1.傘を差し出してきた君
――六月下旬、夕立が全てを奪っていった。
土砂降りの雨が容赦なく顔や肩を叩きつける中、私は靴を踏みしめ、必死に家へ駆け抜けた。
濡れた制服が肌に貼りつき、息が上がる。
自宅へたどり着くと、靴をひっくり返したまま、ベランダへ直行した。
「はぁっ……はぁっ……。ない……、ない、ないっ!!」
エアコンの室外機の上に置いていたものが、どこにも見当たらない。
朝は晴れていたから油断していた。
まさか、暴風雨に見舞われるなんて。
それは、小さい頃に出会った、唯一の宝物だった。
「もしかして、風で飛ばされちゃったのかな」
再び傘を開いてから外へ。
だが、傘の骨が折れ曲がり、あっという間に使い物にならなくなった。
気を立て直し、家の周りを何度も行き来した。
泥だらけの手で植木や草をかきわけながら、必死に探す。
夕暮れが迫る空の下で、日照時間が長い季節にもかかわらず、空はもう暗くなっていた。
街灯を浴びたまま佇んでいると、後方から近づいてきた車が接近したと同時に、バシャッとしぶきが上がった。
「きゃっ!」
跳ね返りの水を浴びる。
目頭がじんわり熱くなった。
どうして不運って続くんだろう……。
拳をぎゅっと握りしめた。
もしかしたら、見逃してる場所があるかもしれないと思い、放射状の雨に包まれながら、来た道を戻った。
「こんなお別れ、やだよ……」
天の神様に訴えかけるかのように呟いた。
無意味だとわかっていても。
すると、公園の植木にベージュ色のものが見えた。
口角が軽く上がり、手を突っ込んだ。
でも、掴み取ったものはコンビニのレジ袋。
「はぁ……」
手の甲に雫を描いている雨が、心をより冷やしていく。
遠くからゆっくり近づいてきた足音。
目の前で止まったと同時に雨が止み、黒い影が視界を覆った。
見上げると、同年代と思われる青年が、傘をさしたまま唇を震わせていた。
まるで、昔から知っている人を見つめるような眼差し。
目が合った瞬間、サッと視線をそらす。
「みっ……、あっ、大丈夫? 全身濡れてるけど」
見知らぬ顔だった。
でも、どこかで見たような。
唇をきゅっと結んで、小さなため息をついた。
「あなたには関係ありません」
「でも、そのままじゃ風邪を引いちゃうよ」
「ホントに大丈夫ですから。……酷い言い方かもしれないですけど」
可愛げのない返事だと思っているはず。
彼は私の手を引いて、そっと傘の柄を握らせた。
「じゃあ、これ使って」
傘を受け取った瞬間、胸がトクンと鳴った。
見上げると、優しい瞳が私を見ている。
「でも、傘を使ったらあなたの方が……」
「平気だよ。君の方が、必要みたいだし」
「そんな……、見知らぬ人からは受け取れません」
傘を前に押し付けると、彼はじっと見つめたまま薄く微笑んだ。
「じゃあ、昔から知ってる……って言ったら?」
記憶を巡らせても、知らない顔。
それなのに、少し自信があるかのように、彼は目線を外さない。
「……それ、どういう意味ですか?」
瞳を揺らせたまま彼を見つめる。
何度見ても、見覚えがない。
でも、瞳の奥は真っ直ぐで、澄んでいて、私の心を見透かしているかのよう。
胸をドキドキさせていると、彼はニコっと笑った。
「あはは。冗談だよ」
私が困っている時に、どうしてそんな冗談を。
ため息をつき、黙っていると、彼は目線を上げた。
「ごめん。もうちょっと話していたいけど、かみ……いや、えっと……呼ばれて行かなきゃいけないところがあるから」
「えっ、ちょっ、ちょっと!」
「……また、明日ね」
ザアザアと雨音が耳を包む中、彼の背中は遠ざかっていく。
雨音に背中を押され、追いかけようと思った。
……でも、足が動かない。
彼の背中を、ただ見送るしかなかった。
――これが、彼と最初の出会いだった。
いや、本当は最初じゃない。
あの時の傷、汚れ……そして、涙を染み込ませながら鳴らした、世界でたった一つの音。
一番よく知ってるはずだった。
なのに、気づくまでこんなに長い時間がかかってしまうなんて。




