第5話「不器用な男の、不器用な再会」
赤毛の大男が、宿の入口に立っていた。
身長は俺より高い。百九十五センチの巨体。
短く刈り込んだ赤髪に、日焼けした肌。丸太のような腕。
ドルク・ガレンハートが、両手を広げて笑っている。
「がっはっは! グレン、久しぶりだなぁ!」
次の瞬間、熊のように抱きつかれた。
「……肋骨が折れる。やめろドルク」
「おう、悪い悪い! 加減を忘れるぜ、嬉しくてよ!」
全然悪いと思っていない声だ。背中をばしばし叩かれる。痛い。
食堂の隅で、カイルが眉をひそめていた。
セリーナは本を読みながら顔も上げず言った。
「あら、ドルクも来たの。予想より早いわね」
「おう、セリーナ! お前も来てたのか! がっはっは!」
笑うたびに腹を叩く。
食堂のテーブルが揺れた。
リーゼが入口から顔を覗かせ、ドルクの巨体を見上げて「ひゃっ」と声を上げた。
「で、でっかい……!」
「おう、嬢ちゃん! 俺はドルク! グレンの昔の仲間だ! よろしくな!」
「は、はい……! リーゼです……!」
リーゼが圧倒されている。まあ、この男の声量なら無理もない。
俺はドルクの荷物——革の旅行鞄が一つだけだ。身軽なのは昔からだ——を受け取りながら聞いた。
「で、なぜ来た」
「訓練学校が秋の休暇に入ったんだよ。お前が宿屋を始めたって聞いて、居ても立ってもいられなくてな!」
「住所は知らせたが、来いとは言っていない」
「住所を教えてくれただろ? 来いってことだろ!」
「違う」
「がっはっは!」
会話が成立しない。昔からだ。
*
ドルクが食堂の椅子に座ると、椅子が軋んだ。
カイルが窓際で剣の手入れをしていた。
ドルクの目が、自然とカイルに向いた。
「おう、若いの。冒険者か? B級? いい面構えしてるじゃねえか」
カイルが顔を上げた。
「……どうも」
素っ気ない返事だ。いつも通りといえばいつも通りだが。
ドルクは気にせず、カイルの剣を見た。
それから、カイルの手元——剣を握る指の角度、手入れの仕方——を、じっと見ている。
訓練学校の教官の目だ。
「ソロで戦ってるだろ」
カイルの手が止まった。
「……なぜ分かるんですか」
「動きに『誰かを庇う前提』がないからな。剣の振り方にも出るもんだ。自分の間合いだけで組み立ててる」
カイルの表情が変わった。
一瞬、凍りついたような顔をした。
「……関係ないです」
椅子を引いて立ち上がり、二階に上がっていった。
ドルクが俺を見た。
「あいつ、昔の俺に似てるな」
「どこがだ。お前はあんなに静かじゃなかっただろう」
「目だよ。仲間を失った目をしてる」
ドルクの声が、少しだけ低くなった。
俺は何も言えなかった。
分かっている。
あの目に見覚えがある、と思ったのは俺も同じだ。
*
夕飯はドルクのために量を増やした。
こいつは普通の人間の三倍は食う。
闘技場風スペアリブ。
骨つきの魔獣肉を、塩と香辛料で豪快に焼いた。ドルクが昔から好きだった味付けだ。
戦場パン。
硬い黒パンを厚切りにして、そのまま出す。スープに浸して食うのがドルクの流儀だ。柔らかくする必要はない。あいつの顎なら石でも噛み砕く。
燻製チーズと蜂蜜。
デザート代わりだ。甘いものにはうるさい男だ。
食堂にすべてを並べた。
ドルクが席につき、スペアリブにかぶりついた。
「がっはっは! やっぱグレンの飯は最高だぜ! 訓練学校の食堂がクソに思えるぜ!」
「声が大きいわよ、ドルク」
セリーナが眉をしかめた。
「おう、すまん! だがよ、この肉を食って静かにしてられるか!」
無理だろう。こいつが静かに食事をしたのを見たことがない。
リーゼが笑っている。
カイルは二階の自室にいるはずだが——食堂の天井に、椅子を引く音が微かに聞こえた。匂いに釣られたか。
「リーゼ、二階に一人前運んでやってくれ」
「うん!」
リーゼがスペアリブとパンを盆に載せて駆けていった。
ドルクが骨をしゃぶりながら言った。
「お前、変わんねえな。昔からそうだ。黙って全員の分を用意しやがる」
「宿屋の仕事だ」
「がっはっは、宿屋ね! Sランクの宿屋ってのは初めて見るぜ!」
うるさい。
*
夜。
セリーナとリーゼが先に休んだ後、居間に残ったのは俺とドルクの二人だった。
酒を出した。
蜂蜜酒ではなく、村で作っている濁り麦酒だ。
ドルクの杯に注ぎ、俺も一杯。
「お前、酒は弱いだろう。無理するな」
「一杯くらい平気だ。……たぶん」
たぶん、が不安だが、まあいい。
最初は笑い話だった。
ダンジョンで迷子になったときのこと。
フィーネの祈りが長すぎて敵に見つかった話。
セリーナが魔法の実験で天井を吹き飛ばした話。
ドルクが腹を叩いて笑う。俺も笑った。
だが。
笑い話が一巡したとき、自然と沈黙が訪れた。
ドルクが杯を見つめている。
「……なあ、グレン」
「なんだ」
「あいつがいたら、この酒、もっと美味いんだろうな」
あいつ。
名前は言わなかった。言わなくても分かった。
「ああ。あいつは俺より酒に強かったからな」
ドルクが右腕の袖をまくった。
黒い紋様が、月明かりに浮かんでいる。
魔王戦のとき、ドルクは呪いの一撃を右腕で受け止めた。
ロイドを庇ったグレンを、さらに庇おうとして。
間に合わなかった。
ドルクの腕に呪いは残り、ロイドは——。
「俺のこの腕、あの戦いの置き土産だ」
ドルクの声は静かだった。普段の大声が嘘のように。
「全力を出すと痛みで動けなくなる。だが——痛むたびに思い出すんだ。あの日のことを。ロイドのことを」
杯を傾ける。
もう半分も残っていない。
「忘れなくていい」
俺は言った。
「忘れちゃいけない。ただ、引きずる必要もない」
ドルクが顔を上げた。
目が赤い。酒のせいだけではないだろう。
「……お前にそう言ってほしかったんだよ、俺は」
笑った。
泣きながら笑っていた。
腹は叩かなかった。
俺は棚からもう一つ、杯を出した。
酒を注いで、テーブルの真ん中に置いた。
ドルクが見た。
何も言わなかった。
ただ、自分の杯を上げた。
俺も上げた。
二つの杯と、誰も持たない一つの杯が、静かな居間で秋の月に照らされていた。
*
翌朝。
宿の裏手で、金属音が響いていた。
窓から見ると、ドルクが素振りをしている。
右腕ではない。左手だけで剣を振っている。
途中で右手に持ち替え——紋様が浮かぶ腕に力が入り、一瞬、顔が歪んだ。
すぐに左手に戻す。
「無理するな」
窓から声をかけた。
ドルクが振り向いて笑った。
「がっはっは、ちょっとした準備運動だぜ!」
嘘だ。あれは準備運動の動きじゃない。
実戦の間合いで、仮想敵を置いた振り方だ。
だが、それを指摘する気はなかった。
リーゼが隣で窓の外を見ている。
「すっごい……グレンさんの知り合いって、みんな化け物なの?」
「失礼なことを言うな」
「だって!」
表に出ると、井戸端にボルド村長がいた。
「おはようございます、村長」
「おはよう、グレン殿。あの赤毛の男、ただ者じゃないのう」
ボルドが顎髭を撫でながら、ドルクの素振りを遠目に見ている。
「冒険者訓練学校の教官だそうですが」
「教官……? あの動きは教える側の動きじゃないわい。まだ戦場に立つ者の動きじゃ」
ボルドの目は、元C級冒険者の目だ。
見る力がある。
「リーゼが手伝いに来ておるじゃろう。迷惑をかけておらんか」
「助かってるよ。良い子だ」
「ほっほっほ、そう言ってもらえると嬉しいのう」
ボルドが笑い、井戸に向かっていった。
裏手では、まだ金属音が続いている。
ドルクの息が白い。
秋が深まっている。
「そういえば」
朝食の支度をしていると、ドルクが食堂に入ってきた。汗を拭きながら。
「フィーネも来るって言ってたぞ」
手が止まった。
「……今度は誰が住所を教えたんだ」
ドルクが目を逸らした。
セリーナが本の向こうで目を逸らした。
「……お前らか」
「がっはっは」
「仕方ないわね」
反省の色がまるでない。
まったく。
鍋に火をかけ直した。
来るものは仕方がない。
飯を食わせるだけなら——。
いや、この台詞は最近言いすぎだ。
朝日が厨房の窓から差し込んでいた。
眩しい。
外ではリーゼの「おはよう!」という声と、ドルクの「おう!」という声が重なっていた。
賑やかな朝だった。




