34.揺れる心
――二時間目の美術の授業が終わり、教室に向かう集団の波に乗ったまま部屋を出た。
緊張がほどけた声に包まれていると、賢ちゃんが後ろから僕の肩に腕を回す。
賢ちゃんは、いつも突然腕を回してくるから、その度にびっくりする。
でも、その気配にどこかホッとする。
「さっき、おまえに聞きそびれちゃったんだけどさ」
「ん、なに?」
「おまえら、どこで花火を見てたの?」
一旦気持ちが落ち着いていたものの、その指摘に再びざわつく。
「……どっ、どうして、またその話?」
「実はさ、ちょっと青空たちを探してたんだよね。みんなで花火見たかったし」
「えっ!」
一瞬、彼女の唇が頬に触れた感触が蘇り、息が詰まった。
「四人で花火に行ったからね。それに、朝からおまえの様子が変だし」
キスの話題が上がらなかったということは、多分見られていない。
胸を撫で下ろし、息を整える。
「……どんなところが変なの?」
瞳をゆらしたまま、恐る恐る聞いてみた。
「美心と話す度に、緊張しているような気がするんだけど」
「そっ、そんなこと……ない。いつも、通り」
不器用に微笑んだ直後、賢ちゃんの腕の力が加わった。
「だ〜か〜ら〜! その態度だって言ってんの」
たしかに、美心を見る度に体に変化が起こる――でも、理由がわからない。
「自分でもよくわからないんだ。というか、美心と一緒にいると、この辺がソワソワしてるというか」
そっと胸元に手を当て、軽く視線を落とした。
賢ちゃんが、僕の手をじっと見つめる。
「心臓?」
「うん。……最近、変なんだよね」
ワイシャツの胸元を、ぎゅっと握りしめた。
「美心が笑っていると、嬉しいというか、もっと見ていたいというか」
最近、美心の表情一つで、気分が上下していた。
ぼーっと床を見つめていると、賢ちゃんは軽く笑う。
「……俺、その原因知ってるよ」
賢ちゃんの音色が変わったので、僕は少し不安に。
「えっ、なに?」
「本当にわかんないの?」
賢ちゃんの眼差しが温かいものに変わったけど、その答えが見いだせない。
「うん。いままで感じたこと、ないから」
……だから、戸惑う。
嬉しくて、切なくて、美心の表情一つに気持ちが左右されるばかり。
賢ちゃんはふっと息を吐き、声のトーンを落とした。
「恋だよ」
僕は目をハッと見開き、賢ちゃんの顔を見つめる。
「……恋?」
自分でも気づかぬ間に、目に小さな光が灯る。
「青空は、美心のこと、好きなのかもしれねぇな」
固く閉ざしていた扉が開かれたような気がした。
でも同時に、小さな不安がよぎる。
「……違うよ。最近アクシデントが多かったせい、だと思う」
首を小さく振る。
認めない。これが、恋だなんて。
たとえ、美心に感謝していても。
「本当にそうかなぁ。おまえが美心を変えていくうちに、影響があったんじゃない?」
「そんなことない。美心は元々明るかったし、僕は手を添えただけ」
思い出す。
あの事件の前の、美心の笑顔を――。
「そんなに否定すんなって。少しは素直になれば?」
賢ちゃんは、僕の肩をポンポンと叩くと、前方を歩いているクラスメイトの輪の中に入った。
がやつく廊下に、僕は気持ちに整理がつかないまま、彼の背中をただ見つめていた。
……賢ちゃん、違うよ。これは、恋じゃない。
僕には、美心の変化を見守る役割しかない。
これからは、僕の役割を賢ちゃんたちに任せる。
もしこれが恋だったとしても、見守るだけ――そう決めたんだ。
けれど、何かを期待している自分に戸惑っている。
廊下のざわめきが、やけに遠く感じた。




