2話
最初に見えたのは白く染まった天井だった。アルコールの匂いがして、ここが救護室だと分かった。ぼんやりとした意識の中で誰かの話し声が聞こえた。少し焦っているような声を感じる。
ベッドから降りようと右腕に動かそうと力を入れると、鋭い痛みが駆け巡る。そうか、怪我を負っていたんだったな。仕方なく右腕を庇いながら身体を起こした。
しかし身体中に電撃が走るように痛みが駆け巡り、身体のバランスを崩してベッドから落ちてしまった。大きな物音を感じて、白衣を身にまとった医師が駆け寄ってきた。
「カレルさん、大丈夫ですか。まだ傷が治っていないのに動いたら危険です」
「俺は何日寝ていたんだ。体がうまく動かせねえ」
「あなたは三日間昏睡していたんですよ。救助が早くて助かりました。体全体に負っていた傷は治りかけていますが、腕の火傷はまだ癒えそうにありません」
「くそっ、この傷のせいか。いつになったら直るんだ」
腕についていた包帯を巻くってみると、まるでナイフで八つ裂きにされたかのように皮膚が切り裂かれ爛れていた。そして焼けこげた傷跡は呪縛の印を刻んでいた。
「しばらくは安静にしていてください。それはご存知の通り、呪術の炎で焼かれたのです。対象を燃やし尽くすまで炎はまとわりつきます。さらに魔封じの印まで施されています。しばらくは治癒のために安静にしていてください」
「いつになったら治るんだ」
「体が動かせるようになるのは一週間ほどでしょう。しかし、封印を施したものは余程の能力者だったのでしょう。以前のように魔術が使えるようになるのは……だいぶ先の話かと思います」
医師は顔を背けて言葉を濁した。
「……わかった。しばらく休ませてくれ」
白衣を着た医師は一言声を告げて部屋を出て行った。
もやもやした気持ちが心を漂う。机の上にあるタバコを吸おうと、手をのばすが思うように身体が動かない。タバコを吸うことさえ思うように出来ない自分の腕が憎らしく思ってしまう。
鬱屈した気持ちを押し隠すように、カレルはベッドで横になった。
数日後、カレルは総帥の部屋にいた。だいぶ傷跡は治ってきたが、火傷を負った右腕だけは、まだ鈍い痛みが残っていた。革張りで弾力のあるソファーに腰かけていると総帥が両手にカップを二つ持ちながらやってきた。
「おう、紅茶でいいか」
「わざわざすいません。腕が治っていたら手伝えたのですが」
「これくらい気にするな。怪我人に雑用をまかせるほど野暮ではないよ」
熱く湯気が出る紅茶を眺めながら、総帥は本題を切り出した。
「いろいろと大変だったみたいだな。まさかアズエルが裏切るとはな」
「おかげでほとんどの仲間がやられてしまいました。国内で最強と謳われていた暗殺集団がたった一人に壊滅させられてしまうなんて」
「気に病むことはない。想定外の事態だったからな。彼の裏切りに気付けなかった私にも責任はある」
「いえ、こういうのも恥ずかしい話ですが、ずっと隊長……アズエルと一緒にいた俺ですら気付けなかったくらいです。おそらく誰もアズエルの裏切りには気づけなかったと思います」
「数年前から計画を立てていたのだろう。戦力の要であるダイダロスを崩すこと、それと我が国に保管されている禁術が狙いだったのだろう」
「禁術ですか?まさか国立図書館にも侵入されたのですか」
「そうだ。一部の禁術が持ち出されていた。おそらくアズエルの仕業だろう。君の腕に刻まれた封印術も禁術の影響だろう」
「やはりただの魔術じゃなかったか。いくら治癒魔術をかけてもらっても回復しないはずだ」
「今日は、君の怪我について話をするために呼び出したんだ。傷が癒えるにはまだまだ時間がかかることは聞いている」
総帥は紅茶を飲むと、一息ついて言葉を続けた。
「だから、君には参加していた作戦を降りてもらうことにする」
カレルは自分の耳を疑った。作戦を降りるだって。
「どうしてですか。作戦を途中で投げ出すなんて。怪我を負っていても俺はまだ戦えます」
「これは決定事項だ。すでに上層部には連絡してある。いまの君にはろくに魔力を練ることさえできないのだろう」
総帥の言う通り、魔力を行使しようとすると腕に激痛が走る。右腕に刻まれている封印が魔力に反応して激痛を与える。ゆえに、魔力を練ることは、いまのカレルには出来ないに等しかった。
「たとえ魔力がうまく使えなくても何かしら後方支援ができるはずです。失ってきた仲間のために最後までこの作戦に従事していきたいです」
「何度も言わすな、これは決定事項だ。気持ちだけで遂行できるほどこの作戦が容易ではない。お前自身が一番痛感してきたはずだ。いまのお前が作戦に携わっても足手まといになるだけだ」
総帥の的確な指摘に何も言い返すことができなかった。心の奥ではわかっていた。自分が無力であること、足手まといになること。それでも認めたくはなかった。暗殺集団ダイダロスによる不始末は自分たちの手で始末をつけたかった。たとえ残りのメンバーが俺だけになったとしても。
総帥は紅茶をすすりながら、「ただ…」と続ける。
「君には他の作戦に従事してもらう。いまの君でも十分に遂行できる内容だ」
そのとき、カレルは予想していなかった。この年になって魔術学校に通うことになろうとは。