9.揺れ動く心
「本当にフェリクス様?」
「何を言うんです、エリーゼお嬢様! あんなにお美しい人が二人もいたらダメですよ!」
「ああ、うん。分かった」
一応問いかけたるとセルマにすごい勢いで返されて頷く。
確かにフェリクス様は整っていると思う。婚約者がいても令嬢たちから騒がれるくらいには整っている。
そして同時に驚く。フェリクス様は真面目な性格だ。そのフェリクス様がいきなり連絡もせずに屋敷に来るなんて。
「なんの用だろう」
「そんなの、エリーゼお嬢様に会いに来たに決まっているじゃないですか! お二人は婚約者ではありませんか!」
「うーん……」
はしゃいだ様子でセルマが声を上げる。まぁ、セルマは私がフェリクス様に婚約の解消を提案したことは知らないから仕方ないけれど。
「あらあらどうしたの? 騒がしいわよ」
「お母様。申し訳ございません」
「はっ……! 申し訳ございません、奥様!」
セルマが喜んでいると母がひょっこりと顔を出す。なので謝るとセルマも続いて謝罪する。
「何かあったの?」
「ええっと、フェリクス様が来たみたいで……」
「まぁ、フェリクス君が?」
問いかける母に伝えると大きな瞳をゆっくりと見開かせる。
「珍しいわね。来訪の連絡はあったの?」
「いいえ。なので驚いて」
確認する母に首を振る。不在の可能性もあるのに急に来るなんて、と思う。
「だからそれだけエリーゼお嬢様に会いたかったんですよ! 愛されていますね!」
「いや、それはない」
喜ぶセルマに申し訳ないけれどはっきりと否定する。フェリクス様が私のこと好き? そんなのあり得ない。
「とりあえず来たのなら会いましょうか。私も同席していいかしら?」
「お母様も? それはいいですけど……」
同席を求める母にほんの少し、驚きながらもこくりと頷く。母がいたらもし何かあっても円滑に進めてくれるはずだけど、いつもなら二人で過ごすように言うのに珍しい。
セルマにフェリクス様を応接室に通すように指示をして、簡単に身だしなみを整えると、母と一緒に応接室に向かう。
「エリーゼ、あまりフェリクス君に対してはっきり言ってはいけないわよ」
「え?」
「フェリクス君は口数が少ないのは確かだけど繊細な子よ。あまりはっきり言い過ぎてはダメよ」
「…………」
諭すように告げる母に口ごもる。
確かにフェリクス様はどちらかと言うと口数が少ない方だと思う。
フェリクス様と過ごした時間は一応婚約者だった私の方が多いと断言できる。だけど、母は私より年上だからか、私よりフェリクス様のこと分かるのかもしれない。
「……お母様から見て、フェリクス様はどんな方ですか?」
「そうねぇ……」
歩きながら質問すると、考える素振りを示す。
「努力を怠らず、真面目な子だと思うわ。だけど──フェリクス君の本質を理解する必要があるのはエリーゼよ。目に見える部分だけで判断せず、色んな角度からフェリクス君を見るのが大切よ」
母が優しい声で助言する。……目に見える部分だけを見ず、色んな角度から見る、か。
「……教えてくれてありがとうございます」
「いいえ。さぁ、入りましょう」
「はい」
話しているうちにたどり着き、母が数度ノックして応接室にいるフェリクス様に声をかける。
「フェリクス君、私よ。エリーゼと一緒に入ってもいいかしら」
「伯爵夫人? ……どうぞ、お入りください」
かろうじて聞こえてきたのは婚約者のフェリクス様の声だ。だけど、その声に覇気がない。
それでもずっと応接室の前で立ったままではいかないので母と共に入室する。
部屋に入るとフェリクス様がこちらを見る。見るけど……なぜ死地へ向かうような表情をしているのだろう。私の屋敷は死地なのか。
悲壮感を醸し出すフェリクス様を一瞥しながら、母と共におそるおそる向かいのソファーへ着席する。
着席するとセルマが私たちの分のお茶を淹れて退室する。……セルマが退室したことで応接室には私と母とフェリクス様の三人だけだ。
静かにティーカップを持ち上げ、セルマが淹れてくれた温かいお茶を口に含む。こうしてお茶を飲んでいる間もフェリクス様の様子を窺うも、どこか暗く見える。
「それで急にどうしたの? びっくりしたわ」
静かにすぎる静寂な空間を破ったのは母で、フェリクス様に問いかける。タイミングを計っていたけど、やっぱり母がいてよかった。
母が問いかけるとフェリクス様がゆっくりと口を開く。
「……当然の来訪、誠に申し訳ございません。本日は婚約のことでお話がしたく、参りました」
紡がれた内容にお茶を飲んでいた手が止まる。……急な来訪の理由は婚約解消のことだったようだ。なら手早く進めよう。
「そうですか。それでは書類から始まりますね。書類は──」
「待って。……エリーゼ、僕は君との婚約を解消したくない」
「え?」
思わぬ発言に目を丸める。……婚約を解消したくない?
驚いて固まっていると、フェリクス様が唇を噛み締めながら話し始める。
「忙しかったのは事実だ。だけど、それを言い訳に君との時間を殆ど作らなくて……本当にすまない」
そして深く頭を下げてきてぎょっとする。フェリクス様の方が地位があるのに頭を下げるなんて。
隣にいる母を見ると静かにフェリクス様を見極めるように観察する。どうやら口を出す気はなさそう。なら私が言うしかない。
「落ち着いていてください、フェリクス様。どうか頭を上げてください」
「いいや。……後悔しているんだ、君に辛い思いさせていたなんて」
呟く声音は弱々しく、その姿は世間が騒ぐ完璧な竜騎士とかけ離れている。……こんなフェリクス様、私は知らない。
驚いて声が出ないでいるとフェリクス様が顔を上げる。
「──自分勝手だって分かっている。それでもエリーゼ、君との婚約を解消したくないんだ」
「っ……、どうして……」
灰色の瞳がまっすぐと私を捉え、先ほどの弱々しい声と真逆の力強くて真剣な声に困惑の声が出る。
簡単に了承されると思っていた。だって、婚約者なのにお茶会も月に一度で、外出も全然しなかったからフェリクス様も私のこと好きじゃないと思っていたから。
それなのに、現実は真逆で、婚約の維持を求められていて狼狽える。
「フェリクス様は……好きな人はいないのですか?」
「……僕は、婚約者がいるのに他の女性に心を寄せるそんな軽薄な男に見えていたのかな」
「い、いえ。でも今はいなくても、将来好きな人ができ──」
「エリーゼは、好きな人いるの?」
「はい?」
重ねるように問いかけられ、その内容に目を丸める。……気のせいだろうか。声色が冬の大地のように冷えていて、灰色の瞳の眼差しがどこか昏く見えるのは。
「だから解消したいって言い出したの? そいつと結婚の約束しているの?」
冷気すら感じる低い声で再度問いかける。おかしい、フェリクス様は魔法を使えないのに応接室の室温が下がっていっている気がする。……とりあえず、私は結婚に興味はないし、約束していないと伝えないと。
「そ、そんな人はいません。……そもそも結婚に興味ないですし」
なぜか私が他に好きな人がいると勘違いしているフェリクス様にきっぱりと断言する。そもそも、誰かに恋をして、胸をときめかせる自分に想像つかない。……もしかして私は恋愛に向いていないのかもしれない。
そんな風に思っていると先ほどの冷たい気配が嘘のように霧散して、安堵した表情を浮かべる。
「そっか。……よかった」
「え」
小さく呟かれた発言に耳を疑う。今、よかったと言った? ……どうして、安心しているの?
フェリクス様が分からなくて困惑していると、まっすぐと私を射貫く。
「自分勝手だって重々承知だよ。──それでも、君との婚約を解消したくないんだ。エリーゼ、どうか、どうか挽回する機会をくれないか」
「フェリクス様……」
真剣な眼差しで、請うようにもう一度告げられる。
その眼差しから、なぜか目を逸らすことができなかった。




