8.友人であり、取引相手
フェリクス様に婚約解消を持ちかけたその日の夜、朝の宣言通り、お姉様は早い時間帯に屋敷へと帰ってきた。
「エリー!!」
「お姉様。おかえりなさい」
屋敷の回廊で会った瞬間、お姉様が走って私を抱き締める。
「お姉様、苦しいです」
「エリー! あいつに酷いことされなかった!? 迫ってきたりしなかった!? 無体なことされなかった!?」
「お姉様はフェリクス様のことなんだと思っているのですか?」
抱き締めて追及してくるお姉様を落ち着かせる。いつもは堂々としてしっかりしているのに私関連になると暴走するから落ち着かせるのが大変だ。
お姉様の包囲網からどうにか脱出すると、適切な距離まで離れて話し始める。
「お姉様が心配するようなことはありませんでしたよ。でも、上手く纏まりませんでした」
「纏まらなかったの? あいつが駄々でもこねたの?」
「違います。フェリクス様、途中で体調が悪くなって」
「は? あいつが体調不良?」
理由を伝えるとお姉様が驚いたように呟く。しかし、事実なのでそのまま話を続ける。
「数日前に雨の中で訓練したので遅れて来たのかもしれません。それでも急ぎ取り掛からないといけない用事があるようで帰ってほしいと言われ。なので途中で帰りました」
「その原因って絶対……ふ、ふふふ。そう、そうなのね」
「お姉様?」
思案していると思えば突然笑い出すお姉様に首を傾げる。ここが屋敷だからいいけど、外だと不審者の扱いを受けそうだ。
お姉様を呼ぶとニッコリと微笑む。
「なんでもないわ。それじゃあ纏まらなかったのね」
「はい。……でも私の気持ちははっきりと伝えられたのでよかったです。後日、続きをしないといけませんが解消したいと伝えているのでスムーズに進むと思います」
「それはどうかしら。だって──あいつ面倒な男だもの」
「え?」
ポツリとお姉様が小さく呟く。……面倒な男って聞こえたのは私の気のせいだろうか。
声を上げると、ふわり、と優しい笑みを向ける。
「まぁ、もしややこしくなったら言ってちょうだい。速攻で駆けつけて火あぶりでも雷撃でも氷漬けでもするからね」
「……大丈夫です」
優しい笑みで物騒な発言をするお姉様に曖昧な笑みを浮かべる。
一回で纏まらなかったのは残念だけど、時間はかからないと思う。
そして侍女のセルマから夕食ができたと言われ、家族四人で夕食を摂った。
***
フェリクス様に婚約の解消を提案してから数日。私は客人を迎えるためにアトリエで絵を描かずに待っていた。
時間になるとドアが数度ノックされる。なので返事する。
「どうぞ」
「入るわね」
許可を出すと間もなく開かれるドアの方へ目を向ける。
入室してくるのは私と異なる赤みが混じった赤茶色の髪が印象的な友人だ。
久しぶりに会う友人の姿を見ていると透明な淡い水色の瞳と目が合う。
「久しぶりね、エリーゼ」
「アルベルタ。会うの二ヵ月ぶりくらい?」
「そうね。それくらいになるわね」
親しげに笑って頷くのはアルベルタ・ステイシア。私と同じ十七歳で友人であり、私の絵の取引相手である女性の美術商だ。
久しぶりに会う友人に私も微笑むと、アルベルタが笑いながらこちらへやって来て先日完成した絵を覗き込む。
「迷っていたけど結局、夏の避暑地にしたんだ」
「うん。スケッチしたらこっちの方がよくできたから」
「そうなんだ。──うん、木々の濃淡の表現も素敵だし、緑を主体にしているから赤い屋根が引き立っていていいじゃない。今回も期待しているわよ、エリオット様?」
「ご期待に応えられるように頑張ります」
お互いに軽口を言い合って小さく笑う。絵画に心得があるアルベルタにそう評価されると自信が湧いてくる。
「…………」
絵を細部までじっくりと見つめるアルベルタを見る。──私の絵を見出してくれたのは、アルベルタだ。
アルベルタとの出会いは十年以上前で、彼女の父親が商人でよく私の屋敷に出入りしていたことが始まりだ。
平民と貴族と身分差はあるけど、私が知らないことをたくさん知っていて、話していると楽しくて親友と呼べる存在だ。
そんなアルベルタは数少ない女性の商人として活動している。
平民の女性は貴族の女性と比べて比較的働くのに寛容だけど、それでも少ないのが実態だ。
美術商として活動するアルベルタも当然、女性という理由で侮られることがあると言う。
それでも逆境をはね除け、自分の持つ商才を活用して商人として働いている彼女の姿は眩しく見える。
「それじゃあこれは予定通り持って行くわね」
「うん、お願い」
「任せてちょうだい」
そうして必要な書類にサインをし終えると、侍女にお茶とケーキの用意を頼み、アルベルタと共に応接室へ向かう。
「個展の準備はもう終わったの?」
お茶の用意が終え、喉を潤すとアルベルタに尋ねる。
「ええ。初めての準備だから手間取ったけど同じく美術商をしている叔父のおかげでどうにか。ごめんね、心配したわよね」
「ううん。私もよく分からないからって任せてごめんね」
「何言ってるのよ。今回の個展も私が提案したことだもの。私が準備を進めるのは当然よ」
謝るとアルベルタが笑いながらそう告げる。大変だったはずなのに元気ですごいなと思う。
「エリーゼも来るでしょう?」
「うん、初日に行くつもり」
「分かったわ、素敵な個展にするから楽しみにしててね」
「ありがとう、楽しみにしてるね」
自信満々に話すアルベルタに私も笑う。アルベルタに任せたら大丈夫だろう。
「そうだ、レイリア様はお元気? それとも忙しくてお屋敷へ戻っていない感じ?」
「この間、一ヵ月ぶりくらいに屋敷に戻ってきたけど、忙しいみたいでまた寮暮らししてる感じ」
「やっぱりそっか。さすが、宮廷魔術師様ね」
笑いながらお姉様を称賛する。私の屋敷に出入りしていたということは、当然お姉様とも面識があって顔馴染みだ。
「リベラートは? 元気にしてる?」
「あの子は今、お父様と一緒に隣国へ行ってるわ。帰って来るのは一週間後の予定よ」
「そっか。リベラートも商人として頑張ってるんだ」
リベラートはアルベルタの弟で一つ下の十六歳の男の子だ。彼も父親の下で頑張ってるようで何よりだ。
それから久しぶりに会う友人にお互いに色んな話をする。
「それじゃあ最北端のマーロアに行ったんだ」
「ええ。鮭を使った料理を食べたのだけど絶品だったわ。王都にもマーロアで獲れた鮭は売られているけど、塩漬けされているから獲れたてと比べて味が濃く感じるわ」
アルベルタが饒舌に話す。アルベルタは鮭料理が好きだから盛り上がっている。
「一度マーロアに行くのをオススメするわ。冬は冷えるから冬以外がいいかも」
「冬以外ね」
勧められた季節を頭に入れる。せっかく教えてくれたのだから今年中に行きたいなと思う。
「エリーゼは? 何かいいことあった?」
「いいこと……。あ、今度の作品のテーマを見つけたの。秋なんだけど、花畑にしようかなって」
「テーマ? 本当、エリーゼは絵が大好きよね」
「だって大好きなんだもの」
出た話題が絵に関することでアルベルタが呆れた声するのが分かる。でも、私にとって何より絵を描き、絵を観賞するのが好きなのだから仕方ない。
「まぁ、時間がかかるから秋をテーマにしてもいいかもね。花畑ね、楽しみにしてるわ」
「うん」
笑いながら呟くアルベルタに私も頷く。頑張ろうと思う。
その後もお茶をしながらケーキを食べ、アルベルタと過ごす時間が終わった。
別れの挨拶をして屋敷の中へ戻る。テーマは決まったものの、具体的なものはまだ構想中だから今日は絵を描くのはやめよう。
そうしてアルベルタが帰宅して一時間後。
「エリーゼお嬢様」
アトリエへ行かずに部屋で過ごしていると、セルマに呼ばれて振り返る。
振り返ると、セルマが戸惑った顔をしていて首を傾げる。
「セルマ? どうしたの?」
「その……エリーゼお嬢様にお客様が来ていて」
「お客様? もしかしてアルベルタ?」
先ほどまで仲よく話していたアルベルタを思い浮かべて彼女の名前を紡ぐ。どうしたのだろう、もしかして何か忘れ物だろうか。
そう考えていると、セルマが困った様子で首を振る。
「いいえ、アルベルタ様ではございません。……その、エリーゼお嬢様の婚約者であるフェリクス様でして」
「……フェリクス様?」
そして、セルマの口から告げられた客人の名前に数度、目を瞬かせた。




