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一話

 死ぬのだと何も考えられなくなってしばらくしたら夏の香りがした。


 いつの間にか身体が横になっている。眠りに似た余韻で目を開けるのがつらい。


「起きてください」


 知らない声に驚く。

 身体を上げて見つめると、大きめで紺色のおっぱいマウスパッドがいた。


「どういうことだ。自分は確かに四つ葉のクローバーの鉢植えを抱えたままマグマの中に放り込まれたはず」


 ここはマグマの中ではないし、手足も縛られていない。他には微かしか思い出せないとしても、この状況がおかしいのはわかる。

 ふと自分がベッドの上にいることに気付く。ナイトテーブルには四つ葉のクローバーの鉢植え。

そこからさらに周りを見ると玄関があり、自分がワンルームの中にいることがわかった。

 窓の外には枝をみっしり挿しただけの木柵。


「記憶はないでしょうが、あなたの魂は来世のため、ウォールマスターになることを了承しています。私はウォールコア。あなたをサポートするものです」

「魂?生まれ来世のため?」


 知らない話なのになぜか心が納得している。


「はい。あなたは生前がクソだったので、生まれ変わり先が乳牛でした。契約では、この地球ではない世界でうまくウォールマスターをやり遂げれば好きな条件に生まれ変わりできます」

「乳牛。なんだその生命倫理的に忌避しづらいのは。だが乳牛は嫌なのでウォールマスターやる」


 動物愛護の人たちに怒られてしまわないのか。しかし当事者になると乳牛はつらい。


「はい。了承しました。あなたは今から私のマスター、ウォールマスターです」


 このおっぱいマウスパッドはもしかしてモノリスのイメージなんだろうか。しかしおっぱいがある。絶壁と言われたくない見栄なのか。


「これでいいのか?何も起きていないが」

「契約の証しにお互いのお腹の中が光っています。神々しく。これであなたは現時点で三メートルの木柵に囲まれたマスターになりました」

「え、確かにお腹が暖かくなってきた」


  こうして私はウォールマスターとなり、ウォールコアと共に壁を伸ばしていくことになった。




「説明不足すぎないか」

「説明しましょう。何を」

「まず外の木柵を削るように叩いている音はなんだ」


 契約が完了して、お腹の熱が引いたころから打撃音がする。


「熊です。母熊が突然現れた木柵を驚異に考えて攻撃しているようです」

「母熊?」

「子熊との間に出現したので、離れ離れになってますね」


 窓から見える範囲に熊はいない。


「木柵とは、木柵か。熊の攻撃で壊れる普通の木のやつか」

「壊れるやつです」

「ここで突破されて死んだらどうなる」


 乳牛だけはやめてくれ。


「前例からの予想ですが、ここを任せた神の遊び心で、熊の親子の次の子どもに生まれ変わります」


 遊び心ではなく、面倒だからじゃないのか。というか自分を食べた熊が母親はひどいぞ。


「死なないためにできることは」

「ウォールポイントを使用して壁を強化することができます」


 ウォールポイントで具体的に何ができるのか聞くと、頭に浮かんでくる。拡張がメインのようだ。


「熊に攻撃されていても強化できるのか?」

「おう」

「急に馴れ馴れしくなったな。お前諦めかけてるだろ」


 熊の壁殴りから、木が折れた音がした。こいつ折れたところ見えてるな。


「子熊は壁の向こうか?」

「はい」


 よし、あとは静かにしていよう。

 私は頭に浮かぶパネルを操作して、多少の操作間違えを許容しながら、木柵をすべて消去した。窓の外を見ると溶けるように消えていった。


「これで子熊と親熊が出会ってどっか行ってくれることを祈ろう」

「はいマスター。この部屋は鍵がついていないのでよろしくおねがいします」

「え」


 おっぱいマウスパッドは器用に歩き、ベッドの下に潜り込んだ。

 自分もそうしたかったが、ベッドの下に収納スペースがあって潜りこむには狭すぎる。

 ワンルームを見渡すと入れそうなのはクローゼットとトイレだけ。

 即決でトイレになら鍵があるだろうと判断してトイレに隠れる。鍵はなかった。この家の建築家を熊の餌にしたい。


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