30.すれ違いの先に
――放課後。ガヤガヤした教室内で私がカバンを持って席を立つと、佐知が横から現れた。
その瞳は、昼間と同じ。決心したような目。
避けるように反対側の通路に出た。
「ちょっと、待って」と声が届く。
もしかしたら、さっき青空くんに何かを言われたのかもしれない。
「今日こそは話をしよう。私は諦めない……、諦めたくないよ」
背中に泣きそうな声が張り付いた。
でも、振り返りたくない。
不安定な気持ちのまま、廊下から階段を下り、一階フロアへ足を進めた。
通りすがりの生徒たちの間をすり抜け、前へ突き進んでいく。
髪が風になびいた。
あの頃のつらい出来事を振り払うかのように。
いまはクゥちゃんがいなくなった日と同じくらい、息が詰まっている。
「待って、美心っ!」
佐知の手は、私の左腕に追いついた。
私はきつく睨んで、手をほどく。
景色は、先ゆくところしか見たくない。
次第に、ハァハァと息が切れ、足が重たくなってきた。
でも、青空くんのある言葉が脳裏をよぎった瞬間、足が止まる。
『美心に幸せになって欲しい。……それが、僕の願いだから』
いまの自分は幸せなのだろうか――ふと我に返る。
佐知は仲直りしたいけど、私はただ逃げているだけ。
葛藤と向き合えなくて、青空くんの気持ちを無視してる。
ポケットの中には、食べ終わったブドウ飴の個包装がくしゃくしゃに入っている。
間接的に青空くんの想いが、まだここに残っている気がした。
「美心……」
佇んでいると、佐知も追いかけてくるのをやめた。
ふぅとため息をつき、軽くまぶたを伏せる。
「どうして追いかけてくるの? 私がどんな思いをしたか、わかってるの?」
背中越しに、低い声で伝えた。
気持ち的に、佐知の顔を見れる段階ではない。
「あの時はごめんなさい! あたしが悪かったの。不注意、で済む話じゃないんだけど、誤解だけは解きたくて」
握る拳に圧が加わった。
「意味わかんない。私を笑い者にしようとしてたくせに」
私は気持ちがどれだけ追い込まれたか。
不注意で、美化しようとしている意味がわからない。
「そっ、それは違……」
「あの切れ端を拾わなかったら、クラスどころか、私は学年中の笑い者になってた。なのに、誤解で片付けようなんて酷すぎる」
「違うの!」
「なにが違うの? 佐知だから、好きな人を教えたのに、嫌われてたなんて」
泣きそうな顔で振り返り、佐知を睨みつけた。
揺れている拳は、今日までの我慢を握りしめている。
もう、限界だった。
壊れそうな心を、両手で支え続けていたことが。
指の隙間からポロポロとこぼれていく感触が止まらない――その時、彼女は私の腕を引くと、力いっぱい抱きしめてきた。
「ノートの切れ端は捨てたんじゃないっ……。あたしの不注意で、落としてしまったの」
私の瞳は揺れ、肩の力が抜けた。
自分の記憶と佐知の認識が、少しズレている……?
「えっ……、落としてしまった? 捨てたんじゃなくて?」
思考が一時停止したまま、呟いた。
「そんなこと、するわけがないっ! 絶対、絶対にっ……」
緊張で張り詰めていた手が、ストンと落ちた。
感情的になっているせいか、佐知の体が震えている。
久しぶりに身近に感じる彼女の香りに、力が抜け、鼻頭が赤く染まっていく。
同時に、廊下のざわめきが耳に戻ってきた。
――それから、私たちは話し合った。
もちろん、切れ端の件は許せなかった。
でもそれは、私の気持ちを守る為。
嫌な想いをしたのには変わりないけど、佐知ばかりを責め立てていた自分が小さく見えた。
「誤解を解く力がなくて、ごめん。高槻くんが諦めずに美心に話しかけてる姿を見て、あたしも頑張らなきゃって。だから、高槻くんに相談してたんだ」
「青空くんに相談? 一体、なんの話?」
何か思い違いをしているのではないか、ということに気づく。
戸惑うあまり、高槻くんのことをつい青空くんと呼んでしまった。
「美心と仲直りしたいって伝えたの」
「えっ?! ……佐知が、青空くんに告白してたんじゃなくて?」
首を傾けて聞くと、佐知はきょとんした。
「どうして、話がそっち方向に行っちゃうの?」
「だって、『好きだからこそ、一緒にいたいしね』って言ってたから……」
動揺したまま、手振りを加えて伝えると、佐知はプッとふきだした。
「それ、全部美心のことだったんだけど」
てっきり、青空くんは佐知の気持ちに答えていたかと。
頭の中の糸が絡みだした。
つまり、青空くんは佐知の相談に乗ってた……だけ?
「へっ? 私はてっきり、佐知が青空くんに想いを寄せてたかと」
「そんなわけないでしょ。あたしは美心と仲直りすることで、頭がいっぱいだったよ」
ドッと全身の力が抜けた。
ここでようやく、青空くんが言ってた『勘違い』の意味を理解する。
勝手な解釈をしていた自分を思い返したら、急に恥ずかしくなった。
「話し合わなければ伝わらないことって、たくさんあるんだね」
「迷惑かけてごめんね……。美心さえよければ、あたしと仲直りしてくれないかな」
佐知はふっと息をこぼし、小学五年生当時に見せてくれていたような笑顔で、私の手を握った。
話を聞かずに突き放し続けていた自分も悪かったので、素直に頭を下げた。
「私こそ、ごめん。今度からはもう絶対に逃げない。約束する」
視界を歪ませたまま小指を差し出すと、佐知も自分の小指を絡め返した。
「うん、約束だよ」
触れたぬくもりは、優しくてやわらかく、どこか頼りない。
佐知の指先がこんなに温かかったことを、忘れていた。
他の人から見たら小さなことかもしれないけど、私は涙を誘うくらい嬉しかった。
ポケットの中のブドウ飴の個包装を握ると、青空くんの優しさが、そっと背中を押してくれるような気がした。
これからはもう、あの日のようにすれ違ったりしない。
……そんな気がした。




