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メシマズさん、いらっしゃい!

作者: ししおどし

 何の前触れもなく、ぽーんと知らない世界に放り出された割には、私は恵まれている方だと思う。

 ある意味では、との限定的な枕詞はつくけれど。


 勇者様やら巫女様やら、そんな面倒な用件で召喚された訳ではないらしいので、始まりは鬱蒼とした森の中、なんて便利な生活に慣れきった現代っ子にはちょっぴりハードな状況だったけど、いろんな思惑の中をうまく泳げるほど器用な方でもないから、きらきらのお城に喚び出されるよりは、よっぽどマシな状況だった筈だ。


 それに異世界補正って言うのか、こっちに落ちた私は何故だか、都合の良いことにありとあらゆる身体能力がアップしていた。

 どれくらいアップしたかと言うと、こっちに落ちた直後、突如出現した木々とひやりとした土の感触に、状況が分からず呆然としてたら、こりゃ良い獲物がいるぞとでも思ったのか、茂みから飛び出して襲ってきた狼らしき動物にびっくりして、無我夢中で抵抗したら、気づいた時には狼さんを細切れのミンチ状態にしてしまってたくらいには。自分のした事とはいえ、あれには若干引いてしまった。


 後になって知ったんだけど、どうやらこの世界は私たちの居た世界よりも下位に属する世界らしくって、上位にあたる世界の人間は、この世界の生き物に比べて筋力やら耐性やらが際立っているんだとか。

 そもそもこの下位世界自体の成り立ちが、上位世界の人間たちの概念が形を持った事に端を発することによる影響か、この世界のものは私たちに影響を与えにくいらしい。

 私が元居た世界より、更に上の世界から落ちてきたって人の受け売りなので、本当にこれが正解かは分からないんだけど。


 その頃の私はそんな事情、全く知らなかったものの、その後も狼やら熊っぽいものに襲われるたび、大したダメージを受けることなく無我夢中で抵抗して気づけば粉砕し、な流れを何度か繰り返すうち、とりあえず襲ってくる動物は私の命を脅かすほどには強くないことは察した。噛まれたり引っかかれたりもしたんだけど、そこまで痛くなかったし。尖った歯や鋭い爪を突き立てられたはずなのに、血の一滴も流れなかったし。


 おかしいな、とは思ったけど、それ以上に突然自分が放り込まれた状況の方がおかしすぎて、どうしてそんな超常現象が起こせたのかは、ひとまず火事場の馬鹿力で納得することにした。

 だってまさか、異世界に放り出されたなんて思わない。せいぜい、謎の組織に誘拐されて、怪しげな薬を打たれた可能性を疑ったくらいである。


 それに、差し迫った命の危機が無いと分かった以上、どうしてこうなったか考えるより先に、やらねばならない事があったのだ。

 日が落ちる前に森を抜けて人里に出ること。そして、水と食料を確保することである。


 一体どういった経緯で森に居るのか分からない以上、安易に現地の人に接触したって保護してもらえるか分からないという不安はあったけれど、さすがに森の中で生活出来るようなスキルは持ち合わせていない。狼や熊はなぜだか撃退できてしまったけど、毒をもった虫に刺されて一発で終わりなんて事もあるかもしれない。どちらにしろ危険である事に変わりないなら、まだ人の居る場所の方が安心出来る気がしたのだ。


 幸いにして、近くから水の流れる音がしていたので、川が近くにある事は予想がついた。水の流れにそって下っていけば、何れ人里に降りられるだろう。ここが無人島でもない限り。

 若干不穏な思いつきは一旦頭の外に追い出すことにして私は、耳を頼りにしばらく歩き回り、ようやく川らしき水の流れを見つけた。透明に澄んだ水の中には、魚の姿も見えたので、飲んでも害はあるまいと判断して、手で水をすくって喉の渇きを癒すことにした。


 あの時のことは、今でも忘れない。

 ひんやりと冷たい、水を口に含んだ瞬間。

 私はぶふふふっと、それを噴出した。


「しっぶ! なにこれ、渋っ!」


 なぜなら、思わず叫んでしまうくらい、川の水は渋かったのである。

 まるで渋柿にかぶりついたくらいのレベルで、ものっすごい渋かったのである。


 これはいかんと焦った私は、駆け足で川沿いを下った。

 飲み水を確保出来ないのはまずい。早めに人里に下りなければと、必死だった。

 不思議と息切れもせず、いつまでもいつまでも走ってられる。途中襲ってきた動物も、私の走るスピードには追いつけないらしい。道を塞ぐ木や石も、ちょっと体当たりしただけであっさりと折れて砕けて道を開いてくれた。

 だから私は、ひたすらに走るだけでよかった。やっぱりちょっとおかしいな、とは思ったけど、口の中に残る渋みをさっさとどうにかしたくって、飲める水も無いままに夜を迎えるのが恐ろしくって、無我夢中で走り続けた。


 案外、人里はすぐに見つかった。

 森が途切れた先、あったのは高い壁に囲まれた大きな街と、出入りする日本人とは違う色彩を持つ人たち。

 肌の色や顔立ちからして欧羅巴辺りか、と見当をつけた私は、ほっとして肩の力を抜く。これだけの大きな街なら、すぐに日本の大使館と連絡をつけてもらえると思ったから。この訳の分からない状況をもう抜け出す算段がついたと、すっかりと油断していた。

 残念ながら言葉は通じなかったけれど、門のとこにいた役人らしき人たちは、着の身着のまま、更には獣の返り血がついてぼろぼろになった私の姿に、おそらく同情してくれたんだと思う。詰め所っぽいとこの奥に連れてってくれて、事情を聞きだそうとしてくれた。雰囲気が優しかったので、たぶん、尋問ではなかったと信じたい。

 ひたすらジャパンジャパンと連呼してたせいか、私の名前がジャパンだと勘違いされていることにも、なかなか気づかなかった。


 根本的におかしいって事に、ようやく気づいたのは、彼らから一杯のお茶を勧められた時。

 喉が渇いていた事もあって、勢いよくごくごく飲んだ私は、すぐに顔色を変えた。

 だって、それは川の水と同じくらい、むしろあれよりももっと、渋かったのである。

 耐え切れずごほごほ噎せて吐き出してしまった私の胸は、一瞬で猜疑心に満ち溢れた。

 いくら文化が違うとはいえ、あれはヒトが飲むようなものではない。カテキンたっぷりの健康茶をさらに煮詰めて渋柿の汁とブレンドしたくらい渋い飲み物は、毒と言われた方がしっくりくる。

 つまりこの、一見親切そうに私の話を聞こうとしてくれた人たちはもしかして、私に毒を飲ませようとしてるんじゃないだろうか。もしかして私が突如として放り込まれた訳の分からない状況に、この人たちが関係してるんじゃないだろうかと、疑ったのである。


 その疑い自体は、すぐに消えることとなった。

 私の反応にぎょっと目を剥いた一人の役人さんが、私の飲み残しをごくりと口にして、不思議そうに首を傾げたのである。あのとんでもなく渋い飲み物を、あっさりと口にして平気そうにしていたのだ。


 もしかして、私は思い違いをしてるのではないだろうか、と。

 嫌な予感がしてきたのは、その辺りから。

 まさかそんな訳はないと思いつつ、彼らの一人に導かれるままに一軒の家に連れてかれ、優しげな初老のご夫婦と二人の青年に迎えられ、訳も分からぬまま食卓についた時、私の嫌な予感は確信に変わる。

 見た目にはとっても美味しそうな、食事の数々。一緒に食卓を囲んだ誰もが、美味しそうに口にする食べ物。

 その全てが、私にとってはあんまりにも渋すぎた。パンも肉も魚も野菜もスープも、何もかもが渋い。渋くて口の中が、ぎゅうぎゅうきゅうきゅうと嫌な感じに痺れっぱなしだった。


 もしかしてここは、地球ではないんじゃなかろうか。

 そんな疑念を抱くには十分なほど、何もかも渋かった。

 渋くて渋くて渋くて、泣きたくなるほどくっそ不味かったのだ。




 そんな私の予想は、果たして正解だったらしい。

 私が放り出されたのは、地球ではない別の世界の、キャティと呼ばれる大陸だった。


 最初にも言ったけれど、ある意味では、私は恵まれていたのだと思う。

 異常にアップした身体能力は、魔獣と呼ばれる森の中で私を襲ってきたような狼や熊を倒すのにうってつけで、それを仕事とすれば簡単にお金を稼ぐ事が出来た。

 街の人たちはみんな親切で、言葉の通じない私にあれやこれやと世話を焼いてくれたし、私がハンターとして働きはじめると一層好意的な視線は強くなった。


 けれどこれだけ恵まれていても、飯の不味さだけは如何ともし難かった。

 単純なメシマズなら、改善も出来ただろうけれど、残念ながらそうではなかった。

 どうやらこの世界の人たちの味覚と、私の味覚は根本的に、違うものらしい。

 私にとっては渋いかより渋いか滅茶苦茶渋いかくらいしか分からない食べ物は、こっちの人にとっては甘かったりしょっぱかったり辛かったり『ちょれ』かったりするらしい。『ちょれい』っていうのは、地球の味覚にはないタイプの味覚なので、現地の言葉をそのままに覚えた。口の中で狼が猛々しく吼えているような味らしい。

 逆に私が美味しいと感じるもの。本当にごくごく僅かしかないんだけど、森に生えてる怪しい色のキノコとか、ただの雑草とか、そういったもの、は、こちらの人にとってはとても食べられたものではないみたいで、というか毒である確率が非常に高くって、美味しいからっておいそれと誰かに勧められる訳もなし。


 そんな味覚の違いは、言葉を覚える際にも大きな壁となって立ちはだかった。

 苦虫を噛み潰したような、とか、甘っちょろいとか、そういう味覚に連動した言い回しって、こっちにもいっぱいある訳で。でも私には、その味がこちらの人のように感じられない訳なので、ぼんやりとした雰囲気を掴むのも精一杯な訳で。例として果物やら食べ物の味を紹介されても、私にはそれが渋いとしか感じられないから、何の解決にもならない訳で。覚えるまでは、本当に大変だった。


 頑張ってこっちの食べ物に慣れようと努力した事もあった。

 でもどうやっても駄目だった。どうあがいても、渋みしか感じられない。味覚が違うから仕方ないんだろうけどさ。

 吐かずに飲み込むことは出来るようになったけど、美味しさを感じるようにはなれなかった。

 だって渋みの奥に甘さも辛さもしょっぱさも苦さも何にも隠れてないんだもん。ひたすら渋いだけなんだもん。ちょっと渋いかかなり渋いかめっちゃ渋いか超渋いか、それしかないんだもん。無理だって、さすがに。


 そうとなれば、食べられる物を自分で探すしかない。

 幸い身体能力は、内臓系も大幅にアップしてたみたいで、こっちの人にとっては即死レベルの毒物でも、私にとっては食べ過ぎればちょっとお腹下す程度のもの。むしろ毒性が強ければ強いほど、美味しいってことが分かってからは、毒のあるものを探し回っては食べ比べて、自分なりの食生活を整えようと奔走した。


 でもこれにも、ちょっぴり問題があって。

 確かにみんな、優しくって好意的だったけども、怪しげな毒物をばっくばく食べる人間って、明らかに異質な存在だし。しかも食べてもぴんぴんしてるとくれば、恐怖を覚えたって仕方ない。


 親切だった街のみなさまからちょっとずつ距離を置かれるようになって、最後には追い出されてしまった。


 うん、まあ仕方ないと思う。

 ほら、同じ釜の飯を食うって言葉があるし、その反対で、自分たちと同じものを食べない人間は、違うものだって判別されるのも道理かなと思うし。

 それに片っ端から、こっちの人が食べないもの食べてたら、その中にどうやら身体能力アップやら若返りやら延命やら、いろんな効果のあるものが混じってたらしくって。こっち来てしばらくはちゃんと歳とってたんだけど、手当たり次第にいろんなもの食べるようになってからは歳取らなくなるわ、ただでさえ人外じみてた身体能力がますますアップしてくわ、完全に人間の枠をはみ出しちゃってたし。

 追い出すっても、穏便にお引取り願われたのは、街の人たちの優しさだったんだと思う、きっと。



 それからは一箇所に定住せずに、あっちこっちをふらふらして美味しいもの探しに没頭した。

 時には鉱物とか木の幹に齧りついて、粘土やら砂を舐めることも辞さなかった。

 とても食えたもんじゃないとの魔獣の噂を聞けば狩りにゆき、殴る代わりにかぶりつく。


 狩り方が狩り方なせいで、誰かと一緒に狩りに行くのは自重してたけど、うっかり見られてしまうことだってある。噂が広まって、出禁の街が増えたり、時に宗教がらみで国に追われた事もあった。

 それでも災害レベルの魔獣をせっせと狩ったり、食べ物の絡まない事では大人しく過ごしていたり、他にも何人か長命の狩り人やらお偉い方々がいたおかげで、異端の化け物認定は免れることが出来た。

 代わりに、『奇食のジャパン』なんて不名誉な二つ名がつけられちゃったけども。ジャパンって名前がすっかり定着しちゃったけども。


 それなりに食べられる物も増えたし、長い付き合いの顔見知りも出来たし、やっぱりそこそこ恵まれてると思う。

 少なくとも、今の今まで生きてこられたんだし。



 けれどいくら恵まれていると自分に言い聞かせたって、時には、やさぐれたくもなる。



「はああああああ……」


 とある街の、酒場にて。

 こっちの事情を慮ってくれる店主の好意により、出される食べ物は私仕様。

 酒には泥がたっぷり混ざってるおかげで渋みは殆ど消えてるし、つまみは一口サイズに砕いた鉱石で、こちらは鳥の肝っぽくて大変に美味である。

 それでもちらり、他の人たちの食事を見れば、ため息も出てしまう。

 だって料理って、見た目も大事だと思う。

 贅沢なんていってられないけど、それでも。

 完全に泥水と石ころを食べてる自分の姿と、見た目にとっても美味しそうなものを食べてる他のお客さんの姿を見比べれば、思わずため息も出てしまう。店主の心遣いは本当に有難いし感謝もしてるんだけど。たまには、ちゃんと食べ物らしいものを食べたいなあ、なんて我侭が、心の中でむくりともたげてきてしまうのだ。



「助けてくれよ……」

「あんだけ美人の嫁さん貰ったくせに贅沢なやつめっ」

「料理が下手なんて、可愛いもんじゃねえか」


 そんな話が聞こえてきたのは、泥たっぷりの酒を三杯飲み干した頃。

 酒場の隅で、項垂れる男と囃し立てる仲間らしき一団の話を、適当に聞き流し、うんうん贅沢だわとひっそりと心の中で同意する。


「ほんっとに不味いんだって! 食べてみてくれよ、これ……!」

「いいのか? サーシャちゃんの手作りクッキーか」

「かっわいいなあ、んじゃ、遠慮なく……ぐっ」


 どうやら嫁の飯が不味い事が悩みらしい贅沢者の男が懐から取り出したのは、件の嫁が作ったクッキーらしく。

 にやにやとしまりのない顔でそれをつまんで口に放り込んだ仲間の男たちが、次々に顔色を変えてゆく。

 見た目にはただのクッキーでしかないそれは、本当に不味いらしい。

 少し興味を引かれた私は、席を立ってのたうち回る男たちに近づき、声をかけた。


「ねえ、それ、一枚貰ってもいい?」

「ごほっ、げほっ、おいねーちゃん、やめとけ!」

「げえええええ、ぐっ、おう、それ、本気でやばいぞ!」


 青い顔をしながらも、私を止めようとする彼らの目はどこまでも本気だった。

 それでも毒ではないのだから、多少の渋みは残っていることを覚悟して、摘んだ一枚を口の中に放り込んだ私は。


「あああ、ねえちゃん、ほら言わんこっちゃない!」

「……しい……」

「泣くほど不味いんだろ? 吐け、吐き出せ!」

「おい、しい……美味しい、美味しい美味しいっ!」

「ほらまず……え、美味しい?」


 あまりの美味しさに、脳髄を揺すぶられた。


 きちんとクッキー特有の、甘い香りのするそれは、噛むとほんのりと甘さが口いっぱいに広がって、バターの風味がふんわりと鼻を抜けてゆく。さくさくとした優しい食感は、鉱石や魔物や毒草ではとても味わえない、人の手が作ったもの特有のもので。

 いくら美味しいものを見つけたって、組み合わせて料理をすることは叶わなかった。粉々に砕いた砂と毒草を混ぜて焼いても、ふわふわのパンケーキは出来上がらない。せいぜい焼くか炒めるか揚げるか、手を加えるとしてもそれくらいがせいぜいで、手の込んだ美味しい料理なんて、二度と食べることが叶わないと思ってたのに。


 あまりの美味しさに感動した私は、どん引く周りを気にすることもなく、泣きながらクッキーを全て平らげた。

 全部食べてから、流石に図々しかったかと新婚の男に頭を下げたら、引きつりつつも助かったと感謝される。

 ここでぴんと閃いた私は、図々しいついでに男に頼んでみることにした。


「これは、あなたのお嫁さんが?」

「あ、ああ……」

「ぜひ紹介してください! 私と結婚してもらいたい!」

「はあっ?! いやいやいや、俺の嫁だから! それにあんた女だろ!」

「幸せにするから! 年取ったら性別なんてどうでもよくなるし!」

「絶対駄目だ!」


 メシマズは家庭の不和の一因だという。

 ならばもしかして、別れる予定があるならば私が是非ともその彼女と結婚したいと駄目もとで頼み込んでみたら、やっぱり駄目だった。

 しかし一度断られたからといって諦められる訳もなく、しつこく粘っていると、興味津々で見守ってたらしい外野がさわさわと騒ぎ始める。


「あいつ、もしかして『奇食のジャパン』じゃね……?」

「まじかよ……サーシャちゃんのクッキー、奇食に気に入られるほど不味いのかよ……やべえな……」

「あの泥水と同じくらいってことだろ……やべえな……」


 どうやら私の名前はこんな街の酒場にも轟いていたらしく。

 更には私が食べていた泥の入った酒とつまみの鉱石のせいか、あっさりと素性がばれてしまったようで。


「う、うちの嫁の飯はそこまで不味くない!」

「うんうん、すっごく美味しかった! なのでぜひ紹介を!」

「嫌だ! 絶対に嫌だ!」


 私の二つ名を聞いてますます顔を引きつらせた男が、絶対に嫁には会わせないと頑なになり、諦めきれず縋る私に酒場の喧騒は大きくなり、やがて外へと伝わってゆく。

 そしてついには増えてゆく野次馬の中、騒ぎを聞きつけて駆けつけたらしい男の嫁のサーシャちゃんが、真っ青な顔で私たちの前にやってきて、最後にはわんわんと泣き出す羽目になってしまった。


「わた、私っ、まさかそんなに、お料理、出来てないって思って無くって……! ごめんなさい、ごめんなさいっ!」

「いやいやいやいやいや、そこまでじゃないから。でもちょっと、改善してもらえると、嬉しいかなあって……」

「そのままでいいって! だってすっごく美味しかったし」

「奇食のあなたに美味しいって言われるなんて、ものっすごく不味いってことじゃないですかあああ、うわああああんっ」

「ああああああもう、奇食! あんた黙ってろ!」


 まだ若い女の子を泣かせてしまったのは、さすがに反省してる。

 けれど私も、切羽詰っていたのだ。私でも食べられる料理があるかもしれないと、期待してしまったのだ。多少の暴走は、大目に見てもらいたい。

 結局サーシャちゃんと旦那、うまく行ったみたいだし。

 私にとっては非常に残念なことだけど、サーシャちゃん、自分の料理を根本から見直すことにしたみたいだし。

 それでも粘りに粘って、サーシャちゃんのお料理教室の味見を買って出たけど、アレンジたっぷりのオリジナル調合をすっぱりとやめて基本に忠実に行く事にしたらしいサーシャちゃんのお料理は、最早私にとっては美味しいといえるものではなくなっていた。


「美味しくない……」

「ほんとですかっ! ああ、良かった……!」


 美味しくないって言って、あんなに感謝されたの、初めてだったわ。



 それからの私は、美味しいものを探す傍ら、メシマズさんを探し始めた。

 サーシャちゃんにレシピを聞いて、あの美味しいクッキーを再現しようとしたけど、いくら試しても渋さは残ったまま。単純に不味いものを作ればいいのかと試しに適当に素材を混ぜて料理をしてみても、美味しいものは出来ない。

 つまりあれは、メシマズさんでなければ作れないのだと理解した私は、メシマズさんの噂を聞きつければどこにでも飛んで行った。


 とても残念なことに、私が美味しい認定するとメシマズさんは自分の料理が一般的にはマズいってことを理解してしまうようで、どうにかメシマズを脱しようと努力し始めてしまうため、ずっとメシマズさんではいてくれない。メシマズさんから、ちょっぴり料理が下手まですぐにレベルアップしてしまう。


 それでもいつか私だけのメシマズさんに出会えるのではないかと、飯のマズい嫁が居ると聞けば北へ飛び、飯のマズい騎士が居ると聞けば南へ飛ぶ。

 一度でもほこほこと湯気のたつ美味しい料理を食べてしまえば、たとえそれが一食きりのものになってしまうとしたって、駆けつけずにはいられない。


 そしていつしか、私の二つ名が『奇食のジャパン』から、『メシマズ更生人』へと変化し、大勢のメシマズ被害者から感謝されるようになり。


 なかなか見つからない私だけのメシマズさんに日々想いを募らせつつ、今日も私は、新たなメシマズさん情報を聞きつけ、全速力で駆けつけるのだった。


「泥水でなく! 鉱石でもなく! 見た目も味も美味しい料理が食べたーい!」

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