7.婚約解消の提案2
まるで魔法で石像になったかようにフェリクス様が固まる。
しかし、私はここ数日ずっと伝えたかった言葉をようやく言えたため満足する。
フェリクス様もこの婚約に不本意なのは明らかだ。きっと、すぐに了承してくれるだろう。
されど、フェリクス様は無言で一向に何も発しない。どうしたのだろう。
「フェリクス様?」
「……して」
「え?」
かろうじて何か聞こえたけど、何を言ったのか分からず声を上げる。
そして、ふと、気付く。──顔色が悪い。
顔色はこちらが心配になるくらい青白く、見るからに体調が悪いのが窺える。
同時に思い出す。数日前、雨の中で訓練していたと言っていた。もしかして、今さらだけど体調が悪くなっているのかもしれない。
「大丈夫ですか? 顔色がすごく悪いですが……」
「大、丈夫。気にしなくていい……」
心配するも平気だと告げられて片付けられる。相変わらず青白くて気になるけど、本人に大丈夫だと言われたらそれ以上指摘しにくい。
「それより、婚約の解消ってどういうこと?」
声にしないけど未だ気にしていると、目を据わらせながら問いかける。……これは言うまで諦めない様子だ。
早く伝えて休んでもらった方がいい。なので正直に答える。
「そのままの意味です。私たち、婚約を解消した方がいいと思うんです」
「────」
告げると息を呑むのが感じる。その様子から、私が婚約の解消を提案するとは思っていなかったのが読み取れる。
「私たちの婚約はフェリクス様のお母様……侯爵夫人が決めたもので、お互いが望んだ婚約ではありません。フェリクス様も別に私のこと好きではありませんよね?」
「っ、僕は──」
「私も同じです。別にフェリクス様のこと好きじゃないです。……お茶会も月に一度しかしていないのに。一緒に外に出かけることもないのに。婚約しているって言っても冷えているのに。それなのに、ずっとやっかみを受けてて。もう疲れてしまったんです」
胸の内にあった気持ちを、一気に声にする。
フェリクス様と婚約してから四年。その殆どの時間、私たちは冷え切った時間を過ごしていた。
だけど人生は長い。私は画家の人生を、フェリクス様は本当に好きな人と添い遂げてほしい。
胸の内にある一部を伝えることできても、全て伝えることはできない。私がエリオット・ケペルとして活動しているとは教えていないから。
だけど、その一部を伝えたい。
「もっと早くに伝えたらよかったと思います。それこそ、大きく変化してしまった三年前に」
後悔するとしたら、もっと早くに婚約の解消を思いつかなかったことだ。気付いていたら、お互いによかったはずなのに。
「なので婚約の解消を。フェリクス様は私ではなく、心から好きな人と添い遂げてください。……フェリクス様?」
改めて婚約の解消を提案するも反応がなく、名前を紡ぐ。
しかし、顔色は先ほど悪化していて青白かったのが、今は死人のように真っ白になっていてぎょっとする。これは本当に危ない。
「誰か……! フェリクス様の顔色が……!!」
「エリーゼ、大丈夫。大丈夫だから……」
「何言っているんですか! まるで死人みたいですよ!」
「それはき、君のせ……」
「無理して喋らないでください……! 誰かっ……!!」
立ち上がって使用人の姿を必死に探す。どうして近くにいないんだと言いたい。
周囲を探していると手首を掴まれる。──掴んだのは、フェリクス様だ。
「大丈夫だから……。すぐに治るから……」
「でも……!」
「お願いだ、僕を信じてほしい。それとも、僕の言葉は信用できない?」
灰色の瞳がまっすぐとこちらを捉える。顔色は青白いけど、その瞳は力強くて嘘をついているように見えない。
使用人を呼びたいという気持ちはまだある。でも、それはフェリクス様を信じていないということになる。
ぐらつく。だけど、ここはフェリクス様のお願いに従うべきだ。
「……分かりました」
「ありがとう。とりあえず、座って」
着席を求められて静かに座る。騒いだらフェリクス様の体調がさらに悪化するかもしれないからだ。
「エリーゼの言いたいことは分かったよ。つまり、君は僕との婚約を…………」
「……フェリクス様?」
無言になり、名前を紡ぐ。さっきからこんなことばかりしている気がする。
「……ああ、ごめん。つまり、エリーゼは僕との婚約を解消したいんだね」
「はい」
「そっか」
短くそれだけを呟くと、しん、と静かになる。……静かすぎて気まずい。
そっとフェリクス様の顔を観察する。青白かったけど、少しずつ回復しているのが窺える。
お互いに何も言わずに時間だけ流れる。時間の経過としては数分くらいなのに居心地が悪い。ピチチ、と小鳥の囀る鳴き声が不思議なくらい大きく聞こえる。
気まずい気持ちになりながらも何も言えないでいると、フェリクス様がゆっくりと口を開く。
「……ごめん、今日は帰ってくれないかな。急ぎ取りかからないといけない用があるんだ」
顔色が元に戻り、絞り出した声でフェリクス様が頼んでくる。なんと。急ぎの用があったなんて。
「そうだったのですね。申し訳ございません、急にこのような話をして……」
「いいんだ。……正門まで見送るよ」
「そんな、忙しいのならよろしいですよ」
「いいや、見送らせてくれ」
遠慮するも頑なに言われて口ごもる。……ここはフェリクス様の屋敷。客人の私があまり強くは言えない。
「……分かりました。それでは正門までお願いできますか?」
「ああ」
お互いに立ち上がって隣に並びながら正門まで歩いていく。
春の風を感じながら歩く。今日の風は少し寒い。これは夜も冷えるだろう。
「リストン伯爵夫妻は、この話は知っているの?」
投げかけられた問いに驚いて反応が遅れる。だけど、きちんと答えないと。
「はい。両親はどちらも納得しています」
「伯爵はそうだろうね。……伯爵夫人も?」
「私の気持ちを尊重してくれています。無理して結婚しても後から大変だから、と」
「……そっか」
小さく呟くと、それ以降は何も会話はなかった。
そして正門にたどり着き、馬車へ乗ろうとドアノブを掴む。
「エリーゼ」
名前を呼ばれて振り返ると、馬車に大きな影ができる。──フェリクス様が近付いてきたからだ。
近付いてきたフェリクス様がそっと馬車の窓ガラスに手をかける。距離が、近い。
見上げると灰色の瞳が私を射貫く。
「確認したいんだけど、僕が嫌いではないんだよね」
続いて突然の問いにきょとんと目を丸める。……どうしてそんな質問を?
しかし、私を見つめる灰色の瞳は真剣で目を逸らすことができない。……理由は分からないけど、質問にはきちんと答えないと。
こくり、と頷いて答える。
「はい」
「──っ。分かった、もう我慢はやめる」
発せられた宣言に再びきょとんと目を丸める。……我慢はやめる。それはつまり、これから自由恋愛を楽しむということか。
口許を緩める。いいことだと思う。私はまだ恋愛に興味はないけれど、フェリクス様ならすぐに意中の女性と気持ちが通じあうはず。
私という婚約者がいなくなればフェリクス様は自由に恋愛ができる。それこそ、優しくじっと見つめて微笑むだけで意中の女性を落とせるだろう。相手の女性も、私という婚約者がいなければフェリクス様からの思いに了承するはずだ。
「はい、頑張ってください」
宣言するフェリクス様に応援の意味を込めて微笑む。頑張ってくれたら、と思う。
お互い相手のこと好きにはなれなかったけど、フェリクス様は暴言を言わなければ、手を挙げることもなく、浮気もしなかった。
ただ結婚相手ではなかったということ。──だから、フェリクス様のことは嫌いじゃなくて、幸せになってほしいと思っている。
そして見送りに来てくれたフェリクス様に挨拶をして別れた。
途中で中断してしまった婚約解消の続きの話はまたしよう、と決意して。




