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8.君の腕の中で



 ――昼休みに、国語担当の堺先生に呼ばれた。

 出張の為、日直の私が代わりにノートを返却してとのこと。

 三十四冊あるノート。

 受け取った時に、重みで手が少し沈んだ。

 

 よりによって、どうして今日なの?

 足首の痛みをこらえたまま、小さくため息をつく。

 時おり右足に目線を落としながら廊下を歩いていた。

 すると突然、隣から手が伸びて、ノートが持ち上げられた。

 横を向くと、高槻くんの顔が接近している。

 

「どこへ持っていけばいい?」


 彼は最近、なにかと構ってくる。

 それがいつか傷つくことになるとも知らずに。

 私は眉をつりあげたまま、彼からノートを奪った。

 

「高槻くんには関係ありません」


 かわいげなく、突き放すように走り出した。

 右足が床につくたびに、針を刺すような痛みが響く。


「……足、さっきからなんかおかしくない?」


 背後から声が突き刺さった。

 一瞬、心を見透かされたような気がして、ビクッと体が揺れる。

 

「えっ、あ、いや。気にしないで下さい」


 ノートを胸にギュッと抱えたまま再び小走りすると、痛みで思わず足が止まった。

 見られたくない、こんな姿――。


 唇を噛み締めた次の瞬間、視界は揺れ、体がふわりと宙に浮き、温かい腕に包まれた。 

 横を向くと、彼の顔が間近に迫っている。

 急に耳まで熱くなり、息が詰まった。

 

「えっ! ちちょ……ちょっと! なにす……」

「右足、いつまで犠牲にするつもり?」


 冷静な声が届いた。

 思わず左右に揺れていた足がピタリと止まる。

 

「へっ?」

「ケガしたんでしょ。バレーボールの時」

「どうして、それを」


 足をひねったことは、誰も気づいていないと思ったのに。

 

「足を引きずってたから、あの時かなって。痛いはずなのに、どうして自分を労らわないの?」


 唇を軽く結び、目線を胸元に置いた。

 

「ノートを僕に渡す? それとも、このまま保健室でいい?」

「えっ! そんなの選べなっ」

「決めないと、このまま保健室につれていくよ」


 近くに感じる、彼の香り。

 初めて届いた香りなのに、なぜか懐かしくて、胸がぎゅっと締めつけられるような不思議な感覚。

 頬が熱くなったまま黙っていると、周囲の女子が「きゃあ、お姫さま抱っこだ!」と騒ぎ始めた。

 私たちはあっという間に、注目の的に。

 

「あああ……あのっ。ノートを渡すから、いますぐ下ろしてくださいっ!」


 こんな大きな声を上げたのは、入学してから初めて。

 ジタバタしていると、彼は柔らかく微笑み、足のほうからゆっくり体を下ろした。

 私は手元のノートを素直に渡す。

 彼はそれを両手で受け取った。


「怪我をしてるなら、最初から先生に断ればいいのに」

「別に、たいした怪我じゃないから」


 胸を押さえ息を整えると、体の力がふっと抜けた。

 多分、緊張していたと思う。

 

「たいした怪我じゃなきゃ、自分自身にもそっぽ向くの?」


 驚いた目を向けた。

 彼の瞳は、私の心を見透かしているかのよう。

 思わずきゅっと胸が締めつけられた。

 

「そんなの自分がかわいそうだよ。人が苦手なら、自分だけは味方になってあげて。じゃないと、寄りかかるものが一つもなくなっちゃうよ」


 彼はノートを胸に抱え、廊下の奥へゆっくりと消えていった。

 私は、彼の背中をぼーっと見つめているうちに、足の痛みが和らいでいく気がした。

 

 怪我していたことに、気づいてくれたんだ。

 そんな風に気づいてくれる人なんて、いままでいなかった。

 固く結んでいた拳の力が抜け、唇がわずかに開いた。



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