第4章 名前を渡す
二回目の指示は、前よりも短かった。
「本人確認が必要です」
「簡単な手続きなので、協力してください」
理由は書かれていなかった。
でも、不自然ではなかった。
最近は、どんなサービスでも本人確認を求められる。
バイトだって、口座だって、全部そうだ。
提出するものの一覧が送られてきた。
名前。
住所。
生年月日。
学生証の写真。
画面をスクロールしながら、胸の奥が少しだけ重くなる。
前回は、何も渡していなかった。
ただ、そこに行って、言われた通りに動いただけだ。
今回は違う。
「嫌なら断っても大丈夫です」
そう続けて書かれていた。
断れる。
その言葉を見て、逆に逃げ道がない気がした。
ここまでやって、
今さら「やっぱりやめます」と言う理由を、
自分で説明できなかった。
学生証を机の上に置く。
スマホを構えて、写真を撮る。
シャッター音が、やけに大きく聞こえた。
送信する前に、少しだけ迷った。
このデータは、どこへ行くんだろう。
考え始めると、止まらなくなりそうだった。
だから、考えないことにした。
「送りますね」
そう打って、写真を添付する。
続けて、入力フォームのような画面が送られてきた。
指示通り、空欄を埋めていく。
名前を書くとき、
自分の名前が、こんなに文字としてはっきりしていたんだと、変な感想を持った。
送信。
既読がつく。
少し間があって、返信が来た。
「確認しました」
「ありがとうございます」
それだけだった。
問題は起きなかった。
怒られもしなかった。
追加の要求もない。
安心していいのかどうか、判断できなかった。
しばらくして、次のメッセージが届く。
「今後は、こちらの指示に従っていただく形になります」
「詳細は追って連絡します」
“今後は”。
その言葉が、頭の中で引っかかった。
一回だけの話じゃなくなっている。
でも、抗議するほどの決定的な何かはない。
スマホを置いて、天井を見る。
部屋は、いつもと同じだった。
散らかった机。
干しっぱなしの洗濯物。
何も変わっていない。
ただ、
自分の名前が、自分の手を離れた
という感覚だけが残っていた。
それが何を意味するのか、
この時点では、まだはっきりとは分からなかった。
分からないままでも、生活は続く。
講義もあるし、課題もある。
普通の日常の中に、
一つだけ、取り消せないものが混ざった。
それに気づかないふりをして、
僕はその日も眠った。
ありがとうございました。
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