9話
「それでは今から試合を始める」
ゴードンが合図を出したと共に試合が開始した。
前衛にサクラとカレルが展開して、その後ろでエレナが魔術の詠唱に専念する。カレル達はエレナの詠唱が終わるまでフェルミ達の足止めをすればいい。しかし、フェルミ達は魔術を使用してくる気配がまったくなかった。
「随分と余裕そうだな」
「少しくらいハンデをやろうと思ってね。見せ場がないまま終わったら可愛そうだからな」
エレナの眉間に皺が寄る。フェルミの煽りを聞いて相当怒っているみたいだ。詠唱が終わるとエレナの両手から巨大な水球が出現した。
「その言葉、後で後悔して知らないわよ」
エレナがフェルミに目掛けて水球を発射する。フェルミはその水球を眺めたまま一歩も動かなかった。そればかりか、魔術を発動する素振りすら見せない。直撃すれば確実に腕輪が壊れるほどの魔力が籠っている。
「こんなもの避けるまでもない」
フェルミは余裕の表情している。いまさら防御魔術を詠唱しても間に合わない。一体なにを考えているんだ。大きな爆発音がして水球がフェルミに直撃した。爆発の反動で水蒸気が辺りに拡散してフェルミの姿が見えなくなった。
「やったかしら」
次第に霧が晴れていく。そこには無傷のフェルミが立っていた。真っ赤な炎が螺旋を描いてフェルミの身体を取り囲んでいた。炎が盾となりエレナの魔術を防いだ。
「所詮、こんな程度か」
「……うそでしょ。魔術を発動する時間なんてなかったわ」
カレルは瞬時に理解していた。フェルミは水球が直撃する寸前に防御魔術を展開していた。しかしエレナの言う通り、魔術を詠唱する時間はなかった。それはつまり……。
「無詠唱か」
「ほう、下人の癖によく分かったな」
「それもただの無詠唱ではないな。魔道具によるブーストをかけているな」
「くっくっく、知識だけはあるようだな。特別に見せてやろう。貴様みたいな下人には一生かかっても手の届かない代物だ」
フェルミが右手につけている指輪を見せびらかしてきた。
「これが我が家に伝わる魔術王スクルドの指輪だ」
紅蓮の宝石を埋め込んだ指輪がフェルミの魔術に呼応するように真っ赤に光輝く。カレルはその指輪を見て思わず笑ってしまった。
「何がおかしい」
「そんな偽物を自慢するとはな」
カレルはフェルミの指輪を一目見て偽物だと見抜いた。
「偽物だと!?下人にはこの指輪の価値が分からないのか」
「確かにその指輪にはある程度の魔力は宿っているようだが、所詮はまがい物だ。そんなことすら見抜けないのか」
偽物だと断言できるのには理由がある。フェルミのような下級の魔術師でも扱えるということだ。魔術王の装飾品には、呪いが宿っておりレベルの高い魔術師でないと扱うことが出来ない。フェルミがその指輪を装着している時点で、偽物だということが明白である。しかし、もう一つ決定的な証拠がある。それは本物の指輪はカレル自身が所持しているということだ。
「そこまで愚弄して、ただで済むと思うなよ」
「やってみろよ」
「その虚勢がいつまで続くかな」
フェルミは取り巻き達に合図すると、懐から小さな結晶を取り出した。そして一斉に結晶を砕くと、空中に魔法陣が出現した。
「魔術石か。これだから金持ちってやつは」
魔法陣から氷結の雨が降り注ぎアリーナを埋め尽くす。魔法陣から零れ出た霧状の冷気がアリーナ全体を覆っていく。瞬く間に白銀の世界と化した。
「せいぜい逃げ回るが良い」
天井の氷幕から巨大なツララが降り注ぐ。カレルは地面を蹴り上げてタイミング良く避けていく。エレナとサクラの方に視線を向けると、魔術で対処しながらどうにか防いでいた。しかし、降りやまないツララに、次第に防ぎきれなくなってきている。このままでは劣勢に追い込まれてしまう。フェルミ達は腕を組んでカレル達が逃げ惑うのを楽しんでいた。
「そろそろだな」
フェルミが手をあげると、ツララの雨が止んだ。
「さて、これで心置きなく戦えるな」
フェルミが口角をあげてニヤついていた。背後をみると、さきほどのツララが退路を断っており、他のメンバーと合流することが出来なくなっていた。フィールドが分断されてしまったようだ。
「なるほどな。最初から俺だけと戦うために用意してたってことか」
「他のメンバーに邪魔されたら嫌だからね」
「たかが模擬試合で魔術石を使うだなんて随分と勿体ないことをするんだな」
「これから行われることに、それだけの価値があるってことだよ」
フェルミが詠唱を始めた。巨大な炎が形を保ちながら龍の形へと変貌していく。
「せいぜい逃げ回りな」
こちらに向けて火龍が飛んでくる。カレルは避ける動作をせず、真正面から火龍を見据えている。カレルの身体に火球がぶつかる寸前に、腕輪が光り輝きフェルミの魔術を相殺した。腕輪の加護が働いたのだろう。腕輪には亀裂が入っていた。もう一発うけたら壊れるだろう。
「腕輪を壊して試合終了させる気かい。下人がやりそうなことだな」
「生憎だけれど、魔術石の無駄使いだったな」
適当に相手の攻撃を受けて腕輪にダメージを蓄積させればいいんだろう。それで試合終了だ。
再びフェルミが火龍を放ってきた。カレルは微動だにせずその場に立って火龍を受け止める。フェルミの魔術が打ち消されると同時にカレルの腕輪が音を立てて地面に落下した。
「ふう、これで試合終了だ。こんなことのために魔術石を使うなんてもったいないな」
「これで終わりだと思っているのか」
「腕輪が壊れれば試合終了だろ」
腕輪が壊れれば試合が終わるはずだ。しかし、アリーナを覆っている氷は未だ消えていなかった。試合終了のブザーも響き渡らない。
「もしかして腕輪に不備があったんじゃないか」
「最初から仕組まれていたって訳か」
「君にはフェルミ家の力を知ってもらわなければいけないからな」
「安っぽいセリフだな。もう少し正々堂々と勝負できないのか」
「いつまでそんな態度をとっていられるかな」
フェルミが魔術を詠唱して火龍を放ってきた。
「その攻撃はもう見飽きた」
カレルは炎の軌道を読み、最小限の動きで回避する。
何発も火龍が飛んできたが、カレルは火傷ひとつ負うことはなかった。
「ちょこまかと逃げ回るのは、得意のようだな」
フェルミの額から大量の汗が拭いていた。魔力を使いすぎて身体が悲鳴をあげているようだ。
「どうした。もう終わりか」
「ほざけ。魔術も扱えない下人が調子に乗るなよ」
「魔術を使えない素人相手に攻撃を当てられないのもどうかと思うけどな」
「だったら逃げ場を作らなければいいだけの話だろう」
フェルミが詠唱を始めると、右手に火球が出現した。詠唱を重ねるごとに火球の大きさが肥大していく。
「避けるスペースごと燃やし尽くすって訳か」
「もう命乞いしても遅いぞ」
「詠唱を中断させればいいだけの話だろう」
「魔術も使えない下人が、どうやって俺と戦うっていうんだ」
「何も、魔術だけが戦いの武器って訳じゃないだろ」
カレルは地面を蹴り上げた。フェルミへと一直線に向かっていく。
「肉弾戦か。所詮、その程度の知恵しかないのだろう」
カレルは地面を蹴り上げるスピードを加速させた。
「なんて速さだ。魔術が使えないんじゃなかったのか」
「この程度で驚いてもらったら困るんだけどな」
フェルミは詠唱を中断し、火球を放ってカレルの足を止める。カレルは火球の雨を掻い潜りながら、フェルミとの距離をあっという間に縮めた。
「よくその程度の魔術で俺に勝てると思ったな」
「調子に乗るのは僕に勝ってからにするんだな」
「俺は魔術よりも肉弾戦の方が好きなんだよ」
フェルミに触れられる距離に近づくと、立ち止まりフェイントをかける。それにつられてフェルミが防御魔法を展開する。その隙をついてがら空きの脇腹に強烈なミドルキック放った。蹴りが腹部へと届く前に、腕輪の加護が働いて衝撃が吸収される。その反動でフェルミが身に着けていた腕輪が音を立てて地面に落ちた。
「なんだと。たかが蹴り一発で……」
フェルミが驚愕の表情を浮かべる。
「これで終わりだと思っているのか」
カレルは身体を捻って、左足を振り上げる。フェルミの顔面に目掛けて蹴りを放つ。フェルミの顔面を捉えようとした瞬間、ブザーが会場中に鳴り響いた。顔面に直撃する寸前でカレルの蹴り足が止まった。
「命拾いしたな」
「貴様、何者だ」
「魔術が使えないただの落ちこぼれだ」
闘技場を覆っていた氷膜が消え去った。




