。「喧嘩、して」

「喧嘩?」

「喧嘩……いや、単なるちょっとした言い合いなんだけど」

 彼女はじっと僕を見ていた。

「あ……忘れ物、見つかった?」

 僕が訊ねると、彼女は一瞬きょとんとした。それからあ、と慌てたように自分の机の引き出しを再び覗き、ぴょこんと顔を上げると、

「あ、うん。あった。うん」

 本当にあったのだろうか。ごまかすように笑っている。

「その……それで?」

 自分のことはいいから、といった調子で、彼女は訊ねた。忘れ物を取りに来たというのは嘘なんじゃないかなあ、と僕は少し思った。でもじゃあどうして来たのだろう。

「……僕は、自分の考えが正しいと思ってたんだ。でも、相手も、自分の考えが正しいと思ってたんだ。そうして両方の意見は違っていて、お互いに、相手は間違ってると思ってた」

 持田さんは真剣な顔をして僕を見ていた。真剣な様子で聞いてくれていた。

「でも……いや、喧嘩になったのは、お互いに自分の方が正しいと思ってて、譲らなかったから、じゃなくって。そうじゃなくって」

 僕は懸命に考える。自分がどう思っているのか。どうしてあんなに腹が立ったのか。

「そうじゃなくって、僕はたぶん、相手の中で自分が、なんだかすごくみっともない奴にされていて、それがいやだったんだ。しかもそれが、もしかすると少し当たってるかもしれないのが……いたたまれなくて」

 それで僕はかっとしてしまったんだ。

 でもそれは、法月さんも同じだったのかもしれない。

「どっちが正しいのかはわからないけど、でもこれまで、相手の方が正しいことが多かったんだ。だからそれはいいんだ。うん、むしろその方がいい」

 言ってから、持田さんにとっては訳のわからないことを言ってしまった、と気づいた。僕はごめんと謝った。持田さんはぶんぶんと首を振ると、

「渡瀬くんが話してくれて嬉しいよ」

 と笑った。

「仲直り、できるといいね」

 メイー、とその時、廊下の方から持田さんを呼ぶ友人らしき声がした。高橋さんではない。他のクラスの友だちだろうか。

「あ、ごめん、行くね」

 焦ったように言う持田さんの頬は、ほんのり赤く染まっている。

「うん。その……話聞いてくれて、ありがと」

 僕が言うと、持田さんは照れたように笑った。赤い頬がぷっくりと持ち上がるのが、妙にかわいらしい。手を振って教室を出ていく持田さんを僕は見送った。彼女は手に、何も持ってはいなかった。

 ――仲直り。

 僕は、仲直り、がしたいのだろうか。

 僕は探偵部に、戻りたいのだろうか。

 昨日の高橋さんの質問が、何度も頭の中で繰り返される。

 僕と法月さんの関係って、何なんだろう。

 僕たちは、何なんだろう。


 廊下側にある僕の席からは、窓は遠かった。白いカーテンの隙間から青空が見える。昨日探偵部室で、法月さんの後ろにも青空が覗いていたのを思い出す。

 僕は想像してみた。今すぐ席を立ち、家に帰ることを。明日も、明後日も、その次の日もそのまた次の日も、そうすることを。もう二度と、あの部室に行かないことを。法月さんと並んで依頼人を迎えたり、事件について彼女と話したりすることも、もう二度とないということを。彼女と同じ空間にいて、それぞれ別のことをしながら、たまに他愛ない会話を交わしたりすることも、もう二度とないということを。……同じ学校の同じ学年なわけだから、僕は法月さんを見かけることがあるかもしれない。廊下ですれ違うこともあるかもしれない。けれども僕らはもう決してことばを交わしたりはせず、それどころかたぶん目も合わせない。およそ一か月の間、放課後の長い時間を僕たちは一緒に過ごした。いろいろ話した。ともに行動した。それなのに、そういったこと全部まるでなかったみたいに、僕たちは無関係な者同士になる。


 僕は椅子を引き立ち上がると、リュックをつかんで教室を出た。歩きながらリュックを背負い、渡り廊下を渡って、白い階段を下りる。

 僕は職員室に入った。特別教室の鍵がかかっている収納ボックスのところへ行く。はじめて探偵部室に行った時、僕は鍵はいつも法月さんが持っているのかと思った。けれどもさすがに学校の施設なのでそんなことはなくて、鍵は職員室で管理されていた。法月さんはほとんどの場合僕よりも先に部室に行っていて、大抵部室の鍵は開けられていた。行ってみると鍵がかかっていることもあったけれど、一度鍵を開けた後にどこかに行くので閉めたという場合、法月さんはいつも扉のところにメモを貼っていた。それなりに人通りがある「そとづらの道」、しかも先生や来賓が通ることもよくある廊下に面した扉に、法月さんはあのクセのある字で「→図書室緑の猫」とか「急げ文化部部室3026耳かき」とか、知らない人が見たらよくわからないようなメッセージを残してくれていた。

 キーボックスに鍵はなかったので、僕は部室に向かった。途中二人の先生とすれ違い、おざなりに挨拶をした。第九応接室。……中の電気はついてはいない。それでも僕は引き手に手をかけた。手に、抵抗が返った。鍵は閉まっていた。中に人の気配はない。そうしてメモも貼られてはいない。

 僕は待った。扉の向かいの廊下の壁際に立ち、通る人の邪魔にならないようにした。大人が通るたびに、それなりに丁寧に挨拶をした。生徒の母親らしき人が何人か通り過ぎる。高級そうな衣服の人と、そうでない人がいた。この学校の生徒の九割は、お金持ちの家の子だ。でも一割は、そうじゃない。

「ここで何をしているんだ?」

 ついに声をかけられてしまった。知らない先生だった。

「……ちょっと、人を待っています」

「ここじゃなくて、別の場所で待ちなさい」

「……はい」

 僕は素直にその場を後にした。法月さんはどこに行ったのだろう。ビバ☆道化師部の部室かもしれない。けれども、彼女がいないかもしれないそこに、一人で行く勇気がない。

 メモが貼られていなかったということは、僕が来ることを、法月さんは想定しなかったのだろうか。今日は来ないと思ったのだろうか。それとも「おまえなんか来なくていい」ということなのだろうか。僕は、見限られたのだろうか。

 僕は昇降口に向かった。

 靴箱で靴を履きかえ、僕は家に帰った。

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