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恋文研究同好会

作者: このはな

 放課後いつものように理科室に来てみたら、出入り口の扉のど真ん中に紙切れが一枚張られていた。


 黒の極太マジックで書かれた七つの丸っこい文字。


『恋文研究同好会』


 オレの脳天が直撃された。


 いや、ここは理科室だ。


 恋文研究同好会などとふざけた活動するための場所ではない。


 生徒はおろか教師だってめったに近寄らない、学校の怪談七不思議として知られているいわくありげな場所なのだ。


 不気味な人体模型や、正体不明のホルマリン漬けが、噂を助長しているに違いない。


 プロである掃除のおばちゃんさえ、中に入るのを嫌がって掃除をしてくれないぐらい、嫌われている場所なのだ。


 そのため、生物担当教師のオレ様が掃除してやるかわりに、隣の準備室に私物をちゃっかり隠していたりするのだが、何を隠しているのかは聞かないでくれ。


 それはともかく、正体不明の何者か(といってもうちの生徒にきまっている)に、勝手に占拠されてしまったらしい。


 はなはだ遺憾な話だ。


 ここはガツンと言ってやらなければ、生徒たちに舐められてオレの授業が成り立たなくなる。


 尻の青いガキに社会のルールってものを教えてやるぜ!


「頼もう!」


 オレは、これから道場破りに挑もうとする格闘家の意気込みで、理科室の扉をがらりと開けた。


「先生、頼みって何ですか?」


 最初(しょっぱな)から出鼻をくじかれる。


 力が抜けて足がカクッとなったが、教師の威厳を保つために踏ん張ってこらえた。


「ちがう、頼みじゃない! 頼もうだ! お邪魔しますっていう意味なんだぞ」


 偉そうに言いながら、ちょっと意味が違ってるような気もしたが、どうでもいい。


 まずは、敵の情報を得ることが先決だ。


 理科室をぐるりと見回したら、三人の生徒たちが席に座っているのが目に入った。


 あの張り紙を目にしたときから予想はついていたが、やはり女生徒ばかりだ。


 三人ともオレにじろじろ視線を浴びせかけている。


 手前にいるのは、身長百六十センチぐらい、胸の長さまである髪を毛先だけカールさせた、身体の厚みがないヤツ(おめえ、メシ食ってんのか?)。


 その隣には、茶髪のボブヘア(オレには、おかっぱとの違いがわからない)、身長はちょっと低めの百五十五センチぐらい、胸だけは発育良さそうだ(おっと、失礼!)。


 そして二人の反対側の席には、色気のないただのヘアゴムで髪を馬の尻尾(ポニーテールというやつか?)みたいに結んだ、身長は一番高い、おそらく百七十センチ以上はあるメガネちゃんだ。


 そのメガネちゃんが席を立ち上がって、ずかずか歩きオレの目の前までやって来た。


 オレとタメ張れるほどタッパがあるので、なかなか結構な迫力だ。


「じゃあ、お邪魔しますって言ってくださいよ、わかりやすく!」


 かわいらしい小鼻を膨らませて、目を三角にし、オレを怒鳴りつける。


 それが、センセイに向かってとる態度か?


 この三人の中で、彼女がリーダー格らしいな。


 群れを抑えるには頭を狙え。


 それがケンカ……じゃねえ、生徒指導の鉄則だ。


「寝ぼけたこといってんじゃねえ。おまえら、勝手にここ使ってんじゃないだろうな? オレは聞いてないぞ」


 顎を上げて、にらみを利かせる。


 これで、ヤツ等はおとなしくなるはずだ。


「許可なら出しました!」


 メガネちゃんはおとなしくなるどころか、ますます気色ばんでオレに詰め寄ってきた。


「谷口センセイに出しました! ここの使用許可願いに、同好会の活動許可願い。とっくに許可は降りてます、文句ありますか!?」


 ちっ、用意周到な!


 おまけに、谷口だと?


 谷口は、オレと同期でこの学校に入った現国の女教師だ。


 年齢はオレと同じ、結婚していない女盛りの三十代後半(歳を公表するのは、武士の情けだ、やめておく)。


 少し古いが(だいぶ古いかもしれない)今で言うなら負け犬、昔で言うならハイミスといったところか。


 いつも地味な色のパンツスーツを着て、常に沈着冷静、あわてているところを見たことがない。


 頭の上で黒髪をひっつめた、つまらない女だ。


 そのつまらない女のことを、にっこり笑ったらそこそこイケるんじゃねえか?


 なーんて密かに思ってたりするのだが、残念なことに未だ一度も拝んだことがない。


 しかし、噂をすれば影が差す、昔の人はよく言ったもんだ。


 理科室の扉が開いて、その当の本人の谷口がすました顔で入ってきた……と思ったら、なんなんだ! その顔は!?


 オレの顔を見るなり、「ひっ!」と彼女は声をあげやがった。


 目を見開いて、口は手で押さえている。


 幽霊か妖怪でも見たような彼女の反応に、オレまでビビって肝をつぶしてしまった。


「もしかして……憑いてたりする?」


 霊感がないのはわかりきっているので、オレは谷口にたずねた。


 振り返ったってムダだ、どうせ何にも視えやしないのだからな。


 ところが、谷口もオレと同様らしい。


「いえ、憑いてません。憑いてないんです。ていうか、視えません。ただわたし、先生がいらっしゃることに驚いただけですから……」


 何度も頭を振って彼女は答えたが、顔色が悪い。


 赤くなったり青くなったりして、気分悪そうだ。


 鉄の女がこんな表情を見せるとは意外な気がするが、教師とは生徒や保護者からだけでなく、社会的にも大変なプレッシャーをかけられる職業だ。


 彼女も他言できない悩みを抱えているのかもしれない。


「ここに座ってゆっくりしてください、どうぞ」


 オレは自分の横にあった丸椅子をつかんで彼女の前に置いてやり、紳士らしく椅子に座るよう勧めた。


 だが、彼女は背筋を真っ直ぐ伸ばしてぴしゃりとオレに言い放った。


「わたしは、ゆっくりするために来たのではありません。生徒たちを指導するためです!」


 それは、オレへのあてつけか?


 かわいくない女だ。


 情けをかけるんじゃなかったぜ。


「では、何の指導をするんですか? まさか、あの張り紙どおり恋文を研究するっていうんじゃないでしょうね?」


「そのとおりです。中尾先生のおっしゃるとおりです」


 彼女の切れ長の目が、オレの顔を真っ直ぐ捕らえた。


 さっきとは、まるで別人だ。


「じゃあ、いいですよ。その代わり、私も見学させてもらいます。自分は、ここの管理責任者ですから」


 さあ、どうする、谷口?


 さっきオレの顔を見て驚いたのは、オレがここにいるとは思っていなかったからだろう?


 つまり言い換えると、今この場に、オレにいてほしくない。


 そういうことじゃねえのか?


「わかりました、見学なさってください。どうぞ、ご自由に」


 彼女は何かを思い出したかのように「ふふっ」と笑ったので、オレは自分が何か取り返しのつかないことでもしたのではないかと思った。


 だが、こうなっては、おめおめ引き下がることもできない。


 ああ、自由にするとも!


 たった三人とはいえ、このやりとりを生徒たちに見られているのだ。


 ここで引いたら、あることないこと言いふらされて、明日の授業に差しさわりがあるかもしれない。


 オレは、女生徒たちの席を通り過ぎ、教室の一番後方の席に座った。


「始めてくれ」


 腕を組んで彼女たちをじっとにらんだ。






「今日は、記念すべき第一回目の研究発表会です。自己紹介は全員知っているので省略、顧問は谷口センセイ、見学者は中尾センセイです」


 拍手がぱちぱちと鳴る。


 黒板前の壇上に立っているメガネちゃんが、律儀にぺこりと頭を下げたので、オレもつられて頭を下げてしまった。


 そんなオレを見つけて、入り口近くに立っている谷口がまた「ふふっ」と笑う。


 少々わざとらしいが、「えへん」と大きく咳払いしてオレはごまかした。


「さて、第一回目のテーマは『恋文とは何ぞや?』です。


 恋文とは、いわゆるラブレターのことであります。


 グローバル・スタンダードの現代、パソコンや携帯のメールが全盛の今は、手紙という手段はもはやアナログ時代の過去の遺物といってもいいかもしれません」


 おっ、なんだ、すごく真面目なこと言ってるじゃねえか。


 メガネちゃんのスピーチを聞いて、オレは拍子抜けした。


 恋文研究なんて、どんなふざけたことするのかと思ったからだ。


 他のふたりも黙ってノートをとり、真面目に聞いているようだ。


 谷口も「うんうん」とうなずきながら、彼女たちに順に視線を送る。


 そして、オレと目が合う。


 紅葉を散らすみたいに顔を赤く染めると、彼女はパッと視線をそらした。


 なんなんだよ、その態度は。


 こっちも恥ずかしくなるじゃねえか。


 オレがまた「えへん」と咳払いしたので、今度はメガネちゃんがにらんできた。


「中尾センセイ、見学したいなら静かにしてください!」


「ああ、はい!」


 しまった、またつられてしまった(お、ダジャレだ)。


 そんなオレをよそに、メガネちゃんはスピーチを続ける。


「皆さん、ご存知でしょうか? 


 恋文とは、昔から最大の永遠のテーマなのです。


 あの万葉集も然り、古今和歌集も然り、恋をテーマにした和歌がたくさん詠まれています。


 歴史上の人物でいうなら豊臣秀吉もそうです。戦地から奥さんにたくさん恋文を送っています。


 男から女へ送るだけでなく、男から男へ送る場合もあります。


 井原西鶴の『万の文反古(よろずのふみほうぐ)』という作品に見ることができるのです」


 げっ、男から男に!?


 オレには全く縁のない世界だが、昔も今も好みは千差万別、いろんなヤツがいるもんだ。


「しかし、皆さん!


 あなたのもとに突然心当たりがない者から恋文をもらったら、あなたはどうしますか?」


 メガネちゃんが問いかけると、カールちゃん(毛先をカールさせた女生徒だ)が手を上げた。


「一応読んでから、相手が誰か確かめます。それでイケてたら、つきあってもいいかも」


「イケてなかったら?」


 次はボブちゃん(茶髪のボブヘアの女生徒のこと。ホントは別の名で呼びたいが、問題になるといけないのでやめる)が手を上げて発言した。


「なかったことにして無視する」


 ちくしょう、こいつら男を舐めてるな。


 聞いてるだけで腹が立ってくるぜ。


 鏡で自分の顔見たことあるのかよ!……と叫びたいが、ここは我慢だ。


 子供相手に大人げないことしてはいけない。


「そうです、そこがポイントなのです!」


 メガネちゃんが、バンと机を叩いた。


「かの有名な哲学者にして、アテナイの変人と人々から揶揄された、ソクラテス。


 その名を誰もが聞いたことがあるでしょう。


 彼は言いました、『汝自身を知れ』と。


 そうです、人は自分を知らねばならないのです。


 恋文とは、自分を相手にアピる手段にすぎません。


 恋が実るかどうかは、本人の人格次第。


 恋文の出来、不出来に、左右されるわけではないのです。


 それなのに、ああ、嘆かわしい。


 自分を知ることなしに恋文を出してしまうとは。


 その最悪の例が、これです!」


 彼女は、よれよれの紙を一枚掲げた。


 黄ばんでいるが、昔はきっと白かったに違いない。


 学生時代オレも愛用したことのある、有名文具メーカーのレポート用紙だ。


 パズルのピースのごとく、その紙はいったん破られていくつもの小さな紙片にわかれていたようだ。


 セロハンテープ(これもまた、変色している)で張り合わされたことにより、一枚のレポート用紙として、かろうじてこの世に存在しているみたいなのだが……。


 そのレポート用紙に鉛筆によって書かれたへったくそな筆跡を見た瞬間、オレは自分の目を疑った。


 あのへったくそな文字は、見覚えがある。



 そうだ、あれは、オレの字じゃねえのかあああああ!?



 よ、読まないでくれ!



 いや、その前に、なんでここにあるんだあああああ!?




「中尾先生、どうなされたんですか?」


 谷口の声で、はっと気づいた。


 オレはあまりのショックな出来事に、我を失い立ち上がってしまったらしい。


 谷口と女生徒たちの注目を集めている。


 丸椅子がオレの側の床に転がっていた。


「す、すんません!」


 オレは、あわてふためきながら椅子を起こして、再び座った。


 な、なんで、あれが、ここにあるんだ?


 心臓が肋骨を破り体の外まで飛び出しそうだ。


 あんなものを生徒に読まれてしまったらおしまいだ、残りの人生とてもじゃないが生きていけねえ。


 このまま心臓発作起こして、ポックリ逝くしかないのかよお……。


「あの、ちょっと待ってくれないかしら?」


 谷口の声がして、オレは思わずうつむいていた顔を上げた。


「それ、まちがえて渡しちゃったの、ごめんなさいね。返してもらえる?」


「でも……」


 谷口の言葉に、メガネちゃんは不服そうだ。


「あなただって、こんな変な恋文研究したくないでしょう? 明日はもっとちゃんとしたものを用意するから」


 その引っかかる言い方がちょっと気に入らないが、谷口のおかげで危機を脱出することができたようだ。


 メガネちゃんはしぶしぶ従い、谷口にレポート用紙を返したので、オレは安堵のため息ついた。


 おお、天の助けだ。


 谷口様、いや女神様とこれから呼ばなければならないのか?


 それにしても、いったいどこであれを手に入れたというのだろうか。


 なぞを解明するには、彼女に話を聞かねばならない。




「センセイ、ありがとうございました」


「さようなら、気をつけて帰ってね」


 理科室を出て廊下を歩く女生徒たちのうしろ姿を、オレと谷口は扉の前に立って見送る。


 角を曲がり彼女たちが見えなくなるのを待ってから、オレは口を開いた。


「谷口先生、ちょっと聞きたいことあるんですが……」


「わかってます、あれでしょう? あれをどこで手に入れたのか、お聞きになりたいんですね?」


 谷口はオレの顔を見上げて、「ふふっ」と笑った。


 オレは、そのとき気づいた。


 彼女は、オレのことをバカにして笑っているわけでないことを。


 思いっきり笑いたくて仕方がない、だが我慢しなければならない。


 そんな様子で一生懸命笑いを噛み殺しながら、彼女は言った。


「ダメです。わたし、わっ、笑い上戸なんです。笑い出したら、とっ、止まらないから、が、学校では、頑張ってたのに……。もう、ダメです。わ、笑ってもいいですかっ?」


「あ、はい」


 オレが答えた次の瞬間、彼女はお腹を抱えて笑い出した。


 げんこつで扉をバンバン叩き、涙目になってひいひい言っている。


 そんなに笑い声をあげたら苦情が来そうだ、っていうぐらい、大きな声をあげて彼女は笑った。


 最初は呆気にとられてぽかんと口を開けていたオレも、いつのまにか彼女と一緒になって笑っていた。


 ああ、彼女は、こんなふうに笑うのだ。


 オレが想像してたより、ずっといい。


 大口開けて笑う谷口のことが、前より近くに感じられた。




「……あのう、そろそろ本題に入っていいでしょうか?」


「ああ、はい。申し訳ありませんでした」


 オレの問いかけに反応してやっと谷口が振り向いたとき、正直言ってオレは「やれやれ」といった心境だった。


 いったい、いつになったら嵐が去るのだろうか。


 彼女が笑い出してから優に三十分の時が過ぎていた。


 秋の日は急に暮れる。


 谷口が廊下の窓を開けると、くっきりとさわやかなキンモクセイの強い香りが、オレの鼻をくすぐった。


「ちょうど季節は、今と同じ頃でした。中学生のとき親を事故で失って……、わたしは親戚中を転々とする生活を送っていました」


 彼女は、ガラス戸の桟の上に手を置いて、自分の顎を乗せた。


「そんなとき、ある学校で、わたしは……恋をしました。生まれて初めての恋でした。中尾先生の初恋は、いつでしたか?」


「はつこい……?」


 そうだな、オレの初恋は……。


 谷口なら、あのことを言ってもいいだろう。


 笑われることはあっても、オレのことをバカにすることはしまい。


「さっきの、あの恋文なんだが、あれがそうなんだ。あれは、オレが書いて、同じクラスのある女の子に渡したもので……。確か……、中一の頃だったと思う」


 すると彼女が振り返ってオレを見た。


「一年三組?」


「へ……?」


 オレは驚いた。


 彼女が口にしたことは、どんぴしゃりだったからだ。


「ああ、一年三組」


 オレは、あわてて答えた。


「新見中学校、一年三組、担任の先生は……」


「グッピー! グッピーみたいな顔してたから、そうでしょう?」


 彼女はうれしそうに言った。


「ああ、グッピーだ。でも、どうして……」


 どうして知ってるんだ?


 オレは、その言葉を言う前に真実がわかった。


 オレと同じ中学の出身で、同じクラス、オレの恋文を持っているとくれば……。


 それは、彼女がオレの恋文を受け取った張本人。


 それしかありえないんじゃねえか!?


「ま、まさか、晴ちゃん?」


 オレは、初恋の彼女の名を口にした。


 彼女は、うなずいた。


「はい、晴子です。光平君、覚えてました?」


「覚えてるも何も……」


 と言いかけて、オレは口をつぐんだ。


 あんまり覚えていない。


 大人になった彼女を前にしても、中学生の頃の彼女を思い出すことが出来なかった。


 オレは、彼女の顔どころか、彼女の苗字さえ忘れていたのだ。


 オレが覚えているのは、晴ちゃんという彼女のあだ名と、何度も消しては書いた、読み返すのも恥ずかしい恋文の文面だけ。


「すまない、あんまり覚えてないんだ……」


 彼女は、びっくりしたような顔をした。


「でも、名前を覚えててくれてたじゃないですか? うれしいです、わたし。一ヶ月しかいませんでしたのに……」


「そうだっけ? そういえば、そうだったな……」


 九月の終わりごろに現れて、その一ヵ月後にはもう彼女はいなかった。


 あまりにも短い期間だったので、友達らしい友達が出来る前にいなくなってしまったのだ。


 よく教室でひとりで本を読んでいたっけな。


 本の世界の住人であった彼女は、楽しそうに笑っているかと思ったら、突然怒り出したり、ハンカチで目を押さえたりして、休むことなく本のページをめくり続けた。


 読書が嫌いだったオレは、そんな彼女のことが不思議でたまらなくて、彼女と日直当番になったある日、放課後の教室で日誌を書いてるとき、オレは彼女にたずねたのだ。


『いつも本を読んでばっかじゃん、そんなの楽しいのかよ?』


 今はあの頃よりはマシになっているが、当時のオレはカッコつけて生意気なことばっかりやってた。


 先生や親によく怒られて、学校をさぼっていたもんだ。


 そのオレが真面目に日直をやったなんて信じられないだろうが、彼女が同じ日に当番だったから、オレはやったのかもしれない。


 一年のとき日直の仕事をやったのは、後にも先にもこれ一回だけだ。


 同じクラスの連中も、表ではいい顔をしておきながら、裏では眉をひそめオレの悪口を言っていた。


 クラスから浮いている存在、という意味では、オレと彼女は仲間だった。


 彼女は、イヤな顔ひとつ見せず、オレのくだらない質問に答えてくれた。


『うん、楽しい』


 彼女は、たったひと言だけ言うとにっこり笑った。


 思えばオレの初恋は、そのときからだったのだ。


『オレにも読める本、教えてくれる?』


『うん、いいよ』


 オレたちはすぐに打ち解けあい、互いの名を呼び合う仲になった。


 でも、それは長く続かなかった。


 オレの初恋は、シャボン玉のようにはかなく終わってしまった。




「オレは、あのときから本を読むようになったんだ。それに勉強も少しずつやり始めて、何の因果か、教師なんて職業についちまった」


「わたしもです」


 彼女は両手を組んで、オレを見上げた。


「あのとき、あなたに本を選んで……、こういうのいいなって思ったんです。それなのに、あなたときたら、あんな手紙をわたしにくれるんだもの。あれ、テープでくっつけてたでしょう? わたしが破いたあとなんです」


 オレは、それを聞いても驚かなかった。


 驚くどころか、むちゃくちゃ恥ずかしくて穴があったら、いや、なくても自分で掘って入りたいと思うぐらいだ。


 なぜなら、その恋文は破り捨てられても仕方ない内容だったからだ。


「『お前、オレのことじろじろ見てばっかで、言いたいことあるんだろう。お前の話だったら聞いてやるから、正直に言ってみな!』……だったな」


 ちくしょう、声に出すのもハズイぜ。


 年甲斐もなく、オレの今の顔は赤いはずだ。


「読んだ最初は、なんて人なの! って思ったんです。それで破いて、でも、そのあとすぐ後悔して……。わたし、気づいたんです。わたしのこと、きちんと見てくれている人じゃなかったら、わたしがあなたをじろじろ見てたなんて気がつくはずないでしょう?」


「あ、ああ……」


「だからテープで張り合わせて、ずっと大事にしてたんです。初恋の記念に……」


 そう言って頬を染めてオレをみつめる彼女は、とても……なんていうか、か、かわいかった。


 こんな薄暗いところで、ふたりっきりでいるもんだから、良からぬ思いがむくむくとオレの……。


 だあーっ! その先は言えねえ!


 言ったら、十八禁になっちまうじゃねえか!


 ほ、他のことを考えるんだ、他のことを!


「じゃあ、その大事な記念の品を、なんで生徒たちに渡したんですか?」


「ごめんなさい。まさか、あなたが、あの光平君だなんて思わなかったんです。同姓同名の方かと……。それにイマドキの子供たちがあの恋文をどう思うか、ちょっと興味があったもんですから……」


「あっ、そう。興味ね!」


 その興味のおかげで、オレの肝っ玉は縮みあがっちまったんだぞ。


 まあ、でも、いいか。


 おかげで、初恋の彼女と再会できたわけだし……。


 彼女と同じ場所で何年も働いていたくせに、全く気づかなかったオレもどうかしてると言えば、どうかしているがな。


「谷口先生、どうですか? 再開の記念にこれでも」


 オレは、手でお猪口の形をつくって飲むマネをした。


 しかし、彼女はぽかんと口を開けてオレの顔を見てるばかりで……。


「あっ、いや、いいんです! 誤解されて困る人がいるなら……、オレはどうせいないし……」


 オレはしどろもどろになって言い訳はじめたが、裏を返せば、オレの方は彼女と誤解されても困らない。


 そう言ってるのと、おんなじだ!


「いえ、あの、その……」


 うまい言葉が出て来ない。


 オレのおつむは、あの恋文を書いた頃とちっとも成長してないみたいだ。


「だいじょうぶですよ、わたしも誤解されて困るような人いませんから」


 彼女は、少しも嫌な顔しないで答えてくれた。


 真っ直ぐオレの顔を見て、そして、にっこり笑う。


 初めて教室で言葉を交わした、あの頃と同じように。




 オレは、また彼女に恋をしてしまったのかもしれない。






「ちょっと、見てみ? あの中尾センセイの顔! 鼻の下伸ばして、でれでれじゃん!」


「うーん、もうちょっとさあ、生え際に毛があって、お腹が引っ込んでるとよくね? 元は悪くなさそうなのにさあ」


「あのふたりがそういう関係だとは! さすがに予想してなかったけど……、おかげで次のテーマはもらった!」


「何なに?」


「次のテーマは、ずばり!『恋文から始まった大人の恋愛』って感じでどうよ?」


「いいねえ、いいねえ。面白そうじゃん!」


「明日から、さっそく観察開始ということで、いい?」


「ラジャー!!」




 誰が何を話してるのかわけがわからないが、許してくれ。


 オレは知らなかったんだ。


 この理科室の先の廊下の曲がり角に隠れて、恋文研究同好会の会員たちがこんな計画を立てていたことを。


 オレも谷口も知る由がなかったのだから、仕方がない。




 まあ、オレはくだらないと思っているが、興味があったらうちの学校の理科室に来てくれ。


 彼女たちは、きっと歓迎するだろう。


 ただし、オレみたいに恥ずかしい目にあってもいいんならな。






(END)




恋文がテーマなのに、ぜんぜんロマンチックではありませんね。

それなのに読んでくださった皆様、ありがとうございました。

騙された! と思った方、本当にごめんなさい。

どうかお許しください!

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