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37.少しずつ、前へ



 ――五時間目のHR後。

 美心は先ほど配布されたばかりの進路希望用紙を前に、シャープペンシルを回していた。

 進路に悩んでいるのかな、と思っていると、美心の向かいの席の栗田さんが振り返って、話しかけてきた。

 

「鈴奈さんも、進路に悩んでいるの?」


 彼女は、佐知ちゃんの友達だ。 

 研修合宿中に、美心を一緒にランチに行くようにお願いした時は、あまりいい顔をしていなかった。

 だから少し心配している。

 

「あ、うん。文系で考えてるんだけど、よくわからなくて……」


 美心は、少し戸惑った様子。

 普段はほとんど喋ったことのない相手からの、不透明な進路話。

 栗田さんはその反応を見て、興味深そうに体の向きを後ろに固定させた。

  

「まだ進学して三ヶ月なのに、将来の夢なんてわからないよね」


 同調すると、美心は口角を上げた。

 ついこの前までは、人を突き放すことで精一杯だったのに、いまは楽しそう。

 窓の外に流れている風が、次の季節を運んでいるかのように。

  

「わかる! 実はさ、夏休みにオープンキャンパスに行きたいんだけど、自分に合う学科がまだわからないから、迷ってて」

「うそっ、もうオープンキャンパスに? まだ一年の夏だよ」


 栗田さんは、声をワントーン上げて聞き返した。

 まだ考えていなかった様子。


「母が早いうちがいいって話をして。塾、通わなきゃいけないかもしれないし……」


 美心がペン先を見つめていると、栗田さんは一旦振り返って、机からスマホを鷲掴みにした。


「それならさ、オープンキャンパスの情報交換しない?」

「えっ? ……いい、の?」

「もちろん。気に入った大学があったら教えてよ。ねっ、自分でも調べてみるからさ」


 栗田さんは、スマホをタップし始める。

 

「一番早い日程で、今月末かぁ……。私も何箇所か行って、いいところがあったら教えるね」

「ほんとに? 私も調べてみようかな」


 三週間前には想像できなかった、美心の笑顔。

 嬉しそうに笑っているはずなのに、なぜか目線が外せなかった。

 この光景を目の奥に焼き付けたかったので、僕は二人の席の方へ行き、通路にしゃがんだ。


「なんの話してるの?」


 あえて知らないフリをした。

 

「鈴奈さんと、オープンキャンパスの情報交換する約束だよ。高槻くんは、将来の夢、決まってるの?」

「ううん。まだ決まってないよ」

「青空くん、夢はあるの?」


 タイムリーな悩みだから、心臓をギュッとつねられたような気持ちに。

 夢、はなんとなくある。

 叶えられないけど……。

 

「うん、もちろん。困っている人をサポートする仕事、とか」

「例えば?」


 美心は首を傾けて聞き返してきた。

 もしかして、僕の夢を参考にするつもりなのかな。


 夢と言われて、僕を支えていてくれる神主さんを思い描いた。

 彼は、僕たちぬいぐるみが、人間界で幸せでいられるように、毎朝笑顔で送り出してくれる。

 人と人が笑い合える世界を作れたら、きっと嬉しいだろう。

 

 机に頬杖をつきながら、そう思った。

 

「まだ具体的には決めてないけど……。人を笑顔にできたらなって」

「もっと詳しく教えてよ〜」

「あ、それって人材派遣会社みたいな感じ?」


 栗田さんはテンションが高いまま、僕に指を向ける。

  

「でも、最初の夢がサラリーマンなんて、ちょっと夢が小さくない?」

「確かに〜!」


 二人は腹を抱えながら笑った。

 そんな幸せそうな様子に、ついつられて笑う。


「あはは! 全然近くないよ。だって、細かいこと決まってないもん」

「ってか、本当は言いたくないんでしょ〜」


 かつては笑わなかった美心も、僕や賢ちゃんと喋るようになり、佐知ちゃんとも仲直りした。 

 そしていまは、次のステップに向かっている――想像以上に早いスピードで。

 自分で縁を繋げる美心を見て、僕の心配も少しずつ減っていく。


 本当は嬉しいはずなのに、素直に喜べない。

 美心が、僕の存在をあっさり忘れてしまいそうで。

 でも、その気持ちは、自分で乗り越えなければならないだろう。


「いつか、私にこっそり夢を教えてね」


 美心が小声でそう言うと、現実に引き戻すようにチャイムが鳴った。

 僕はそこで不器用に小さく頷く――声にならなかった。


 美心が笑顔になってくれたように、僕も立ち止まってはいられない――。



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