5.鈴の音に揺れる心
――翌朝の登校後。
教室に到着した私は、額に小汗をかいたまま、高槻くんの席に行った。
目が合った瞬間、指先の力が抜けて、柄が滑りそうになった。
「あ、あの。……これ、貸してくれた傘。ありがとうございます」
傘を差し出した。
何か言われるんじゃないかと思って俯いた。
でも、これだけは返さなきゃいけないから、アクションは避けられない。
彼は異変に気づいたのか、きょとんとした目のまま傘を受け取った。
「あ……あ、うん」
傘を渡す時に見えた、シャツの中の大きな傷跡。
一瞬、私の心の傷と重なり合ったように見えて、胸がキュッと傷んだ。
同じようなものを抱えている気がして、近づくのが怖くなった。
見つめていると、彼は気付いたように袖を正した。
「あのさ」
高槻くんは軽くまぶたを伏せ、口を開いた。
「えっ」
「僕を避けてない?」
彼のまっすぐな瞳に、思わず心臓が跳ねる。
「そっ、そんな。避けてないですよ……」
目線を逸らして、胸に手を当てた。
「そう? 数日前と別人みたい」
昔から私を知っているかのような口調だった。
ふっとため息をつき、記憶を思い巡らす。
「ねぇ、どうして私のこと知ってるの?」
混乱していたせいか、敬語が抜けた。
バリケードを張り巡らしていたかったのに。
とはいえ、彼の顔に思い当たる節が見当たらない。
「あっ、いやっ……、その……」
彼は苦笑いをし、目線を逸らす。
「申し訳ないけど、そっとしておいてほしいんです」
唇を震わせ、スカートの横で拳を握った。
「どうして?」
「静かに過ごしたいんです。構われると疲れるんです。……人が好きじゃないですから」
先に伝えておけば、彼もきっと私に近づかないはず。
あの日に負った傷口は、もう二度と触りたくない。
彼に背中を向けて、カバンを握りしめたまま席に向かった。
途中でチリンと鈴の音が届く。
その瞬間、意識が音に吸い込まれ、反射的に体が動いた。
「あっ、あの! その鈴、見せて下さい!」
気付いた時には、持ち主の相良さんの前に立っていた。
そっくりだった。聞き慣れていた、鈴の音に。
「この鈴が、どうしたの?」
彼女は目を丸くしていた。
それもそのはず。入学してから一度も喋ったことのない私から、いきなり声をかけられたから。
でも、鈴をよく見たら別物だった。
音一つで反応してしまうなんて。
「……ごめんなさい。なんでもないです」
ふっと目を逸らしたら、肩の力が抜けた。
重い足取りで自分の席へ向かう。
カバンを机の横にかけ、スマホである画像を開いた。
映っているのは、命の次に大切なもの。
いま一番恋しさに溺れているもの。
大雨の日に、ふいに消えてしまった。
胸の中にぽっかり穴が空き、息を吸うのも辛かった。
――それは、ベージュ色のクマのぬいぐるみ。
名前はクゥちゃん。
首には茶色いリボン、赤いハートの柄入りの鈴がぶら下がっている。
近所を探し回っても、警察に問い合わせても見つからなかった。
どうして学校がある日に、外に干してしまったんだろう。
嬉しいことがあった日は一番に報告。
悲しいことがあった日は夜抱いて眠る。
たとえ口が開かなくても、瞳の奥が私のことを一番に理解してくれているように思えていた。
唯一、離れていかない存在だったから。
でも、おとといの夕方。
予想外の暴風雨に見舞われて、忽然と姿を消した。
一体、どこへ行ってしまったんだろう。
あの鈴の音が、頭から離れない――。




