餞(はなむけ)
男が酒を持って現れたのは、月も登り切った頃だった。
先触れもなくやってくるのは何年ぶりだろう。
互いに気楽な独り身であった若い頃にはままあることであったが、それなりの年齢になり、それなりの肩書きを持つようになってからは、昔のようにぶらりと立ち寄ることはなくなった。
仕事上の酒席など、あらかじめ整えられた場で時折、顔を合わせるばかりであった。
なのに今日、唐突に書斎の窓に顔を出すと、虎の子の酒瓶を突きつけることにより、自分を室内に入れることを強いた。
急な訪れに驚いたものの、何となく予測していた気もする。年甲斐もなく、生け垣を乗り越えてやってきた男に、家人を呼ぶのも偲びなく「つまみはないぞ」と、釘を指した上で厨房に杯を二つ取りに行った。
家人はマメであるので、探せばつまみの一つや二つの用意はあるのだろうが、あいにく食品棚の配置は把握しておらず、探す時間はもったいなかった。
自分でいうのも何だが、趣味も特技も持たぬ、面白味のない人間である。
酒を飲むのは好きだが、そこに一家言あったりするわけでもない。
仕事上交流を求められることはあれど、仕事以外の話題など持たず、場を白けさせるのは分かっていたので、個人的な付き合いなどないに等しかった。そのほとんど唯一の例外がこの男であった。
同じ職場ではあるのだが、職場では仕事上必要な会話を交わすのみで、個人的な会話などほとんどない。それこそ呑む約束を取り付けるくらいだ。こうして二人で会っている時も、それは変わらない。仕事の話をしない分、会話は更に少なくなる。
共に出掛けることも、若い頃、友人達としたように熱く議論をすることもない。淡々と酒を交わすだけの時間を重ねてきた。
酒とつまみは、それぞれが持ち寄る。酒はたいがい男が持ってきた。男が持ってくる酒は旨い。こちらが振る舞う時はそれに見合うものを用意した。
正確には、たまたま上物の酒が手に入った時にだけ招いたわけだが、相手も似たようなものだろう。
顔が広い分、男が酒を持ってくる頻度の方が高いだけだ。一人で飲むより、二人で飲む方が旨い。家人は酒が飲めない。自然、私が酒を飲む相手は一人となったが、男にとって私は、数多い飲み相手の一人であろう。どんな相手ともそつなく話をする男が、話すことに疲れた時に、私のところに来るのかもしれない。
書斎に戻ると、男はすでに寛いでいた。杯を渡すとさっそく手酌で呷り始める。私も続くことにした。
それぞれ好き勝手に杯を進める。舌先に乗せた酒はわずかに琥珀がかっていて、とろりと喉を滑り落ちると、胸奥で熱くなる。香りが口腔から鼻へふわりと抜ける。
旨い酒だ。余韻を楽しむ。備え付けの小さな卓の上の小窓からは、書見台の微かな灯籠を後目に月明かりが射していた。
「あの日の月も綺麗だったな」
珍しく男が口を開いた。
いつのことかと考えたが、わざわざ話題に出すような夜は稀なので、すぐに思い当たった。初めて酒を交わした夜である。
* * * * * *
月の綺麗な夜だった。柄にもなく月に誘われ、思いつきで酒を買った。家に帰っても一人なので、そのまま河原で酒を開けた。人恋しかったわけではない。無精をしただけである。
無人の河原も、一人しかいない家も、対して替わりはあるまい、と腰を落ち着け月を肴に酒を呷った。火照った体に、夜風が気持ちよかった。その時である。
「良い月だな」
唐突にかかった声に振り向くと、見覚えのある顔があった。こんなところで知り合いと遭遇するとは思いもよらず、狼狽した。
親しい関係ではない。その上、前に対峙したときは一方的に正論をまくしたてた記憶がある。
昼ではなく夜、完全なる私事の時間であるので気にする必要はないのであるが、堅物と認識されているであろう相手の前で、横着な姿をさらしてしまったことが気まずかったのだ。
上手く言葉を返せずに、佇む私を気にするでもなく、男は隣に座った。私のものより遥かに高級そうな衣服で直接腰を下ろすと、当たり前のように酒を要求された。
男は長身だ。だが威圧感はない。同じ長身であっても、まさに木偶の棒といった態の私と違い、育ちのよさが滲む柔和な眼差しと体格に反した優しげな物腰で、のらりくらりと話をかわす。そんなどこか得体のしれない印象があった。
同じ場所にいても、生きている世界は違うのだと思っていた。貴族的な風貌も相俟って、それこそ月を肴に高台で一献、などと洒落込んでも違和感がない。なのに黙って地べたに座り酒の陶器に直接口をつけているのは不思議な光景だった。
その時は特に話をした記憶はない。酒がなくなったので分かれた。それだけである。次に会った時には柔らかな口調で煙に巻くいつもの男だった。河原でのことは全くなかったかのように職務上の対応をされた。その次に会った時も同様だった。
そんなことが続き河原での出来事もほとんど忘れかけたある夜、男は現れた。どうやって調べたのか当時の住まいであった借家の戸を叩きこの前の礼だと言って差し出した手には酒瓶があった。以後、頻繁ではないものの思いがけなく酒が手に入った時など共に呑むようになった。
不思議な縁である。あの夜がなかったならば、このように共に酒を飲むことはなかっただろう。
* * * * * *
「あの時の酒は旨かった」
目を細める男に「安酒だぞ」と返す。男の持ってくる酒はいずれも旨かった。飲みなれたものとは舌触りからして違い、何も言われなくとも上等なのだと知れた。最初に持ってきたものからしてそうだった。そこらの酒屋で買った一番安い酒に到底見合うものではなかった。
「それでも、だ」
「そうか」
あの時、隣に座られた時は困惑したが、目線を寄越すでもなく互いに前を向いたまま黙々と空と川面の月だけを見つめて飲む酒は、安物ではあったが確かに旨かった。
ふと、気配を感じて顔を上げる。視線が合った。言いたいことがあるのだろう。今回ばかりは話したいことがあって訪れたのだろうことは察していた。男のことだから明瞭に言い出すものだと思っていたのに、見つめるだけで中々言い出さない。らしくない姿が不謹慎ながら少しだけ面白かった。
「本当は文官になりたかったのだろう」
やっと口を開いた男の目線は書見台の上にあった。数冊の歴史書と、横には哲学書。一間しかない借家暮らしの頃より押しかけていたのだから私の嗜好も把握していたのだろう。
巨木や岩など頑丈な無機質にばかり譬えられる身である。見た目にそぐわないのは承知している。だが私は剣を振り回すよりも書斎で本を読んだり在りし日の賢王の治世や、絢爛たる文化に思いを馳せるのが好きだった。
高望みであるのは重々承知していたがそれらに関わる仕事をしたかった。生憎芸術方面の才能はなく政治に携わるにも回らぬ舌が足を引っ張るのが目に見えていたので、資料編纂室や勘定関係の仕事につけられたら、と漠然と夢に描いていた。
在りし日を思い浮かべ答えぬままの私に、男は続けた。
「なんで今更、戦さを起こそうとする」
文官に憧れていた田舎の若造は、何の因果か中央政府の武官になった。
思うままに本が読みたくて私は都の私塾に入った。人並み外れた体格は見た目倒しで武術は教養程度にしか身につけてなかった。私塾は文武両道の規範で有名だったが、同時にその塾長は蔵書家としても名を馳せていた。
当時は私の周りにも多くの友人がいた。まだ若かった私は私塾で出会った友人に誘われ、半ば流されるように国家を憂える青年たちの仲間になった。
今と変わらず口下手だった私は厚く議論を交わし驚くほどの行動力で仲間を増やしてゆく彼らに強く惹かれた。
常に一歩引いてしまう私にも彼らは優しかった。仲間として扱ってくれた。認められたかった。彼らの役に立ちたかった。何より彼らの目指す世界を共に覗いてみたかった。
体格が良かったことと口下手が災いし、いつしか仲間内でも武闘派と見なされていた。
人一倍大きな体は近くに立つと威圧感を与えるらしく、盾としては役立てたようだ。
荒事が苦手で落ち着いたときにだけ正論をかざしていたら冷静だと言われ、強さゆえの余裕だと好意的に解釈された。
評価に見合うために、それまでは手を抜きがちだった武術の稽古を必死にやるようになった。仲間達が旧政権を打倒し新しい政権を樹立する時には周りは武官になるものと疑わなかった。今更文官になりたいのだとは言い出せなかった。そして騒動の初期から貧乏籤を引き、いつも学生達の対応を任されていた若い役人は中年となって目の前にいる。
正規の役人であれば下級とはいえ貴族である。まさか同じ政府に勤める同僚になるとはあの頃の自分では想像の範疇にないことだった。縦しんば一緒に呑む仲になるなどとは更にである。
仲間達は兵を挙げ、同じく体制を慮る若い貴族達と対立しつつも内からと外からで古い体制を打ち破り新体制を樹立した。
長い年月を経て新政権を立ち上げたものの仲間達の多くは倒れ、若くして亡くなった不断の英雄として讃えられた。
市井での人気は圧倒的であったが多くの仲間たちは理想はあっても実務経験はなく、私塾に入ってはいても批判や打倒ばかり目指していた彼らはどうしても既存の権力者であった若手貴族達よりも知識に劣り、中心となって政務を執るには向いていなかった。
そんな姿を見て仲間たちや彼らに心酔し新政権での活躍を夢見てついてきた若者たちは旧体制を内から崩した旧体制の貴族出身の男たちが彼らを不遇に追いやり中枢を独占したのだと強く憎んだ。
仕官しても無口は変わらず、試行錯誤してみたものの口下手は直らなかった。実際に政務を担う為に必要なものは理解出来たので当然の事と個人的には不満はなかったのだが、それを上手く説明する口を持たなかった。何より仲間達を慕う声に否定的な事は言いたくなかった。
そうこうしているうちに、いつの間にか反対派の首領と見なされていた。
血気盛んな若者達も改革派の生き残りである私の言う事ならば聞いてくれた。内心はともかく私の言葉を尊重し、立場を慮って引いてくれた。
表面上は落ち着きはじめた矢先だった。議会の最中に私が新政権の政策に異を称えたのは。内政を立て直し国力をつけようとする方針を惰弱と断じ、新たな領土を求めて国外に打って出るよう強く求めたのだ。
私の言に旧改革派の生き残りや新政権樹立に乗り遅れた若者達は熱く湧いた。今まで口を噤んでいた私が発言した事により、其れまで表立って反対をして来なかった者達も政府の方針に難色を示すようになった。
政権は真っ二つに割れた。武力が行使されるのも時間の問題だった。
「民は疲弊している」
「ああ。国外に討ってでる余力はない」
先ほどの答えにならない呟きに、男はそのまま返してくれた。国力不足はお互い痛いほどに理解していた。
「諸国が手をこまねいている今しかない。短期で決めたい」
戦さを奨励するように響いただろう言葉に視線を寄越され、続ける。
「平和な社会に俺達は要らない。俺達には死に場所が必要だ」
いつになく舌が滑る。勢いのままに掌の酒を煽った。
「俺は俺の仲間が不要になってゆくのが嫌だ。あいつらを邪魔者として見られたくない」
そんな私を男は黙って聞いていた。
「そんなふうに見られて良い訳がない。あいつら一人一人が俺にとっての英雄なんだ」
今は鬼籍に入った友人達に憧れ、自分たちの手で新しい時代作り直したいと望む彼らの姿は、かって自分も憧れた友の姿であり、そして彼らに憧れた自分の姿そのものだった。
「そうか」
男も酒を煽り、
「それで一緒に死んでやるのか。贅沢な餞だ」
そう呟いた。あとは言葉はなかった。
その後はいつものように飲み続けた。持ってきた酒はなくなった。
二人で瓶一本は大した量ではない。だが二本目が出てくる事はなかった。
立ち上がり、男は生垣に目をやった。窓辺へと進む姿に「気をつけろよ」と声をかける。軽く手を上げ「じゃあな」と別れの囁きと共に遠ざかる背中に酒の影響は見られない。危なげない足取りで闇の中へ消えていった。
たちまち見えなくなった気配に、屋敷の警護体制を思った。こんなにあっさり抜けて来られるとは見直しが必要だろう。だがそれ以上に今日は無事に帰って貰わなければ。
――私を殺す男が、こんなところで怪我をされたら困る。
周囲の静寂を確認し机に目を落とす。身内への別れは済ませてある。心残しや後悔がある訳ではない。一人考える時間を持ってみようかと思っただけだ。
いつもの書斎で自分は最後の夜にどんなことを考えるのか、ちょっとした興味にかられた訳だが思いがけない展開となった。
書斎を覗く目と合った時、一瞬浮かんだ申し訳なさそうな色は突きつけられた酒瓶に隠されたが、友と二人で飲む最後の酒は悪くない味だった。
こんな時間を持つことはもうないと思っていただけに、最高の餞となった。そもそも私が書斎にいなかったら、家人と夜を過ごしていたらどうするつもりだったのだろう。
切れ者と称される男が酒瓶を持ったまま、むなしく帰る姿はさぞ面白いものだったに違いない。想像すると思わず笑みがこぼれた。
静謐だった心は何処へやら。同時に無駄な気負いも抜けた。悟りも覚悟もいらない。いつものように成すべきことを成すだけ。明日に備えて私も寝ることとしよう。
私はまだ彼らの英雄なのだから
翌日、左将軍椁は兵を挙げた。樹国政府は紅朱王の名の元に、衛将軍枸名へ討伐を命じた。
「将軍、今日はやけに大人しいっすね」
「そうか?」
にやりと笑う姿に梗は気のせいだったかと、首をかしげる。
「お前は楽しそうだな。久々の戦だ。腕がなるか?」
「おう」
上官に馴れ馴れしい口調をきく梗に、周囲は呆れた視線を投げるものの咎めるものはいない。何せ肝心の枸名が気にしていないのだ。家の官職こそ低かったものの樹国建国から続く旧家の出である枸名は、名家のものなら見向きもしない中央府の出向所に護衛官として入り、その後自ら志願し辺境に赴いたり様々な役職を転々としてから都に戻ると、一気に王宮の衛兵を纏める将官にまで昇り詰めたという異例の経歴の持ち主である。それ故か、この男は鷹揚な物腰以外、貴族らしい部分はなかった。公の場では役職に相応しく振る舞っているものの、それ以外の場では率直で口調もぞんざいだ。必要な場以外での、形式ばった遣り取りは不要、結果こそ全て。それが枸名の方針だ。実力さえ示せば多少の口や態度の悪さは問題とされなかった。
「んじゃ、行ってきやすか」
単騎で駆け出す梗に、
「他のやつの作戦は乱すなよ」
と投げかける。適当な指示と共に『狂犬』は野に放たれた。
布陣など、言っても解さぬ相手だ。他軍の邪魔をしないだけでよしとする。
いつまでたっても軍規も作戦も理解できず放逐されていた梗を拾い、将に仕立て上げたのは枸名だ。
確かに兵法を持って用いるならば、到底使いようのない男だ。悪意なく戦場を引っ掻き回し、面倒ごとを引き起こす。作戦も布陣も無視して突っ走り、敵方のみならず味方の思惑までぶっ壊してつけられた渾名は『狂犬』。敵より味方に被害を出す男、とまでいわれ、戦場の収拾をつかなくさせるので軍上層部に忌み嫌われた。
だが、単騎でみればその働き、武力においてはまさに一騎当千。一騎で敵軍に乗り込みながら、毎回生きて戻ってくる化け物じみた能力の持ち主なのだ。誰にでも向き不向きはある。出来ないことはやらなくて良い。ようは使いようだ。
梗に軍規も作戦も無用。最低限、他の将の邪魔にならず生きてかえってくればよい。それだけを教え込んだなら使える場は多かった。
「撹乱には持ってこいだよな」
まあ、味方も撹乱されるんだがな。枸名は笑った。そして、丘の向こうの男を思う。
動き出せば獰猛であるくせに、緻密且つ慎重な戦略で知られたあの男の、勝てる見込みのない時宜での挙兵。
それも討伐担当の驍騎将軍が不在で、この俺が都を預かっている時を見計らっての。
「応えねばなるまいよ」
無粋であると知りつつも会って話をせずにいられなかった。月夜に人目を憚って訪れた先が、あの無愛想な男の下だというのは何とも笑える話だが。
ふと、最初に飲んだ晩を思い出した。
久しぶりの逢引を約束した女を訪ねたら別れ話と共に袖にされ、他の女の部屋に行くには気まずい時間か、などとと考えつつ、川沿いの道を歩いているときに黒い影を見つけたのだ。もしや獣かと目を凝らしたら、それは人間で、河原で一人背中を丸めていた。しょぼくれた背中が他人事ではなく、さては同類かと目を凝らしてみたところ、それは見知った顔であった。
思い悩むような姿に邪魔するのも悪いかと思ったが、暇に飽かせて特攻した。手元の陶器に気付いたからというのもある。突然の襲来にも関わらず酒を分け与えることに応じた相手は、以前から気になっていた通りの面白い男だった。
中央府の出張所に務めていたころ、しばしば見かけていた男は仲間たちに引き連れられてやってくるものの、目立つ体躯でありながらほとんど発言はなく、たまに強い口調で発言したかと思いきや、その後には無表情のまま目が泳ぐのだ。
そのことに気づいたときから、何となくあの男が口を開くたびに観察していたのだが、執務中に私事で話しかけるわけにもいかず、密かに話しかける機会を狙っていた。
その後、しばしば共に飲むようになり相手の性格も把握し、逢引などおよびもつかない堅物だと知ったわけだが。
「声をかけた経緯を知れば怒るだろうなぁ」
自分が女に振られてやけ酒をするような人間と見られていたと知ったら怒り狂うに違いない。そして、そんな姿は自分たちの周囲の人間にとって見慣れたものだ。
王宮で、朝議で会うとき、自分たちはいつも対峙していた。中庸を常とする自分と、曲がったことは許せぬ存外、熱い性質の男。互いに譲らないので周囲からは常に対立しているように見えるらしいのだ。
普段は比較的冷静な男なのに、ちょっとつついてやると頑として動かなくなる。それがおもしろくて、必要以上に煽ってしまった部分もある。少々つついたところで後で尾を引くわけでないのは、やりあった後でも、飲みに誘えば変わらず応じてくることから解っていた。
自分の感情を表すのは苦手なくせに、そういったときにだけ饒舌な自分に凹んでいたことも。
王宮の奥に足を運んだ際、欄干の彫刻に無表情で見とれていたり、それを見た周囲の者たちが、いきなり立ち止まる男にどう反応すべきか戸惑う姿など、思わず笑いそうになることは多々あった。
何というか、図体に似合わぬ純粋な男なのだ。
そんな男の、これは最後の意地だ。男が好む歴史書のような、いつまでも語り継がれる華々しい最期を贈ろう。俺からの餞だ。そのためにも手加減はすまいよ。
瞳を巡らせば、丘の向こう、二つ目の丘陵で火の手が上がった。援軍が来たのだ。『狂犬』含め、持てる戦力は全て投入した。
ひとつの時代が終わる。古い時代を生きた人間を引き連れて。残ったものには残ったものの役割がある。今はその役割を果たすだけだ。
棚引く煙を除けば、空は雲ひとつなく澄み切っていた。酒を交わす相手はいなくとも、今宵の月も綺麗なのだろう。